星流夜
宇部 松清
12月26日のサンタクロース
小さい頃から、人の顔色ばかりうかがって生きてきたの。
私の親はとにかく厳しい……っていうか、自分の思い通りに事が運ばないと声を荒らげる人で、それは我が子に対しても同様だったのよね。
だから私は、親の機嫌を損ねないように損ねないようにってそればかりを気にするようになったのね。そしたらさ、自然と顔色ばかりうかがうようにもなるって、絶対。
でも、そのことで親を恨んでいるか、と聞かれたら、首を傾げざるを得ない、かな。
人の顔色をうかがうっていうのは、社会に出ると案外必要なスキルのような気がして。
常に先回りしてなるべくミスを回避することを第一に考えて生きてきたからかな、私ってこれで意外と同期の中ではそこそこに優秀なんだよ?
まぁ、たぶんその分働く量も多いんだろうけど。でも、私にとってはそれが普通の生き方だからさ。
人と衝突するのが嫌なの。
摩擦するのが嫌なの。
いつだってスルーされていたい。だってそしたら平和だから。少なくとも、私の中では。
怒鳴りちらされるくらいなら、人の倍時間をかけてでも、それがどんなに遠回りでも、手を尽くす。そっちの方が苦じゃないのよ。
だから、親から、
「そういえば、良いお話があるのよ」
なんて、いまどきほんとにあるんだって逆に驚くようなお見合い話が持ち込まれても、私は「そうだね、私もそんな年だしね」って愛想笑いをして。
それで、その人に会って。
どうでも良い話をさも面白そうに聞いて、聞かれたことだけに答えて。
ああこんなんでこの話がまとまっちゃったらどうしようなんて思ったりして。
私ね、エイプリルフールが大嫌いなの。
エイプリルフールはね、嘘をついても良い日だから。その日だけは本当の自分が顔を出しそうになって怖いから。全部「なぁーんて、嘘だよ」って言えば良いんだもん。だけど、そんなの、それこそが嘘だよ。だから嫌い。
だけど、もっと嫌いなのは、今日。12月26日。
お祭り騒ぎのクリスマスが終わって、今度は新年に向けて一直線になる日だから。
何でまだ残ってるのよって、半額シールが貼られたクリスマス用のお菓子がレジカウンターに置いてあったりして。まったく往生際が悪いと思う。でも、捨てりゃ良いじゃんって言えないのは、やっぱり食べ物だからかな。ケーキと違って日持ちもするみたいだし。しちゃうみたいだし。
私もそう。
ほら、ちょっと前にそんなのあったじゃない。
女性をクリスマスケーキにたとえるってやつ。
正直失礼ねって思わないでもないけど、でも、親からずっと言われてきたから、頭の片隅にはずっとあるんだ。
困っちゃうよね、私、いま26なの。
いままで人の顔色うかがってうまいことやってきたのに、こればかりは――恋愛とか結婚とかそういうのには、全然通用しないんだもん。
だから、ほんと言うと、さっきのお見合いがうまくいくのが一番良いのよね。
親にも良い顔出来て、ケーキはもう食べられないかもだけど、見た目だけならギリセーフ、でしょ?
手の上にサンタクロースのオーナメントを乗せ、隣に座るその女ははらはらと涙を流しながら、そんなことをぽつりぽつりと語っている。どうやら酒も軽く入っているようだった。
そのオーナメントは、おまけのようなチョコ菓子が括り付けられていて、それには『半額』というシールが貼られていた。
レジカウンターにひとつだけ、ぽつんと残っていたのだという。いたたまれなくて買ってしまったらしい。
ツリーなんてきっともう片付けただろう。もしかしたらもともと飾ってすらいないのかもしれない。それかもしくは、テーブルの上にちょこんと置ける程度の大きさかもしれない。だとしたら、こんなオーナメントなんて確実に必要のないものだ。
俺は、暖を取るつもりでさっき買った缶コーヒーをコートのポケットの中で握り、そんな心まで冷えてしまいそうになるオーナメントよりもこっちをその手に乗せてやった方が良いんじゃないかなんて思いながら、彼女を見ていた。
「えっと、何だろ……。元気出して……ってのはまぁ、俺が言えたもんじゃないんだけど」
そう言うと、彼女は、鼻を、ずず、と啜り上げてから「そうね」と言った。何だよ、全く失礼な女だ。俺の顔色はうかがってくれねぇのかよ。くそっ。
でも、いままで他人に幸せを与え続けて来たこの俺だ。
たとえ昨日で仕事が終わったとしても。
はいそうですか、だったら勝手に泣いてろくそ女、なんて言えるわけがない。
「ほら、これやるから」
なんか高そうな手袋の上に鎮座しているオーナメントを避け、まだ熱いコーヒーを乗せてやる。
イベントにさえ乗っかればこんな雑な作りの商品でもある程度は売れる。それがまた癪に障る。made inドコだ? 目の位置が左右でずれてるじゃないか。
女は驚いたような顔をして俺を見た。
やっと俺の顔を真正面から見てもらえた気がする。
「ありがとう」
さっきよりもかなり小さな声でそう言って。
ついでみたいな感じで「ごめんなさい」ってのも聞こえた。それは何に対してなんだろう。
「あの、え――っと、何だ、その……。まだまだ全然じゃないのか」
「全然?」
「あんたは生菓子じゃないんだ。多少見た目が崩れてきても、中身が腐ってなきゃ全然食える――と思う、俺は」
見た目が崩れてきても、なんて、かなり失礼なことを言ったという自覚はある。だけど彼女はそれに眉をしかめたりはしなかった。
「逆を言えば、だ。見た目がどんなにきれいでも、中身が腐ってんじゃ、金を積まれたって俺は食わねぇ。そんでもって、あんたが食いモンと決定的に違うのはな、一度腐りかけても、心掛け次第でどうにでも軌道修正出来るってとこだな。人間は腐ったりなんてしないんだから」
「軌道修正……かぁ」
「別に人の顔色うかがうのが悪いなんて言わねぇよ。俺とあんたは違うからな。俺には正直必要ないことだが、あんたには必要だったんだろ。だけど、エイプリルフールじゃないと嘘をついちゃダメなんて、そんな法律もないんだ」
だから、嘘はたくさんつけ、と俺は言って立ち上がった。
「人を傷つけない嘘ならたくさんつけば良い。だからこそ、俺達は生きていられるんだから」
そう言うと、彼女は「え?」と言って首を傾げた。
まぁそうだろうな。
「あなたは誰なの?」
ようやくその言葉に辿り付いた彼女は、いまさらちょっと背中を丸めて身を引いた。
「そんな露骨に警戒してくれるなよな。別にあんたに何かしようなんてこれっぽっちも思っちゃいないんだから」
そうは言っても、無駄だろう。彼女は腰をほんの少し浮かせて逃げる準備を始めている。
まぁ別にこのまま逃げてくれても構わないけどさ。
「俺、サンタクロースだったんだ」
と正体を明かしてみるも、彼女はやはり、というのか、半信半疑のようだった。いや、半疑ってもんじゃないか。全疑だ。
だから、もう袖を通すことはないと思っていた制服を纏う。
真っ赤な衣装に恰幅の良い身体、それから、白いひげ。
さっきまでの――三十路のくたびれたスーツ姿の男から、瞬く間に『いかにも』なサンタクロースになったもんだから、彼女は口をあんぐりと開けて固まっている。
知らなかったのか?
サンタクロースのこの姿って、全部制服なんだぜ?
サンタクロースに個性なんていらないからな。皆が皆、どの国の誰が見たって同じじゃないといけないんだ。こちとらイメージ商売なんでね。
だから、制服を全部脱いだ俺は、ただの三十路のくたびれたサラリーマンってわけ。
「だったってどういうこと?」
さすが人の顔色をうかがい続けた姉ちゃんだ。俺の言葉尻をしっかりとらえてきやがった。
なぁに、簡単な話だ。
自分の管轄の人間がサンタを信じなくなったら、引退。それが俺達のルール。
――え? 1人じゃないのかって? いやいやさすがに不可能だから。エリアごとに担当を置いてるんだ。
俺の場合は、自分の管轄の子ども達が軒並み大人になりやがって、
それでも昔は50くらいまでバリバリ働けたみたいなんだけどな。
いまは結構サンタを卒業するのが早いんだ。
賢くなったのかな、それとも、夢を見なくなっちまったのかな。
子どもが少なくなったってのもあるだろう。
昔は、子ども達が俺達を信じなくなっても、次々と赤ん坊が出来たものだからな、途切れることはなかった。
で、いままさに次の生き方をどうしようかって考えてたところさ。
だって、このまま次の生き方を選ばなかったら、しおしおに萎んで、消滅するんだぜ?
中には第2の人生ってヤツを謳歌する者もいる。だけど俺は正直悩んでる。
で、コーヒーでも飲みながら身の振り方を考えようかと思ったら、隣にこの姉ちゃんが座ったってわけだ。
「サンタクロースにも終わりがあるのね」
「そりゃそうだ。何事にも終わりはある」
そう返すと、彼女はしばらくの間、ぽかんと口を開けていたが、やがて思い出したように手の上の缶コーヒーに視線を落とした。ああもういっそ早く飲んじまってくれよ。温くなるだろ。
その思いが通じたのか、彼女は蓋を開けて口を付けると、ごきゅごきゅと喉を鳴らしてそのコーヒーを飲んだ。ほらな、だから温くなるって言ったんだ、俺は。あぁ、まぁ、言ってなかったかもだけど。
「あなたはその仕事好きだった?」
「そりゃあ、まぁ」
「これからどうするの?」
「さぁ。俺は別にこのまま消えちまっても良いかなって思ってるよ」
だって俺はプレゼントを配るしか脳がないからさ。
これしかやって来なかったから、これしか出来ないんだ。
「ねぇ、だったら、私が信じるから。あなたは消えないで」
「何だって?」
「だって、サンタクロースは本当にいたんだもの。目の前に。だったらもう信じるしかないじゃない」
「それはまぁ……そうだろうな」
彼女は空になった缶をしばらく見つめていた。手袋をしているとはいえ、そんなの持っていたら手は冷える一方だ。だから、無言でそれを回収した。空き缶のごみ箱だって俺の方が近いし。
「12月26日のサンタクロースって、何か変な感じね」
「そうか?」
「そうよ。一番クリスマスから遠い日だもの」
「そういやそうだな」
「引退しようがしまいが、あなたはこれからしばらく仕事ないわね」
人の顔色ばかりうかがっていたというその女は、相変わらずちっとも俺の顔色なんてうかがってくれない。くすくすと楽し気に笑っている。
「まさか。サンタクロースがクリスマス当日しか働いてないとでも思ってたのか?」
「違うの?」
「もちろん。管轄内の対象者のほしいものを徹底的にリサーチするんだ。サンタがプレゼントを外すなんてありえないミスだからな」
そう返す。
しかし、とりあえず当面はこの女だけなのだ。
「てことは、これから1年かけて私のほしいものをリサーチするってわけね」
「そうなるな」
「うぇー。やだ、それってなんかストーカーみたい」
「おいおい、すごい言い草だな」
いい加減俺の顔色もうかがってくれよ。いま結構気分を害した顔になってるはずなんだがな。
「嫌なら信じるのをやめりゃ良いだろ。俺は別にこの世に未練なんかないんだから」
その言葉に嘘はない。
例え輪廻転生なんて魂のリサイクルシステムなんかなかったとしても。
一生分の笑顔は見てきたつもりだ。
それだけあれば満足さ。
「目の前に存在してるものを信じるなって方が無理よ。それに――」
彼女はすっくと立ちあがると俺の手から空き缶を奪い取り、すたすたとゴミ箱まで移動した。一瞬ためらうようなそぶりを見せてから、それを鼻の穴のような形の投入口へと滑らせる。
「1日遅れだけど、ちゃんとほしいプレゼントももらっちゃったし」
「――プレゼント? そのコーヒーか?」
ずいぶん安上がりな女だ。
そう思ったが、さすがにそれは言わない方が良いだろう。
「違うよ。話を聞いてくれたでしょ」
「話くらい、誰だって聞くさ。別に俺じゃなくたって」
「違ったの。友達に愚痴ってるのとは、全然。猫被らないで、本当のことが言えた感じ。それと、エイプリルフールじゃなくても嘘をついても良いってことも教えてくれたでしょ」
「あぁ、成る程」
彼女はベンチに転がっているサンタのオーナメントを指差して、こう言った。
「だから、私だけのサンタさん。来年もきっと、私の話を聞いてね」
なんだ、来年もそんなことで良いのか。
「わかった。あんたが信じてくれる限り、来年も再来年もずっと話くらい聞いてやるさ。そのうち、また俺を信じる子どもも増えてくるだろ」
見上げれば、満天の星。
しかしいくつかの星は、空に張り付く力を失って落ちていく。
それが、信じる者をすべて失った俺達のように見えた。
落下して、どこにも衝突せず、燃え尽き、ふ、と消える。
ごめんな、俺はまだここにいられるみたいなんだ。
もう少しだけ、人を喜ばせるこの仕事を続けてみることにしよう。
メリークリスマス。
それはもう終わったけど。
星流夜 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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