第5話 得意 その2


「先触れを寄越したと思ったら即だもの、相変わらずせっかちなんだから」

 

 男の手に成る書類と言えば、卜二ぼくじに言われるまでも無く漢文と決まっている。ならば源博士こと伊勢に読んでもらうのが良かろうと。

 汗と脂でばっちいから、いえ、何だか危険な雰囲気を感じたので里内裏に持ち込むことは避けまして。我が家から南へ五町、高陽院かやのいんのお隣は滋野井しげのいにあるご自宅を訪問したという次第。


 「今日行くって、あらかじめ伝えておいたじゃない。とにかく、これ」

 

 謎の老人が遺した書類は二通あった。

 大した量でもないし、伊勢なら簡単だろうと思っていたんだけど。

 案の定すぐに顔を上げるや、どうしたことか二度目に入る。そして三度目、ふたつの書類を見比べて後、ようやくのご回答。


 「これは土地の寄進に関わる書類だね。どこで手に入れたの?」


 第一声がそれで、私と目が合うやため息をついていた。

  

 「ん、分かった。とりあえず深く聞くのはやめておく。説明するよ」


 ――上野国にある某荘園の持ち主が、その土地を寄進したのだと言う。

 

 「分からないのは、ふたつの書類が示す寄進先が別だってこと。目的物は同じ土地なのに」


 同じ土地をふたりの人に譲り渡したってこと?

 売り買いならあり得ない話だと思うけど、寄進の場合どうなんだ?


 「ふつうに考えれば、片方が間違いなんじゃない? 女史は一般行政に関わらないから、取引法制や寄進の実務については自信ないけど」


 眉をしかめる伊勢の気持ち、私には分かる。

 はるか昔、東豎子あずまわらわは男の近衛と轡を並べ、共に主上のお側近くで馬を駆けさせたと聞いてきたから。女蔵人や女史も同じ記憶を、歴史を共有している。昔は男蔵人と同じ部屋にあって肩を並べ、同じ仕事を任されていた。

 今や、女官たちには機会そのものが与えられていない。伊勢なら、源博士なら、除目でも税制財政でも、何だってこなしてみせるのに。

 そんな彼女を信頼しているから、私は書類を持ち込んだ。なら、かけるべき言葉はひとつ。

 

 「伊勢の推測を聞かせてほしい」


 しょうがないなあと、顎を持ち上げていたけれど。

 その頬には、少しばかり赤みが差していて。

 

 「そうね、片方は紙も筆の跡も新しいでしょ? 写しだと思う。……だから、書類が正しく書き写されているという前提のもとで、だけど」


 行政関係の文書には絶対不可欠の要素があると、伊勢は言う。

 それが文書の作成名義人と作成年月日。


 「分かるでしょ? 古いほうの書類には明記されている。写しには書いてない」


 人名と年月日ぐらいなら私にも読める。さすがにそれだけではアホの子みたいだから、必死に目を凝らしてはみるものの。


 「古いほうが文字数も多いね」


 結局それぐらいしか出て来ない。伊勢に丸投げするつもりで眺めようともしなかった自分に腹が立つ。


 「土地の縁起から説き起こしてあるからだよ。で、荘園になったのが二十年前のこと。そうした来歴を根拠に、荘園の範囲を明示してあるんだ。ほか、古いほうは全てにおいて文面や資料が整ってる」


 「新しいほうが偽造書類ってことか。なら、なんのために写しなんか作ったの?」


 しばし私に目を注いだ伊勢。言葉選びに時間を費やした末に返してきた答えは、少しばかりずらされていた。


 「確かなのは、正しい寄進先は新しい書類に書かれているほうじゃなさそうだってこと」


 「正しい寄進先はどこなの?」


 「話はちゃんと聞いて。極論それはどうでも良いの。問題なのは新しい書類に書かれている……平等院領ではなさそうだ、ってこと」


 平等院領。前関白さまの所有地を指す言葉。

 権力を盾に取り、いいかげんな偽造書類をちらつかせ、荘園を奪い取ったと?


 「書類の入手経路、教えてもらえるわね?」

 

 巻き込みたくなかったから伏せておいた話、老人の物語を仕方なく告げる。

 伊勢は天井を睨みつつ、畳んだ扇をぴしゃぴしゃ掌に叩き付けながら聞いていた。

 難しい話だってことは分かってるけど、柄の悪い。私の前だけにしときなさいよ?


 「少し見えたかも。ちょっと待って」


 立ち上がるや、部屋の隅に積まれていた文箱から迷い無くひとつを持ち出す。

 書類の量もさることながら、いちいち整理整頓してあるところがまた。


 「うん、やっぱり。ここのところ仕事が忙しいとか、配置転換があったとか……なるほど」


 え? ちょっと、まさか? どなたからなんですの伊勢さん?


 「四年前の女叙位おんなじょいの件は覚えてるでしょ? あの時の外記」


 手柄を盗んだあいつか!


 「その後お詫びの手紙が来たから許したの。政治がらみの情報交換、学問上の疑問点なんかをやり取りするには良い相手だしね」


 それこそいわゆる「得意」よね。まさか伊勢あなた、忙しい中うまいことやってるわけ!?


 「その後、大内記に移ったらしいんだけど。最近弁官局の寄人よりうど(直属の下僚)になったって。ちょっと、聞いてるの!?」


 あっハイ。


 「これ、荘園整理令が出るわ」


 荘園整理令。「権利関係がはっきりしていない土地は国有財産化します」って太政官令。主上の御世代わりがあると、出される「ことがある」。絶対に出るとは決まっていない、何かと不確定要素の多い政令らしい。 


 「摂関家や大臣家の荘園を取り上げるってこと? 主上のご意思だとしても、よく太政官令の形にできるね」


 太政官を通すってことは、陣定じんのさだめ(公卿による閣僚会議)における同意を取り付ける必要があるわけで。関白さまや大臣の皆さまが賛成するわけないと思うんだけど。

 

 「土地の権利関係がはっきりしているかいないか、調べるのは誰かって話よ」

 

 それは実務官僚よね。土地の実態を調べるとなれば地方官で、その筆頭は国司に受領。あーなるほど、任免権を持つ摂関や大臣に逆らえるわけが無い。「各荘園、権利関係は明確でした!」で終了よ。

 逆に公卿の皆さまにしてみれば、「どうせ荘園が取り上げられることは無い、御世代わりして最初の政策決定でもあるし、ここは主上のお顔を立てておくか」と、まあそういう。

  

 「でもいま弁官局に集められている『若手』、非摂関系らしいんだ。出世の機会チャンスだって、目の色変えてるそうよ」


 ならば話は簡単だ。


 「そこに持ち込めば良いんじゃない?」 


 そんな私の脊髄反射を受け止めたのは伊勢のため息。

 

 「連中が両てんびんかけたらどうするの? 表向きは荘園整理の仕事に励み、主上の覚えよろしく。裏では前関白さまに書類を届けて恩を売る」 


 そして書類を公にしようとした私に憎悪が向かうって? 怖っ。

 

 「顔を強張らせるってことは理解できてるみたいね。私がそうするかもしれないんだよ? もう少し危機感持ちなさいって」

 

 伊勢あなた。言いながら書類を投げて返すか? それもずいぶんとまた、真っ直ぐな笑顔を浮かべてくれちゃって。たぶん私も同じ顔をしていたんだと思うけど。

 ……男の人はこんな時、どういうやりとりをするんだろう。

 

 「心当たりもあるし、こっちでもいろいろ調べとく。ただお互い無理だけは禁物だよ。そのことは忘れないで」


 確かに危機感が足りなかった。老人が命懸けで託した書類だったってのに。


 「迷惑かけるね、伊勢。忘れてくれても良いんだよ?」


 でも私はどうしよう、無かったことに……できるのかな。

  

 「気にしないで、私にも得になる話なんだから」


 やけに嬉しそうなその笑顔。

 そうそう、元外記との関係をもう少し。非番が重なる機会は貴重なんだし、


 「罪は許したけど、人柄まで信用したわけじゃないから。情報交換の相手よ、あくまでも。あちらのお気持ちは知りませんけど」


 おーおー、こないだまで非モテだったくせに、調子に乗りおる。その勝ち誇った笑顔、腹立つわー……って、悲しくなってきた。


 女の友情と嫉妬についてアンニュイな思いを抱きつつその日を過ごし、いつものように里内裏の輪番に出勤すれば。

 憂鬱とは無縁の少女、阿閉あへの小姫さんが笑顔で迎えてくれて。


 「おはようございます、お姉さま! 実は教えていただきたいことが」


 あ~癒されるんじゃ~。

 キッツい母さまでも恋多き宿禰すくね様でも無く、天真爛漫な小姫さんってのが救いですよ。

 

 「その……男の方からお文をいただいたんですけれど、どうしたら良いのか」


 とっても素敵な笑顔をこちらに向けてくださる。


 「頼りになるお姉さまに教えていただきたくて!」



 「お歌なら、なんと言っても源博士さまが!」と。

 暴れず怒鳴らず泣きもせず、作り笑顔でおしゃべりに興じた自分を褒めてあげたい。いえ、褒めてください。頑張ったよね、私。

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