折れた芯

どれくらい時間が経っただろう。

ブツッ

絶望の淵に佇んでいた俊春は、一気に現実の世界に引き戻された。

(何だ、今の音は)

そう思うが早いか、小さな音を立てて目の前に、

黒い虫のようなものが飛んで来た。

目をこらして飛んで来た物体を見て、俊春はハッとした。

虫のように見えたそれは、小さなシャープペンシルの芯のかけらだった。

先程の妙な音は、シャープペンシルの芯が折れた音だったのだ。

隣の席から、イライラとした舌打ちが聞こえて来る。続いて荒っぽい、

消しゴムを紙に擦り付ける音がした。

(隣も焦ってるな)

自分の置かれている状況とどこか共通したものを感じ、

俊春は僅かに、隣の人物に同情した。


しかし。

同情はすぐに、押さえられぬ苛立ちと怒りに変わっていった。


ブツッ カチカチカチ ブツッ カチカチカチ ブツッ カチカチカチ


うまく書けないらしい。

隣が立続けにシャープペンを折っては芯を出し、

折っては芯を出しを繰り返している。

しかも折る度に、芯のかけらが俊春の方に飛んでくるのだ。

余裕しゃくしゃくで書ける答えも、芯がないので書く事ができずに

喘いでいる俊春を、まるで挑発しているかのように。


俊春は横目で、隣の人物を睨み付けた。

金髪のだらしない服装の男が、舌打ちしながら答案と格闘している。

カラーリングで傷みきった髪の毛を掻きむしり、面倒臭そうに溜息をついて、

消しゴムを動かす様が見えた。

更に、机の上をチラリと見、俊春は絶句した。

シャープペンを動かす金髪の机には、予備の鉛筆が2本、

きちんと置かれていたのである。


畜生。

その芯のかけらが、どれ程僕の神経を逆なでしているか判ってるのか。

お前みたいな、見るからに馬鹿そうな奴の出すかけらのひとつひとつが、

どれだけ僕を悩ませているか判ってるのか。お前みたいな馬鹿の出すゴミが、

僕は今、咽から出るほど欲しいのだ。…堪え難い屈辱だ。

おまけに予備の鉛筆まで完備とは、馬鹿の癖に周到ときてる。

大層なご身分じゃないか。

本来なら僕がそれを持ち、問題を解くにふさわしいのだ。

馬鹿のお前が持ったところで宝の持ち腐れだ。


それとも、僕はこいつになめられてるのかも知れない。

本来なら豪傑な剣の使い手であるのに、肝心の剣がないばかりに

殆ど無力状態のこの僕を、こいつは最初から見透かして、

優々と追い抜こうとしているのだ。


きっとそうだ。こんな現実許せるか。

畜生、馬鹿にバカにされているとは!


ブツッ


この時間何度目かの、シャープペンシルが折れる音がした。

心無しかその音は、何か糸のようなものが切れるようにも聞こえた。

俊春は、頭が真っ白になった。

気が付くと、隣の金髪の胸ぐらを掴んで、殴り飛ばしていた。



チャイムが鳴って、哲学Bのテストが終了した。

教室からどやどやと、試験を終えた学生達が出てくる。

試験の出来不出来の話題はそっちのけで、先程教室で起こった騒動の興奮を、

皆口々に言い合っていた。

しばらくして、あの金髪も教室から出て来た。

鼻に丸めたティッシュを詰めて、赤く腫れた頬をさすっている。


金髪の友人らしい男がくっついてきて、彼の肩を掴む。

「おい、お前アイツに何かしたのか」

「…わかんねぇ」

金髪は頬をさすりながら、呆然と呟いた。


既に教室には、佐々木俊春の姿はなかった。



俊春はおぼつかない足取りで帰路についていた。

金髪を殴った俊春は、担当教員に教室退去を命じられたのだ。

これで単位失格は確実なものとなった。

同時に彼の「栄光の道」も見事に断ち切られた。

…最悪の幕切れである。



ちょっと頭の機転を利かせば、解決できる状況だった。

否、簡単だった筈だ。少なくとも彼の優秀な頭なら。


一体何が、彼をここまで追い詰めてしまったのだろう。

シャープペンシルの芯1本だけが原因ではない事は、確かである。

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シャープペンシルの芯 やまだまなご @yamada-manago

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