第3話 女史(おんなはかせ) その2

 伊勢が官に就いたきっかけは、童女御覧わらわごらんだった。


 新嘗祭にいなめさいに付属する祭事に、五節舞ごせちのまいがあるけれど。童女御覧は、その五節舞にさらに付属する行事です。五節舞姫が舞台に立った次の日、そのお付きを務めていた子供たちが呼ばれるの。

 着飾って並ばされる子供たち。その前にしつらえられた観覧席に座ることができるのは、ごくごく限られた方々のみ。主上や皇后さま、皇太后さま、公卿のお歴々……つまり「高貴なご一族ご親戚」。

 そして童女たちは、御前で扇を取ることを命じられる。だから「童女御覧」。

 「ただ顔を眺められるだけ」と言えば、それだけのこと。でも平安女子にとって、それはかなりその……はしたないと申しますか、みだりがましいと申しますか、そういう事態で。小さな女の子でも嫌なものなのよ。そこを「扇を去れ」って申し向けるのは、「良いではないか、良いではないか~」と、まあ。そういう話と同じです。


 紫式部も「……御覧の日の童女の心地どもはおろかならざる物を……あひなく胸つぶれて、いとをしくこそあれ(童女御覧の日の、童女の気持ちは普通でないのに……(見てる私も)胸がつぶれるようで、かわいそうでしかたない)」って言うぐらい。どうにもね、ちょっと品の無い行事。

 

 だと思ってたんですけどね。

 清涼殿に上がれる催事なんですもの、子供たちにとっては好機チャンスでもあるわけよ。評判を取れば、おきさきさまのもとに女童としてお仕えできる。やがて女房に、それこそ内侍やそれ以上も見えてくる。子供だって馬鹿じゃないもの、七つ八つともなればそれぐらいの知恵は回るし、親も教え込んでる。

 だから「扇を去れ」と申し向けられるや、しなを作って扇を投げるような子もいたみたい。「あざといわー」って、かえって評判悪かったみたいだけど。逆に頑として扇を手から離さず、おとなが毟り取ろうとしても最後まで抵抗したって、評判を得ることに成功した子もいるし。

 素なんだか、演技なんだか……なんて考えちゃうあたり、私もそうとう擦れてきた。すまじきものは宮仕え、何か大事なものが削ぎ落とされていくような、そんな気分。


 この童女御覧の盛況ぶりたるや、公式行事である五節舞を超えるほどなんです。観覧席に座れない貴族や女房たちが、ひとめ覗き見しようと清涼殿に架け渡される仮橋かりはし(仮設の橋、童女の入退場口)の脇に詰め掛けるほど。

 舞姫や童女たちの献上者には、上東門院じょうとうもんいんさまを始めとした――当時皇太后だった、太皇太后さまはどうなのかしら? いえ、よけいなことを言うべきじゃないわね――院宮さまや中宮さまから装束や臨時の禄も下される。大変な名誉なんです。

 当然の流れとして、童女たちの衣装ときたら、それはもう贅美を尽くしたものになるわけよ。いただいた禄を上回る莫大な持ち出しによって催事に華を添える、これぞ「臣下の道」って。そう考えちゃうのが受領の皆さまですもの。





 「たいへんなご散財でしたでしょうに。親心とはありがたきものと申しますが、時に重荷でもあるように思われます」


 梅花咲き初める折、伊勢が女史に就任して一年が過ぎたころだったかと思う。

 阿閉あへの宿禰すくねさまを相手に、そんな愚痴をつぶやいたことがある。


 ちょっと品が無くて、でも華やかな童女御覧。

 そこに優等生の伊勢が参加していたってのが、どうにも解せなかったから。

 参加させたのは養親である勾当内侍こうとうないしさまだけど、やっぱり微妙にそぐわない。裏方で堅実な仕事をなさる方だから。


 でも考えてみれば、名前を知ってもらうには滅多にない好機だもの。実の親がいない伊勢に宮中での地歩を築かせようって、それも親心かな、なんて。

 だって、五節舞姫や童女を献上する機会は、貴顕を後ろ盾にした受領層全員が狙ってるのよ? 勾当内侍さまは女房とは言え、叩き上げ。参加できる童女の枠は四つ、そこに伊勢を捩じ込もうと思ったら、それはもう持っている伝手コネを総動員して、ありとあらゆるところに頭を下げてと、大変なご苦労のはず。いざ参加が決まれば、費用の問題が出てくるし。高級取りの内侍さまでも、お財布の底をありったけはたいて足りるかどうか。

 女官たちで費用かかりを出しあったりもしたのかしら? 裳着もぎの前で正式な養女認定がされていないから、このころは伊勢の面倒を内侍司のおとなたち見ていたって聞いてるし。


 と、ほのかな陽気に、漫然とそんなことを思っていたんだけど。

 

 「伊勢さんいえ源博士げんのはかせさまも、きの朝臣あそんどのも、親御さまの背中があまりに大きうございますものね」


 阿閉宿禰さまの声は、やや湿り気を帯びていたから。

 そっと視線を送ってみたけれど、同じぐらいにそっと視線を外された。


 源博士こと伊勢は、阿閉宿禰さまに懐いている。つらいことがあると姫松区画を訪れる。

 今日も養親・勾当内侍様にこっぴどく叱られた伊勢は泣きそうな顔でこちらに立ち寄って。三人でおしゃべりの末にようやく元気を取り戻した彼女の背中を見送りながらの会話だった。


 「しかし尊敬できる友もまた、ありがたきもの。源博士さまと紀朝臣どのとのご縁には、心ひかれるものがあります」

 

 足音も聞こえなくなるのを見計らって、宿禰さまが語り出した。

 私ではなく、庭のおもてに目を据えて、いえ、何見るともなく視線を遊ばせつつ。

 周囲に薄くまんべんなく気を配る、それは主上の行幸にお供する時のありようで。

 

 「伊勢さんの実のお母様とは、仲が良かったんです。いえ、私が一方的に尊敬し憧れていたの」

  

 やはり女官であった伊勢の母君。「人並み優れたる」女人であったと、ほんの時折、そんな話が漏れ聞こえてくる。美人薄命のならいに違わず、彼女を産んだ後に体調を崩し、半年あまりで亡くなったとも。

 そして彼女を慕う女官たちが、残された伊勢をよってたかって養育したと。イイハナシダナー。


 そんなこと、ありうると思う? 

 保護者を失った弱者は路傍に放り捨てられる、それが平安の世の習い。

 飢え、あるいは凍えて命を落とし野良犬の牙にかかる、それが京の日常風景。

 孤児を育てるとしたら、売るためよ。よほど運が良くても使用人待遇……それぐらいの運は持っていたかな、伊勢の場合。

 と、言うのも。伊勢のお母さま――皆さんあまり口にされないから、呼び名を知らない。記録を見ればいみなは分かるけど、まあ良いか。失礼をお許しいただいて、げんの某女ぼうじょとしておきます――源某女さまは、女官の中では血筋の良いほうだったから。

 母方だけではなくその父君、伊勢のお祖父さまも身分高きお方だったということまで皆が知ってる。

 だけどそれぐらいじゃ、ね? 女官は母系社会。母方の家族が誰も残っていなかった伊勢の生涯、その先行きが明るいことなんて、本来なら絶対にありえなかったはずだけど。


 「あれ? そう言えばなぜ『げんの』博士なんです?」


 いくら母娘で職を継承するにしても、氏は男親のものを継ぐはず。

 紀家ウチや阿閉家みたいな、例外中の例外は別にして。


 阿閉宿禰さまの目は、真っ直ぐお庭に注がれたままで。答えのかわりに言葉が続いた。


 「伊勢さんのお母さまは、得選とくせんだったのですけれど」

 

 得選。「選を得たる」女官。

 選抜された采女からさらに抜擢されて、主上のお身回りのお世話をする役職。

 血筋正しく見目麗しく所作にも品があってこそ務まるお仕事。


 「素敵な方でした。いつも良い匂いをさせていらして。出仕して間もなかった私は後を慕い、纏わりつくようにしていたものです」


 その源某女さま、得選として先の主上のお側に勤めること二年で職を辞した。

 およそ半年の後、伊勢は生まれた。


 阿閉宿禰さまの目に、光が宿った。散らしていた意識を集束させた証。

 視線は、姿勢は、警戒を解いていなかったけれど。


 「女人にょにんの何たるかを私に教えてくださった方です」



 その源某女、ある日突然内侍司ないしのつかさに帰ってきた。

 何枚も重ねたうちきの重さに耐え、青白く痩せた頬に化粧を施し。

 

 「最高に装い、気を張っていらしたの。痛々しいほどでした」


 病気ではないと主張するため、でしょうね。内裏に参ずる資格が無いと言わせぬように。


 「『これまでお世話になりました内侍司の皆さまへ、お礼を申し上げたい』とおおせになって」


 お別れの挨拶だって、皆さまそう思ったとのこと。

 「幼き人を残していくのは、さぞ心残りでしょう」なんて口々に言うけれど。

 赤の他人の子を引き取る心積もりがある人なんて、いるわけもなくて。

 美人だからやっかみもあったし、「いい気味」なんて陰口を叩く人までいたって。


 でもすぐ呆気にとられちゃったらしい。いかなる手段を用いたものか、彼女は誰も見たことの無いような宝の山を運び込んできたから。

 内侍さまのお部屋を借りるって言い出した時の威厳、誰も逆らえなかったって。

 

 「それから、椀飯おおばん振る舞いがありました。酒食だけではなく、調度に飾り細工、唐衣からころも大袿おおうちき。繍絹白絹……内侍さまから順に、女官の端々までのお振舞い」


 カツカツで暮らしている女嬬にょじゅとは違う。貧しさに苦しむような境遇ではない。累代の財、お父君から受けたもの。得選として働いた二年は主上の覚えもめでたく、下賜もあったはず。

 それでも女官は女官、想定される枠がある。だがその枠を桁から越えてきたと。


 「みな、気づきました」


 全財産を、家屋敷まで処分されたのだって。

 

 「小娘だった私にまで……品の良い香炉をくださって。『秘密ですよ』と、いつも慕っていた香りの調合を囁きながら」


 阿閉宿禰さま、両の掌を上に向けていた。

 そっと見詰め、また庭の彼方へと視線を遊ばせていた。


 「これでお別れと思ったら、あの方のお顔がぼやけてきて。でも伊勢さんのむずかる声が聞こえてきたから」


 ――笑わなくちゃって。いいえ、あの方の笑顔が見たかったから――


 「『お任せください、必ずや』と。何も知らない小娘でしたけれど、伊勢さんは私が守るんだと。そうしたら、私の両の手をぎゅっと握られて」


 ――たおやかだったあの方に、これほどの力があるとは思いもしませんでした。透き通るような笑顔にまるでそぐわぬ熱さでした――

 

 「でもね? お勤めして四年、いまの紀朝臣どのならお分かりでしょう?」


 ええ。人の世は憂きもの、つらきもの。

 たおやかな笑顔も、光り輝く宝物も、何もかも。守ってくれるのは力だということ、貴族の中で立ち働く中、理解できるようになっていた。

 権力財力武力ある保護者を持たぬ者は、全てを奪われてしまう。彼女がいくら財を積んで、頭を下げて赤子の将来を頼んだところで、むしろその態度こそが「もはや力が無い」ことの証明になってしまう。

 伊勢の将来は暗いはずだった。


 不快な想像と、伊勢の現実の境遇と。そのつながりが、飛躍が理解できなかった。

 そんな私を見透かしていたかのごとく、阿閉宿禰さまが庭から私に目を転じた。


 「母は強い」


 私の目を、じっと見据えていた。


 「あの方は強かった。怖いものなんか何も無かったのね」


 源某女は、賭けに出ていたのだ。

 

 「彼女のお振舞い、今思い返せば人手も何もかも足りず、稚拙なところもありました。他の式次第を知らなかったということもあったと思います。とはいえ、それでも。畏れげもなく彼女は模したんです。女官ならば誰もが知る、一つの御世にただ一度の饗宴、立后の際に行われるお振舞い。その式次第を」


 一つの御世にただ一度、立后の際に行われる……女房女官饗禄!?

 自らを擬えるに事欠いて……その、まさか。


 「まさか、そんな」


 「ええ。そんなことをしたら、内侍さまがたが黙っているわけもない。あの方はぎりぎりのところを突いたんです。自らの身は、あくまでも式次第を補佐する官人の立場に置いていました」


 宿禰さまはそうおっしゃるけど。

 仮に源某女が自らを……その、擬えていたとしても。制止できるはずがない。

 女官が目のくらむような財産を手にする機会を寸前で奪われたら、暴動になる。内侍さまでも抑えられない。

 

 「そう、あの方は取り仕切っただけ。自ら振舞ったわけではなかったんです」


 こちらが混乱していることなど、重々承知のはず。

 それでも阿閉宿禰さまは畳み掛けてきた。そこで呆けてもらっては困ると言わぬばかり、さらさらと淀みなく。


 「上座にあったのは、饗宴の主催者は、生まれたばかりの伊勢さんです」

 

 いくばくかは知らず、でも思考が停止したことは確かで。

 言われた内容をぶつぶつと、三度ほどつぶやいてやっと理解できたけど。

 

 でもそれって、その意味するところって。


 「伊勢のお父さまは」


 「そうかもしれない、そうではないかもしれない」


 宿禰さまは悪い笑顔を、艶なる微笑を浮かべていたけれど。


 その通りだ。分からない。分かるはずがない。

 得選の控え室である大盤所だいばんどころに出入りを許された公卿に蔵人、その数は一人や二人ではない。彼らは後宮にも出入りが許される。そして上つ方は、皆さまご親戚のようなもの。どなたかに似ていたとしても、いずかたに縁があるかまでは確定のしようがない。まして自宅に通わせている男があったのかなかったのか。全て知る由も無い。

 それでも。「可能性」が、わずかでもあるならば。


 累代主上に仕える、私たち内侍司の女官。

 可能性があるならば、見捨てるなんてことは絶対にできない。

 その印象を強烈に植えつけるための、「赤子からのお振舞い」。

 

 いえ、それだけじゃない。

 饗宴にも劣らぬ財を、余すところ無く女官に配った。

 狭い世界で働く内侍司の女官、その全員を不遜な振舞いの共犯者に仕立てるために。莫大な財産をもらっておいて見捨てることへの罪悪感、いえ、相互監視体制を作り出すために。

 

 心理を計算しつくして、縛りつけたんだ。


 「重ねていた袿も、最後には豊かなおぐしまで配られて。おぐしと思っていたのは、かもじでした。すでに髪をおろされていたの。身軽になられて、そのまま内侍司に背を向けられて。後のことは存じません」


 僧形で内侍司に出仕する? いえ、かもじをつけていればまだ女人かしら?

 どこまでもギリギリを突いて、しかも咎め立てを許さず押し切って。


 何を言えば良いものか分からなかった。

 ただただ、宿禰さまの凄艶な笑顔を見詰めるばかり。



 不意に、ウグイスが鳴いた。

 早春ならではの短くて不器用な声。しゃっくりでもしたみたい。

 ぷっと吹き出した宿禰さま、ぱっと柔らかな目に変わった。 

 

 「呆然とする私たちを正気に返したのは、伊勢さんの泣き声というわけです」


 再び目を庭に転じた宿禰さま。

 間抜けなウグイスの所在を求めるその姿、その声。やっぱりどこか間延びしていて。


 「若い頃は女房にあこがれていました。たおやかにおっとりと、慎み深く。だから伊勢さんのお母様にくっついて歩いた。でもね? 私は間違っていた。あの方に魅かれた理由を、自分でも分かっていませんでした」


 ――あれほどしなやかでたくましい女性を、私は見たことがない。おきさき様がたの誰よりも美しく、女房衆の誰よりも才長けて、女官の誰よりも強い力をお持ちでした――

 

 「これが女だと。生き方を教わったんです」


 そして、いまの阿閉宿禰さまが生まれた。

 妖艶で謀に長け、馬も自由に御する恐るべき女人が。




 数年の後、伊勢は童女御覧に出た。

 平安女子の平均的羞恥心により、ためらうことややしばし。ご下命に応じて扇を顔から去ったところが。

 並居る貴顕の皆さま、声を失われたとか。遊興の催事が粛然たる祭事に様変わり。


 仮橋の脇にあるべき勾当内侍さま、いつの間にやらすぐ側に控えておいでで。

 「母は得選の源某女、いまは私の養女です」


 童女御覧。

 この催事に出場する童女の階層は、はっきり決まっている。

 最上流の姫君は出ない。低い身分の者を出せば、追却(内裏出入り禁止)に及ぶほどの厳しい処分が待っている。出場するのはその中間の四位五位、受領あるいはそれこそ内侍といった階層に属する童女。


 勾当内侍さま、並居る貴人の御前にて、伊勢の立場を明確に宣言された。

 


 そして内侍司への出仕が決まった伊勢は、采女から女史へと破格の抜擢を受けた。女蔵人から内侍へと続く道も見えてきた。

 源某女の切望は果たされつつある。私たち女官の希望へと形を変えて。

 

                         (第一章 了)

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