第7話 物怪祓い

 

 「先ごろは、大変な思いを……」


 そうでしたわね、少納言内侍しょうなごんないしさま。

 思えばそちらが動揺されて固まったから、私が権中納言さまに声を掛けざるを得なくなって。ボコボコにされたのはその結果でしたわね。

 目を伏せていらっしゃる。桧扇のふちから覗く私のおでこ、まだ傷跡が残っているものだから。


 「その、しばらく体をお休めいただくことができるのではないかと。いえ、休暇ではありませぬが」


 自宅謹慎のお誘いであった。

 「悪さをしたんだから反省しろ!」とか、そういう意味の謹慎ではございませんで。まさに「身を慎む」、精進潔斎のお誘い。それもなぜか阿閉あへの小姫さんと源博士げんのはかせと三人で。


 それと言うのも、聞くならく。

 「承香殿女御しょうきょうでんにょうごさまが物怪もののけに憑かれた」とか、なんとか。


 「亡き御息所みやすどころさまの霊によるものらしい」との噂が流れ、主上おかみがたいへんなご不興を覚えられ。

 と思いきや、「その物怪、小一条院こいちじょういんにゆかりがあるらしい」と、そんな噂が流れ出し。


 「悪霊左府あくりょうさふの親娘ですか?」


 小一条院、御堂関白みどうかんぱくさまの圧力により東宮の位を辞退された宮さまだけど。

 その際にいろいろあって「捨てられた」おきさきさまと、その父親だった時の左大臣(左府)さまは、たいそう怨みを残して亡くなられ、御霊ごりょうと化したと言われている。

 物怪って、恨みを抱いた相手の子孫に、同じお血筋に祟るらしくて。だから御堂関白さまの関係者を祟ると言ったらまずは悪霊左府親娘だろうって、それが京びとの第一印象なの。承香殿女御さま、御堂関白のお孫さまですし。

 

 「それなら悪霊左府とはっきり喧伝されるでしょう? 噂とは全くいやらしいものです」


 悪霊左府ではない? ああ、「小一条院ゆかり」ってそういうこと。主上のご寵愛深き梅壷女御うめつぼのにょうごさまが疑われてるのか! 小一条院のお孫さまだから。

 

 重なる噂に、主上はますますご不興におわすと。

 采女うねめや得選、また女房衆から後宮へとご注進が飛んだ。


 主上のお心を想像すれば――畏れ多い話だけれど――それも当然だと思う。

 主上は東宮時代不遇におわした。外戚が摂関家でなかったために、前関白さまから東宮位を降りるよう圧力を受け続けていらしたんです。それも十二歳から四半世紀もの間、ずっとよ?

 その不遇時代をともに過ごされたのが、前権大納言さきのごんのだいなごんさまとそのご息女、今は亡き御息所さま。ご夫婦仲はたいそうむつまじく、五人の御子みこさまをもうけられるほど。親娘ながら主上のご即位を見る前にみまかられたのは、さぞご無念でいらしたでしょう。

 そして噂の中心・承香殿女御さまは、その前権大納言さまのご養子である現職権大納言さまの実の妹君(親族関係ややこしすぎよ)。ご一族の功績に酬いるかたちの入内であると、もっぱらのうわさです。



 ですから、まとめますと。

 「承香殿女御さまが祟られた」・「祟っているのは亡き御息所さまらしい」・「いや、小一条院ゆかりの方だとか」って、その噂。

 苦しかった東宮時代に愛し合った今は亡き女性が、次の女性を恨んでいるとか。今ご寵愛深き女性が、他の女性に嫉妬を抱いているとか。そういう意味になるんです。

 畏れ多くも主上の女出入り(失礼!)全方位に喧嘩売ってるわけ。一見理屈が通りそうなのがまたいやらしい。

 

 「典侍ないしのすけさまにおかれても、ご憂慮の色深く」


 そりゃそうよね。

 このままじゃ「最近ご寵愛めでたからぬ典侍さまの生霊いきすだまでは?」とか、「あやしき呪法を行っているのでは?」とか言われかねない情勢ですもの。

 典侍さまが愛されていないわけじゃないのに。全ては後宮政治の問題なんです。


 中宮さまは摂関主流系、いくら主上でも尊重せずには政治を回せない。

 梅壷女御さまは皇族ご出身、それも主上が属する円融系とは異なる冷泉系。皇統の合一を考えてのご入内と、これは有名な話。

 承香殿女御さまは、主上の政治力の源泉にあたる摂関非主流系。

 つまりこのお三方は、ご寵愛されている旨大っぴらにアピールしなくちゃいけない存在ってわけ。

 その点、典侍さまは若き日よりのお馴染み。お心休まる女性として、目立たぬご寵愛を受けている。おかしな噂を免れているのも、その地味な立ち位置によるんです。


 だけど。嘘でも生まれ積み重なれば、疑いの翳が濃くなってゆく。

 いえ、主上のご不快が強まれば、そのこと自体が問題になる。

 理屈じゃなくて感情、後宮ってそういうところだから。


 「そこで典侍さまから、加持祈祷かじきとうをお頼み参らせたのです。主上もたいそうおよろこびになり、宰相中将さまをお使者に立てられると」


 お頼み参らせたってことは、費用かかりは典侍さまのご実家持ちでしょうね。なるほど疑われる前に、主上の覚えを良くするために。ご自身のご提案か、周囲の入れ知恵かは存じませんけれど。

 なんて痛む頭を動かす間もなく、ご几帳の向こうから。なんと人を介さぬお声がけ。

 

 「ひさかたぶりですね、紀朝臣きのあそん。いつぞやの唐猫の件、また女房たちの件では世話になりました」


 言い終えられる前から、ベテラン女房が間に身を乗り出してきた。

 卑しき女官に直接のお声かけなどお控えくださいとでも言いたいんでしょう。


 「お宿下がりされている承香殿女御さまに主上がお使いを送られるとの件、日取りまで含め正式にご決定が下されました。そこでご祈祷を申し出た典侍さまも、お見舞いの品々またお使者を送り参らせましょうと。ありがたき仰せです」


 そう聞きますと、ね? 入れ知恵もあるんでしょうけれど、根っこのところでお優しきお心持ちによるものなんだろうなって。下っ端女官にもお声をかけてくださる方ですもの。


 「内侍司ないしのつかさから誰を遣わすべきか、陰陽師に相談いたしましたところ。『東豎子あずまわらわは是非にお連れになるべきである』と」 


 また別の女房が説明し始めたところによれば。

 陰陽師の曰く。悪霊物怪の類を調伏する者とは、「はざまに立つ者」であると。

 「幽冥と現世うつしよとの間に立つ法師、人の身にありながら鬼に近づき使役する我ら陰陽師。山に籠もりて人界と仙界の間に立つ山伏、みな同じ」


 なるほど、そういうものか。


 「俗世でも、穢れの先触れに立つのは社会ひとのよの埒外にある放免ではありませぬか。東豎子も女性にょしょうにして男装、まさに『間に立つ者』でありましょう。およそ霊験とは幽遠にして人知には探り難きもの。しかしながら、いえ、だからこそ細い可能性のぞみであっても賭けてみるべきです……」


 おうコラ、人を放免(前科持ちのチンピラ)と一緒にするんじゃない!

 女房の口を通じて言われると、なおさら腹が立つ! あばらに響く!

 

 「先の唐猫の件、また雷雨に取り乱したる女房の心神を呼び返した件。紀朝臣殿にはあるいは陰陽道の心得があるのやもしれぬと、女房の間では」 

 

 「阿閉あへの宿禰すくね殿もまた、東豎子。それに安倍家のご親戚でいらっしゃるのでしょう?」

 

 陰陽道の安倍あべも東豎子の阿閉あへも、平安の京に生きる我らの耳には同じ「あふぇ」。それは間違いないところだし、たしか提携してるとも聞いてるけど。その辺は、ねえ。いろいろあるんですよ、主に生存戦略的な意味合いで。

 ほんとうを言えば阿閉氏のご先祖はたしかあへあへのはず。外交、特に接待担当だったって。そのせいか、いつも持っておいでになるおやつや軽食、気が利いてて。軍人の末裔、我が紀氏とは違うわー女子力高いわーってため息ついてるんだけど。

 

 今はそれどころじゃなかった。典侍さまの取巻き・女房衆は次から次へと言葉をかけてくる。考えさせまい、断らせまいって魂胆ね?

  

 「加えて。若き女には霊が憑依しやすい」


 物怪退治って、まずは憑りついてる人から引き剥がして、他に憑依させてから行うらしい。

 その際、霊媒としてなぜか若い女性が用意されることが多いのよね。あられもなく乱れる若い女が見たいからって、そういう理由じゃあないと思いたいんだけど。

 ゲスの勘繰りはさておいても、特に十代半ばはいろいろと不安定なためか妙なモノに取り憑かれがちになると、これは誰しも知るところでしょう?

 「くっ! 鎮まれ内なる物怪よ」、「目が熱い」、「右手が疼く!」……覚えがおありですか? 何が恥ずかしいんですの? 物怪の存在は平安女子にとって常識ですわよ?


 良いんだけどさあ。

 なんで専門の霊媒師とか巫女に頼らず、若い女や何かと不安定な女や、男みたいな女を内侍司で集めるのかって、そこが分からない。


 「我ら内侍所が主導で進めた話だけに、是非にも我らの手で解決したいと」


 影の薄い典侍さまが後宮で生き残るために、か。

 まあね、女御さまが苦しんでいる。典侍さまが心無い噂の陰に怯えている。主上が不快を覚えられていると。そう聞いたならば我ら女官は働かねばなりますまいよ。

 というか、何にも増して。そういう陰湿な話、私が嫌いなの!



 参加するのは構いませんが、柄にも無い方が選抜されているのは何ゆえかと。


 「あなたも呼ばれましたの、源博士さま」


 「お使者に立つ内侍さまの介添えです!」


 憑依要員ではないと言いたげですけど。女蔵人はバリバリの憑依要員なんだから、出世前の予行演習になるじゃない。それとも怒るほど怖いの?

 いえ、逆か。漢学を嗜んでいる人って、ちょっと信心が薄いのよね。

 

 「からの国の史書には、なぜか物怪の類が記録されていない。子不語の類だからってこともあるんでしょうけれど、あれだけの大国なのに。本朝に比べて物怪が少ないのかしら」


 学問は、書物は、人の世を眺めるための切り口になるって。自分の経験とは別の視点がたくさん書いてある宝の山だって、源博士はよく言っているけど。

 

 「多い少ないだけじゃなくて、種類も気にならない? 物怪って、国ごとに違うものなのかしら」


 漢学を嗜む人って、どういうわけか理屈っぽいのよ。分析とか名分スジ論が大好き。

 だから女房たちは「漢学に詳しい」って言われることを忌み嫌う。「女性らしさに欠ける」って、そういう意味に取るんでしょうね。

 女史なんて、「学問ができるからって、得意げにしている」(M式部氏)とか「ふがふがと、ものもまともにしゃべれないおばあちゃんのくせに」(S少納言氏)とか。バリバリ仕事をする女性としてちょっと羨ましがられる裏返しで、女のダシガラみたいな扱いを受けてるんだけど。


 「例えばヒトダマにしても、燐の発火現象なんですって! 宋の国では常識だそうよ? これまで物怪だと信じられていたことのうち、いったいどれほどが本当に物怪のしわざなのか。興味は尽きないんだ」


 宋の国になって百年が経つからの国は景気が良いみたいで、本朝との取引が盛んに行われている。人や書物の行き来が盛んなのは結構なことですけれど。ただ困ったことに(?)宋の国になったからの国では、学問が全体的に理屈っぽいらしい。

 技芸を持ち合わせてこその諸大夫層、中級貴族。学問で身を立てようってなら、学会の傾向トレンドに後れをとるわけにはいかないんでしょう。でもねえ、学者とくに女博士が、ますます煙たがられなきゃいいけど。


 「宇治大納言うじだいなごんさまが説話を集められるのも、やはり学問的な関心によるものでしょうね」


 ゴリゴリに信心深い人ならば、たしかにそんなことはしない。

 呪いや穢れは伝染するってのが、私たち平安人の常識だもの。怖い話を集めるだけでも、何が起こるか分からないじゃない。それを集めて眺めて分類するってのは、学者的な態度よね。

 結構なことですけれども。だからって二人のご子息を物怪退治の現場取材に派遣することはないでしょう?

 気になるなら自分で行けば良いのに、権大納言の地位がどうとか、摂関主流派にぶらさがっている政治的立場がどうとか。そういう横着なところが主上や皆さまに嫌われる理由ではありませんこと? 

 いえ、正直に申し上げますとも。私が二人に会いたくないのよ!権中納言さまと右少将さまにはこないだヒドイ目にあわされたんだから!


 

 

 そして当日、案の定。

 女史の源博士、きっちり次の間に座らせられてて。なんだかお経だのお香だのを浴びせかけられてた。あきらかに憑依要員だけど、若い娘扱いには違いないんだから、そう嫌がらなくても良いんじゃない?

 言ってて悲しくなってきた。ええ、どうせ私は男扱いですよ。


 なんて、簀子縁すのこえん近くに控えている我ら女官したっぱも、前を眺める余裕がなくなってきた。お経の声は高まりお香の煙が充満する。いくら主上と典侍さまの肝煎りとは言え、山ほどの芥子をぜんぶ焚かなくても良いと思うんだけど。

 小春日和のぽかぽか陽気、お部屋に坊様やら女房女官やらが一杯に詰め込まれ。

 煙いしお経はうるさいし……ちょっとキツイ……まだ怪我のダメージが体に残っているから……。



 思い切りはたかれ、揺すぶられた。

 ボコボコにされた嫌な記憶が蘇り、肩を掴むその手を乱暴に払いのけた。


 「誰! 何するの!」


 ああ、寝落ちしていただけか……。


 「間違いありませぬ! これなる女性にょしょうに憑依した!」

 「さあ答えよ物怪! 何者か! などかくは悪事をなす!」


 煙い。頭が痛い。耳の傍で怒鳴らないでよ。


 「うるさい黙れ!」

 

 おおっと、歓声が耳に飛び込んできた。


 「悪霊よ正体を現せ!」

 「紀朝臣から出て行け!」

 「暴れるでない、これを見よ!」


 なんかでっかい数珠(?)みたいのが目の前にあった。

 しめ縄やら御幣やら、かさかさ音を立てるものに取り囲まれていた。


 煩わしいから取り上げ振り払い踏み潰した。

 お坊さまやら陰陽師やらが飛びのいた。


 何? 私ほんとうに物怪に取りつかれてるの?

 どうりで頭が痛い、喉がいがらっぽくて変な声が出ると思った。

 それにしてもイライラするわね。


 「恨みがあるなら述べよ! 罪無き者を苦しめること拙僧が許さぬ!」

 「さよう。発散することぞ。やすらかなる解脱を得るがよろしかろう」

  

 そうなの? 物怪は遣り場の無い怨み悲しみに苦しんでいるのね?

 発散してあげなくちゃいけないのね?


 少しずつ意識がはっきりしてきた。いえ、煙のせいかまだぼうっとしてるけど……。

 あれ? 何かしらあの小憎らしいちょび鬚は。

 私の中の物怪が囁いている。あいつだって。

  

 奪った大数珠。拳に握り固めて、今しばらくは目にしたくないその頬桁に叩き込んだ。

 ごめんなさいね権中納言さま。体の自由が利かないの。

 でも仕方ないね、哀れな物怪を成仏させるためですもの。


 冠を取り去る。もとどりをつかんで引きずる。

 流れ作業で暴れる自分がいた。その様子をやけに冷静に眺めている自分がいた。

 暴れている自分、眺めている自分、どっちが物怪なんだろう。


 吹き飛び転がるその姿に、私の中の物怪も少しは収まったみたいだけど。体は動きを止めようとしない。

 そう、まだ足りないのね? 散じる恨みがあるのね?

 お な じ お 血 筋 に 。


 ごめんなさいね、右少将様。

 冠を引き毟り直衣を引き裂く物怪、私には止められませんの。

 鼻っ面に続けざま巨大な数珠を叩き込み、喉首を締め上げる怪力も。


 泡吹いて失神しちゃった。

 喉首がしらじらと、あからさまに上を向いている。


 「習い覚えているでしょう? そこは人の急所、全体重をかけて踏み破れば」


 何? 誰? 

 ……いま、私は何を思った?


 「あなたも踏み付けにされたのでしょう?」


 左脚に体重を残したまま、右膝が浮き上がってきたけど。

 前のめりの心に体がついてこないのか、前のめりな体を心が拒んでいるものか。

 わからぬままの、ちぐはぐな片足立ち。あばらの痛みにふらついて、転んでどこかを打ち付けた。


 「一緒にするな!」

 

 再び気を失う前、私の声はそう叫んだと。後でみんなに告げられた。


 物怪は成仏したらしく、承香殿女御さまのお加減は快方に向かい。

 なぜか私の体調も、その日以来上向きで。

 うん、気分が良い。


 なお。ただひとり、学問のおかげかどうか、違う視点の持ち主がいた。


 「書類、宇治大納言家には託せなくなったわね。まあもともとあのお家は前関白さきのかんぱくさま派だけど」


 やっぱり物怪への恐怖心は薄いようだ。でもそれってどうなんだろう。


 「あいかわらず可愛げ無いわね、源博士さま?」


 爽快な気分のままに軽口を叩けるのも、相手が親友だから。

 そう、親友ならでは言えないことがある。

 皮肉に片眉を上げた伊勢、皆さん憚っていたことを口にする。

 

 「可愛げって、あんだけ暴れておいてよく言うわ! 宰相中将さまも目を逸らしておいでだったから、中御門流そちらにも託しづらくなっちゃったのに!」

 

 あの物怪め! ひとりだけ気分良く成仏しくさって!

 恨んでやるから覚えとけ! 



                         (第二章 了)

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