三 バライシュ

 この小さな家から、ニアーダを救う最初の一歩が始まるのだ。

 王になると決めた翌朝から、センリはバライシュとともに王位を取り戻すための作戦を練り始めた。

「アテュイスとの面会を実現させなければなるまい。それには信頼できる人物の仲立ちが必要だが、一人だけ心当たりがある」

「チュンナク王子……ですか」

 センリは頷いた。

「チュンナクは私を可愛がってくれた。いまの政治にも疑問を抱いているはずだ。きっと協力してくれるだろう。問題は、私の即位をアテュイスにどう認めさせるかだが……これは現国王である叔父上次第だな。摂政が何と言おうと、国王が譲位すると言えば従うしかない。アテュイスに会う前に、叔父上と話をつけておく必要がある」

 バライシュはセンリの聡明さに舌を巻いていた。一度は死んだ自分が即位するために、何をすべきかを筋道立てて考え、誰が敵で誰が味方となり得るかを十二歳までの王城生活から判断している。その姿こそ、センリが王の器たる証に思えた。

「叔父上は、元々ご自分の血筋に王位を招きたいとお考えではなかった。おそらく私が生きているとお知りになれば王位を返してくださるだろうが、叔父上はご病気だ。私が直接城に出向く必要がありそうだな……」

 ふとセンリが言葉を止めた。部屋の隅で黙ってうずくまっているサエに目を向けて、「サエも一緒に考えてくれないか」と声をかける。

「私なんか、役に立てないよ」

「一緒に話を聞いてくれるだけでよいのだ。何かよい考えが閃いたら教えてくれ」

「王子様には、近寄れない」

「私はセンリだ。何も変わっていないよ。おいで」

 センリが微笑みながら手招きすると、サエは頬を染めて家から飛び出してしまった。

「おや、どうしてしまったのだろうか、サエは」

「さて、どうしてしまったのでしょうね」

 バライシュは笑いをかみ殺しながら言った。これほど賢い王子が、二つ年下の少女に自分がどう見えるのかまるで分かっていないのは不思議だった。ましてサエは、いままでセンリを男子とすら思っていなかったのだから、戸惑うのも無理はない。

 ともあれ大まかな作戦は決まった。まずセンリはチュンナク王子に面会し、彼に仲立ちを依頼して極秘にホルタ国王陛下との謁見を行う。そこで譲位を承諾いただくまで、アテュイスに会ってはならない。

 その日からバライシュは忙しく立ち回った。王城内の動向については、以前センリが身を寄せていた料理屋の協力を得て情報収集している。長年病床に臥せっておられるホルタ国王陛下のご容態はいよいよ悪化し、この冬が峠ではないかと囁かれているらしい。もしホルタ国王陛下がお亡くなりになれば、アテュイスが正式に即位してしまう。その前に譲位していただかなくてはならない。

 急がねばならないが、焦って事を仕損じては甲斐もない。行商人のサイモンに変装し、タオスにやってくるチュンナク王子と親交を深めつつ、憲兵隊ではアテュイスに不満を持つ仲間を集めておく。メイサディ隊長もその一人だ。センリには、万一の場合に備えて護衛が必要だからと説明してある。

 そしてニアーダ王国暦五一〇年五月三十一日、チュンナク王子とセンリの面会が実現した。

 バライシュはチュンナク王子を料理屋へ招き、上客だけが使える奥の個室へと連れ込んだ。そこに待っていたセンリの姿を見て、チュンナク王子は叫び声を上げて腰を抜かした。

「お、おばっ、お化け……!」

「お化けではない、ジュディミスだ。ご覧の通り生きているぞ」センリは楽しそうに笑った。「あなたは相変わらずだな、従兄殿」

 バライシュは金髪のかつらをとってチュンナク王子に素性を明かし、ずっと騙していたことを深く詫びた。センリもこれまでの経緯を語ると、チュンナク王子はぽろぽろと涙を流した。

「本当に、本当に、あのジュディミスなんだね……? こんなに大きくなって……」

「そうだ。私が先王ソニハットの子、ジュディミス・ニアーダだ」

 センリはチュンナクの手を取り、真摯な緑の眼差しを向けた。

「私はかつて、王位など欲しいと思ったことは一度もなかった。しかしいまのアテュイスのやり方では、この国はどんどん弱体化するだけだ。あなたもお分かりだろう、チュンナク。ニアーダ王家の血を引く者として、このまま手をこまぬいて見ているわけにはいかないのだ。頼む、私に協力してくれ」

 センリは深く頭を下げた。

「兄貴は……どうなるの?」

 返事をする前に、チュンナクは心配そうな瞳を向ける。

「なにぶん私は隠遁生活が長かったゆえ、この年になっても政務において学ぶべきことをほとんど学べていない。私が即位した暁には、アテュイスにはいろいろと教えを乞いたいと思う」

 センリはアテュイスを重用する意向を述べるに留め、具体的な役職を明言することは避けた。賢明な判断だとバライシュも思う。

「……分かった。僕も、兄貴のやり方には賛成できない。君に協力するよ。僕は何をすればいいの?」

「ありがとう、チュンナク」

 バライシュがこれからの計画について説明すると、チュンナク王子は小さな目を光らせ、真剣に耳を傾けてくれた。父であるホルタ国王陛下への謁見を取りつけることと、センリが人目につかないよう城までの馬車を手配すること、そしてアテュイスとの面会には、チュンナク王子の住まいでもある銀杏殿を貸してくれることを約束してくれた。

「銀杏殿か、懐かしいな。あの頃はまだ王家の別荘で、よくあなたや姉さまに遊んでいただいた」

「そうだったね。……そういえば、知ってる? ナジカが子どもを産んだんだ」

「本当か!」センリは目を輝かせた。

「うん。エナちゃんっていう、すごくかわいい女の子なんだ。ついこないだ生後半年のお祝いに行ってきたところだよ! ナジカもすごく幸せそうで、本当に良かった……」

 チュンナク王子はその光景を思い出してまた涙を拭っている。センリが「私も叔父になったのか。会えるのが楽しみだな」と少年らしい笑顔を見せると、バライシュは申し訳なく思った。エナのことは、本当は何か月も前から知っていたのに黙っていた。即位とは関係ないからつい忘れたのだと思い込みたかったが、実のところはシシーバを連鎖的に思い出すのがつらかったのだ。

 数日後、料理屋にチュンナク王子からの密書が届いた。ホルタ国王陛下との面会は、六月二十日に設定された。

「あとは叔父上に譲位を承諾していただくだけで、私は王になれるのだな……」

 感慨深げなセンリの言葉に、バライシュは本心を隠して頷いた。

 僕には、他にももう少し仕事がある。


***


 ニアーダ王国暦五一〇年十一月二七日


 バライシュとセンリは、ついにこの日を迎えた。

 ホルタ国王陛下への謁見を果たし、内々に譲位の承諾を得た後、アテュイスとの面会は二度にわたって一方的に延期されていた。明らかな時間稼ぎだった。ジュディミス王子が生きていることは、まだごく限られた人間しか知らない。アテュイスはこのまま父王が崩御するのを待って王位を継承し、ジュディミス王子を黙殺するつもりなのだ。本心では父王に毒を盛りたかったかもしれないが、弟であるチュンナク王子の目があるから下手なことはできない。

 これに対しバライシュは、憲兵隊に「どうやらジュディミス王子は生きているらしい」「ホルタ国王陛下は、近々ジュディミス王子に王位をお譲りになる」という噂をあえて流した。嫌々浮浪者の取り締まりをしていた憲兵たちは大いに励まされ、アテュイスの命令に従う必要はないと考えるようになった。どうせ近いうちに覆される命令なら、哀れな孤児やおとなしい僧侶をいじめても意味がない。

 憲兵隊が自分の命令を公然と無視し始めていると知ったアテュイスは、ついにセンリと面会することを決めた。十一月二十七日夜、一日の政務を終えた後に銀杏殿に赴くと約束したのだ。

「いよいよだな」

 センリが緊張した面持ちでつぶやく。彼がチュンナク王子に仕立ててもらった紫のデュイコラを着付けると、バライシュも胸を熱くした。髭こそ生えてはいないものの、センリはバライシュを助けてくれた先王陛下に生き写しだったのだ。バライシュがじっと見つめていると、センリに「そうまじまじと見るな。無礼だぞ」と冗談半分に怒られた。それでも、バライシュは彼の姿を目に焼きつけておきたかった。

 バライシュとセンリは昼のうちに銀杏殿まで歩いていくことになっていた。チュンナク王子が馬車を出すことを提案してくれたが、バライシュはこれを辞退していた。アテュイスにセンリの存在が知られたからには、銀杏殿まで目立たぬように向かわなければならない。迎えに来た馬車がアテュイスの刺客に尾行されている可能性も考えると、目立たぬように徒歩で行った方が安全だ――というのがチュンナクやセンリに対しての説明だが、バライシュの本意は別にあった。

「出発前に一服しないか?」

 バライシュは珍しく台所に立って湯を沸かした。センリはもうこのあばら家に帰ってくることはない。はなむけの盃を交わすには若すぎるからと、代わりに三人分の茶を淹れた。

 センリは口をつけるなり「苦いな」と顔をしかめ、サエも「お父さん、料理も茶淹れるのも下手ね」と舌を出した。

「そうか? お前たちはまだ子どもだから、この味わい深い風味が分からないんだろう」

 バライシュがごくごくと茶を飲んでみせると、サエも負けじと後に続く。

「ぷはー、これで分かったか。私子どもじゃないよ。センリと違って」

「言ったな、サエ? 私も王になる男だ。茶くらい、どうということはないぞ!」

 センリが鼻をつまんで茶を飲み干すのを、バライシュは笑顔で見届けた。

「三人で過ごすのは、本当にこれで最後なんだな……」

 しみじみとしたセンリの言葉には、サエともども涙を誘われそうになる。バライシュはしばし二人から視線を外して、ひとつ深呼吸をした。

「いままでありがとう。僕はサエやセンリと過ごせて、本当に幸せだった」

「何言うか。お父さんは、ここに帰ってくるでしょ? だって、お父さんが王様になるわけじゃ……」

 バライシュはサエの髪を撫でてやった。彼女の瞼が、だんだんと重くなっていく。

「……おとう……さん?」

 強烈な眠気に負けてサエが倒れたとき、センリは頭を抱えて必死に抗っていた。

「バライシュ、お前……茶に何を入れたのだ?」

「どうかお許しください。あなたのお命をお守りするには、やはりアテュイスを生かしておくわけにはいかないのです」

 穏やかな気持ちだった。先王陛下に、センリに、許しを請うのは何度目だろう。そのたびバライシュは自分の無力さに打ちひしがれてきたが、今日ばかりは違う。ようやく先王陛下に救われた恩を返せるときがきたのだ。いや、恩返しも王家の血筋も、もはや関係ない。センリはサエと同じ大切な家族だ。家族の未来は、命を懸けて守るに値する。

「私をアテュイスに会わせる気など、初めからなかったのか? 騙したのだな、私も、チュンナクも……」

「後のことは僕の親友に任せてあります。最後までお供できず、まことに申し訳なく存じます。どうかこの国を良き方向へお導きください」

「待てバライシュ、早まるな、待て……」

 センリが伸ばした腕が床に落ちた。二人とも夜更けまで目覚めないだろう。その頃にはすべてが終わっている。

 さようなら、サエ、センリ。

 血ではない絆で結ばれた家族を残し、「助ける者」はひとり銀杏殿へと向かった。

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