第2話 女房(にょうぼう) その1


 私たち東豎子あずまわらわの勤務先は内侍司ないしのつかさ

 里内裏は東対ひがしのたい……寝殿造の南東角だと思ってください。


 さらにその一角にある姫松ひめまつ部屋(仮称)には――いえ、先に申し上げた姫松「区画」が正確なところね。几帳をめぐらしただけですもの――輪番(ローテーション)で、四人のうちからふたりが詰める。

 今日の相方は阿閉あへの宿禰すくねさまのご息女、名乗りは同じく阿閉宿禰。

 仕方ないのよ、このお仕事は代々我ら紀家と阿閉家の家業なんだから。

 そう言えばお分かりいただけると思うけど、紹介してない四人目は私の母さま。氏姓はやっぱりきの朝臣あそん。私が季明すえあきで母さまが季成すえなり。阿閉宿禰母娘は友成さまと友明さま。


 ご覧のとおり紛らわしいので職場の皆さん呼び名を工夫してるけど、両家の間ではだいぶくだけてる。なぜって、固く踏んでも二百年は続いてる同僚ですから(紀家うちでは天武のみかどまで遡るって言い張ってる。だったら四百年ものよ)。親戚みたいなものなんです。

 そんなわけで裳着を今年済ませ、出仕しはじめたばかりの阿閉宿禰(娘)の友明さまは私のことを「お姉さま」って呼んでる。私から彼女の呼び名は「小姫さん」。


 この小姫さん、お母さま譲りの美人なの。可愛らしいと言いますか。小柄で色白、愛嬌あふれるお顔、艶やかに長い髪。

 対する私たち紀朝臣母娘は、男装の麗人。男装して麗人。それで察しろ。

 背が高いって損よ? 七寸高ければ、七寸ぶん髪が短く見えちゃうでしょ? 平安美人の必須条件はみどりなす黒髪なんだから! 

 だから愛らしい小姫さんと並ぶと、もう気恥ずかしくて。でも対照的だからこそうまく行く、それも世の習い。そういうわけでふたり、手狭もとい小体な一角で、和気藹々と、その何だ、英気を養っておりますの。


 と、申しますのも。内侍司に詰めてる時って、にわかの行幸(ぶっちゃければ危急からのご避難)に備える待機が主要業務なのよ。つまり基本、わりと暇。だから小姫さんも女房装束(いわゆる十二単ね)を着込み、脇息に肘をついてゆったりと庭を眺めてる。

 絵になるわねえ……って、そうそう失念してました。私たちが男装するのは主上の行幸に従いまいらせる時だけです。ふだんは後宮に勤務している他の女官(※ただし上役と接する者に限る)と同様、袴に十二単を纏っておりますの。王朝絵巻そのもの、優雅な時間を過ごしております。


 大声を上げたりドタバタ走り回ったりなんて、そんなはしたないまねは……。

 悲鳴よね、あれ。床板にも揺れが伝わってるし。

 

 「お助けを! どなたかおいでください!」


 ついに届いた叫び声。顔を見合わせるや新社会人の小姫さん、先輩に使い走りはさせられないと勢い込んで立ち上がったけど。「行って参りますお姉さま!」なんて言葉も終えぬうちから袴の裾をふんづけて転んでる。かわいい。

 おとなの装束に、重さに慣れていないのね。分かるわー。懐かしいわー。


 「私が参ります。小姫さんは後からゆっくり、様子を見ながらおいでくださいね」


 ここぞとばかり勤続七年の先輩風を吹かせたは良いけれど。

 物慣れた女官・女房(私なりの区別。内侍司に籍を置いている官人が女官で、おきさき様方の私的な補佐役スタッフが女房。このあたりの事情はまた追々)が乱れ騒ぐほどの事態だと思うと、ちょっと早まったかなあ、なんて。

 だから時間を稼ぐべく、いえ、上役への礼を尽くすべく。内侍司のお局、その中を行くのは御遠慮申し上げまして。あえていったん簀子すのこに出ることといたします。

 どうぞ皆さま、ご遠慮なく追い抜いてくださいませ。お先に伺候していただいて構いませんのよ? と言わぬばかり、しずしず歩んでみたものの。そこは物慣れた皆さま、考えは同じなのよね。

 押し出されて仕方なく先頭に立ち廊下の角を曲がれば、見えてくる騒動の発生源。

 我らが上司・典侍ないしのすけさままします上座のご一角。

 

 正直、あまり近寄りたくない場所なのよ。

 官人やくにんとしての地位が違いすぎるし、家の格式に至っては天地の差だし、何より詰めている女房衆がうるさくって。着ているものから小物から、顔に態度にお辞儀の角度。お局に入る前にひと声かける、その挨拶選びから重箱の隅をつつくようにして品定めされるのだからたまらない。

 でもこうなっては仕方無い……んだけど、ええと。さてどうしよう。


 「どなたのおいでですの!?」


 助かった。呼びかけてもらえれば答えるだけ。


 「たまさかにお側を通りかかりました、東豎子あずまわらわの紀季明にございます」


 「これは頼りになるお方、幸いにございます」

 「さあどうぞ、どうぞお入りくださいませ」


 心にも無いことを口にしてらっしゃるけど、それがお作法ってものよね。

 まだるいやり取りもこういう時はありがたい。心の準備ができるもの。

 だから行動もお作法通りに。御簾の隅をそっと持ち上げ、ずずいとにじり入れば。

 日頃広いお局のあちこちに座を占めていらっしゃる女房の皆さま、影も形も無い。

 奇妙だからとじろじろきょろきょろ眺め回そうものなら、また陰で何か言われるに決まってる。だからこれまたお作法通り、部屋の片隅にてそっと平伏しつつ、上目で人の気配を探れば。

 皆さま御几帳重なる奥の院に、典侍さまのお傍に固まっていらっしゃるご様子。


 「典侍さまにおかれましては……」


 ご機嫌うるわしく、と続けたいところだけど。この状況でそれを口にしては嫌味にしかならないでしょ? まーた後でちくちくねちねち言われても困るから、「もにょもにょ」で口上を終えておく。


 「どうぞお顔をお上げください」

 

 典侍さまの最側近、少納言しょうなごん内侍ないしさまからのお声がかり。日ごろ穏やかなそのお声が、例になく切羽詰っていたけれど。

 言われたからってがばっと顔を上げては失礼にあたるので。ほんのちょっぴり平伏の角度を高くするにとどめる。この状況を長く楽しもうなんて、そんな野次馬根性ではございませんことよ?


 「どうぞご遠慮なさらず」

 

 応じて、今度こそしっかりと顔を上げ、かざした扇の陰からそっと窺えば。

 部屋の真ん中に、紐につながれた唐猫一匹。ぐいっと背を反らせ欠伸をしていた。

 その足元には……ああはい、そういうこと。 


 んー、ちょっと腹立つかなそれは。わざわざ大声で人を呼び立てることか? 


 「姫松どのに頼みまいらせること、心苦しくはありますが。近くにあった女官に声をかけましたところ、みな職責上不浄に触れることができぬ者、いえできぬ方ばかり。あるいは騒動に怯えたものらしく」


 扇をかざし顔を隠している私の心情を、几帳の向こうからきっちり読み取っていた。怖い人だわ、少納言内侍さま。

 

 「……女房の皆さまはその、おおどかにいらっしゃいますゆえ、いまだ不慣れで。細かなところにも行き違いが」


 あ、いえ。誤解があったか。

 典侍さまの後宮入りに伴って、内侍の地位を受けられたことが効いてるみたい。何かと外部折衝を経験されて、結果女官の立場にもご理解を生じたものと。そういうことみたいね、これは。

 ともかく。歯切れの悪い説明で状況が理解できた。


 猫がネズミを獲ってきた。ご主人さまに見せに来た。

 で。女房衆はおおどか(おおらか)であると。つまりお嬢さま奥さまだから処理できないと。

 そりゃ実家にいる時はそうでしょう。お付きの侍女に任せれば良い、いえ任せるべきですもの。

 でもさあ。女房勤めしてるなら、典侍さまにお仕えしてるなら、すぐにでも立ち上がって御前から片付けるのが仕事でしょう? できないで済ませて良いわけない。何のため、誰のために出仕してるのよあなたたち。 

 だいたい、受領の北の方おくさまに怖いものなど無いでしょうに。しこたま財産詰め込んだご自宅の塗籠ぬりごめ(屋内倉庫)にネズミでも出た日には、悪鬼修羅夜叉羅刹に成り代わって八つ裂きになさってるはず。そんなこと庶民でも知ってるわよ。


 細かなところの行き違いってのも、つまるところ、こう言っては何だけど。

 そういう片付けをする女は格下であると。手を出したら負けだと。女房どうしで牽制しあったその結果、女官に片付けさせようとしたんでしょ。

 そのテの牽制合戦してる時の女、いえ男もだけど。見るに耐えないものだってことは皆様ご存じでしょう? 必要以上に他人を見下すことで自分を上に見せようとする例の姿です。何て申しましたかしら、あれですあれ。犬だの猿だのが上位を取り合うあの仕草と変わらないじゃない。醜悪そのもの。


 ともかく掃除を命ずる態度や言葉づかいがむやみに権高で、女官を見下げるものだったことは間違いない。

 腹に据えかねた女官、水取もいとりだったのかしら? 「私は仕事がら飲み水を扱います。不浄に触れるわけには参りませぬ」とでも言い返したらしい。御膳かしわで(料理担当)だったのかも。他の女官も何やかにやと言い訳する。言い訳できない女官は恐慌パニックを装い、悲鳴を上げて逃げ奔る。

 結果、上から下まで誰も彼も引っ込みがつかなくなって今に至る。 

 つまりその。私は貧乏くじを引かされたと。


 ま、仕方ない。典侍さまと言えば主上のご寵愛深きお方、そもそも我が上司。恩は無いけど恨みも皆無ですもの、片付けて差し上げます。

 でもネズミかあ……やだなあ……。いえ、だいたい嫌とかそれ以前に、職権侵害になっちゃう。大問題よ? 五代八十年にわたり恨みを解かない紀家の私が言うんだから間違いない。


 ですから。御簾を品良く持ち上げましてと。

 

 「掃部かにもり女嬬にょじゅはありますか?」


 女嬬、現場を支える実働要員。あけすけに言えばヒラの女官。

 水取もいとり(水回り)、掃部かにもり(掃除)、主殿とのもり(火気)、縫殿ぬい(裁縫)、闈司みかど(戸締り)……と、それぞれ担当が分かれてる。


 呼び終わる前に目が合った。

 もじもじと、地味な小袖の肩にかかったまとめ髪が揺れていた。


 気持ちは分かる。痛いほどに。

 私たち女官はおきさき様や女房衆とは、主上の御世が代わるごとに入れ替わる人々とは、立場から違う。同僚との付き合いが一生どころか代々続く。

 今回みたいに女官全体の地位と面子に関わる問題だと、「ひとりだけ裏切って」女房衆の言うことを聞くわけにはいかない。孫子の代まで人間関係にひびが入ってしまう。

 だからそれこそ比喩じゃなく、同僚と歩調を合わせて逃げざるを得ないんだけど。

 それは掃除担当の彼女にとって、職務意識との板ばさみで。


 仕事を取られて怒るのは、真剣に向き合っていることの裏返し。

 女官が仕事をしているから後宮は回っていると、その自負心ひとつで彼女たちは薄給激務に耐えてると言うのに。

 女房衆、本当に困ったことをしてくれたわよ。


 でも愚痴ったってしょうがない。これは私の仕事。

 女官でありながら上とやり合える、その格を持つ者の義務。

 

 「あちらにおりました。騒動を聞きつけて参りましたものの、呼ばれもせずに典侍さまのお局に上がって良いものか、ためらっていたようです」


 ――逃げたわけではありません。遠くからわざわざ来てくれたのです――


 二寸。二寸だけ、扇を下げた。

 待つこと二拍、几帳が動いた。

 

 丸みのある頬があからさまになっていた。

 目を逸らしそうになって、思いとどまった。

 扇をかざさぬその口元から飛び出した声には、張りがあった。

  

 「我ら内裏にて立ち働く身、女房も女官も変わるところはありません。職分おつとめを果たすにおいて何の遠慮が要りましょう」

 

 言い終えるや、内侍さまの口元が覆われた。

 さらに二寸、扇を上げようとはしなかった。


 「御前に参るよう、紀朝臣どのから伝えてはいただけませぬか?」


 ええ、認めます。最後は貫禄に負けました。


 聞いたか我が同僚よ。柱の陰、庭の片隅にて聞き耳立ててる女官の衆よ。

 これで手打ちは「済み」! 今度は私達が仕事する番だからね?



  

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