4-Ⅳ ポラリスの記憶

「さて、大物から片付けていきましょうか」

 腕捲りをしてガレージの前で気合い充分にそう口にした美しい女性の隣で彼女の息子であるヴィンツェンツ・セナミ・フェルマーは頷いた。彼は父親譲りの黒髪と両親の――恐らく母親の先祖から受け継いだのだろうライトブルーの瞳を持っていた。ヴィンツェンツの瞳は真っ直ぐに彼の父親の仕事場であり遊び場であったガレージを見据える。そこには精密な機械からガラクタまで様々なものが整然と並べられていた。

「ガラクタは捨てるとして、工作機械とかは売れそうだなぁ」

 さすが親父、良いもの使ってる。とヴィンツェンツは母へと確認を含めた問いを投げる。彼の言葉に隣に立つ彼女も大きく頷き「トラック借りて来なきゃ」と言葉を返す。「とりあえず、車動かそうか。トゥアレグは母さんも使うだろ?」ガレージの一番手前に鎮座する両親の瞳と同じ色をしたスポーツ・ユーティリティー・ビークルの運転席に乗り込んだヴィンツェンツはポケットに入れていたキーを使いそのエンジンを鳴らす。「良かったらヴィンが使ってよ。私には大きすぎるわ」ガレージの外、道路の端に移動させたトゥアレグから降りたヴィンツェンツにソフィアは告げる。「じゃぁ、遠慮なく」そう言って笑ったヴィンツェンツはトゥアレグのエンジンを切ってガレージの中へと足を踏み入れる。車が三台は入るだろうガレージの中は大小の機械類に埋め尽くされ、彼らはそれを捨てるもの、売るもの、そして手元に残すものとそれぞれ分別していく。機械類が終われば書籍や書類の整理へと手を伸ばす。そんな作業を黙々と行っていれば、ガレージの中には茜色の光が差し込むような時間となっていた。

「後は明日にしましょ」

 身体を伸ばしながらソフィアがそう提案すれば、ヴィンツェンツもその言葉に同意する。「でも、この引き出しだけ片付けようかな」彼の言葉に彼女は頷き「夕飯の準備しちゃうわね」とガレージを後にした。ヴィンツェンツが片付けていた引き出しには瀬波セナミの手によって書かれた計算式や書類、写真が雑然と投げ込まれており、ヴィンツェンツはそれらを一つ一つ確認しながら紙類のゴミを収める用に用意した段ボール箱へと投げ込んでいく。その写真のいく枚かは、奇妙な空白があった。奇妙な空白がある写真には決まって笑みを浮かべるまだ若い瀬波が写されており、ヴィンツェンツはその瀬波の姿を三十代頃かと推察する。それらの写真は、まるでような構図であり、しかしその写真には瀬波一人しか写されてはいなかった。そんな奇妙な写真を一枚だけポケットに滑らせたヴィンツェンツは残りの写真を段ボール箱へと投げ入れる。そうして引き出しに残ったのは、紙の厚みで少しだけ膨らんだ縦長型の封筒が一つとなっていた。残された封筒の中身を検分する為に、彼は封筒から中身を取り出す。そこには何枚もの風景写真と一枚の便箋が収められていた。丁寧に折られた便箋を開いたヴィンツェンツは、丁寧に残された瀬波の筆跡による手紙の一文に視線を落とし、そのライトブルーの瞳を大きく見開くのだ。


「ちょっと出掛けてくる!」

 慌てたように家の中に戻っていた母親へ大声で声を投げ込んだヴィンツェンツは、母の返事を聞くよりも前に路上に停めたままのトゥアレグに乗り込む。震える手でハンドルを握りアクセルを踏み込んだヴィンツェンツが向かうのは、幼い頃によく訪れたこの街を一望できる展望台だった。その場所に行く度、父親がどこか過去を懐かしむように、それでいて悲しそうに笑みを浮かべていたのを幼いヴィンツェンツは印象的な思い出として記憶していた。そして、彼は今日父親の表情の理由を知ったのだ。

も、ここにはよく来てたね――

 トゥアレグから降りたヴィンツェンツはそんな言葉を唇から零す。その言葉は瀬波駿馬の息子であるヴィンツェンツ・セナミ・フェルマーのものではなかった。「世界ってヤツは皮肉な事をする――シュンメが居なくなってからなんて」ガサリとその封筒から取り出すのは一枚の便箋。空白の宛名に書かれた短い文章は確かにヴィンツェンツ・フェルマーへと宛てられたものであった。

 

 名前も思い出せない、存在しているのかも分からないお前にも、この風景を見せたかったよ。

 愛している――俺の北極星ポラリスへ。

 

 それだけが書かれた便箋に、ヴィンツェンツは幾度も視線を走らせる。父親である瀬波譲りの黒髪は柔らかな風に揺らされ、かつてのヴィンツェンツが密かに保存していた瀬波の遺伝子と己のそれを掛け合わせ産み出したソフィアからソフィアを飛び越え受け継いだのだろうかつての己と同じライトブルーの瞳には涙を溜め込んでいた。溢れ零れた涙の雫を袖口で拭ったヴィンツェンツは、かつての自分と二十八年生きた己の記憶が脳内で混ざり合っていく事を認識する。薄明の空の下、それでも彼は笑みを浮かべていた。


「それでも、ボクは――俺は、あなたを愛していんだ。シュンメ、北極星ポラリス。愛しているんだよ」


 かつて瀬波と過ごした青年、瀬波を喪い彼を救った男、そして彼の息子として生きた青年。三人のヴィンツェンツは混じり合いながら瀬波への愛を告げる。その言葉を聞き入れるのは世界を茜色に染める薄明の空と柔らかに彼を包むそよ風だけであった。

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ラスト・デイズ 狭山ハル @sayamaHAL

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