68:お姉さんに見送られて、後輩とデートへ出掛ける。
どうやら今月末日の「お別れデート」に関して、すでに南野さんは聞き及んでいるようだ。
面接前に晴香ちゃんと連絡を取り合っているうち、何となく話題に上ったのかもしれない。
いずれにしろ耳が早いなあ。恐るべし、女子高生間の情報ネットワーク。
「――ハルカは、もうアンタに振られたって言ってたんだけどォ」
南野さんは、支柱の物陰から鋭く
仕事中に話し掛けてきた理由は、この件を問い
「なのに振った相手と直後にデートするって、わけわかんないし」
「いやまあ、たしかに第三者から見れば意味不明だろうけど……」
僕は、品出し業務を続けながら、
何しろデートの件は、僕自身の自発的な提案で決まったことじゃない。
特殊な経緯をたどった結果、思い掛けなく成立してしまった話なんだ。
ましてや、僕は万事を受動的に解決しようとしてきたわけでもない。
少なくとも晴香ちゃんの告白を断り、お姉さんが好きだと明言した。
ただ「普通じゃない」んで、斜め上の状況になっているんだよなあ。
おまけに僕って、まだ初めて恋人ができてから三ヶ月しか経ってないからね?
もう同棲しているから忘れそうになるけど、まだバリバリ恋愛初心者だから。
それでこんな事態に直面させられちゃ、ある程度流れに身を任せるしかない。
「お別れデート」でどうなるのかも、試してみなきゃわからないと思っている。
もちろん美織さんの思惑通り、これで晴香ちゃんが初恋に踏ん切りを付けてくれればいい、と願っているけれど――……
「あのさァ。あの子とそんなデートに出掛けたりして」
南野さんは、ますます
こちらの反応を、生返事と感じたみたいだった。
「逆に初恋を余計引き
問い詰められても、すぐさま否定の言葉が発せなかった。
実のところ、その点は僕にしても若干不安を抱いている。
たぶん南野さんも、僕と晴香ちゃんの「お別れデート」が「二年間の片想いを清算するため」に企図されたものだ、という話は聞き知っているんだと思う。
とはいえ狙い違わず、それで本当に晴香ちゃんが
むしろ南野さんの指摘通り、尚更未練を
発案者の美織さんからして、
そんな恋愛初心者の着想を採用して大丈夫なのか、という懸念は
南野さんは、そこへ尚も
「アンタだって、ハルカと一緒に居るうちに情が移るかもしんないでしょーがァ」
「……それはまあ、お互いこれ以上ややこしいことにならないように心掛けるよ」
いまや僕にできるのは、決して美織さんを裏切らないことしかない。
たとえ「お別れデート」の当日、どんな出来事が起きるとしてもね。
それによって、晴香ちゃんが何を思うのかまではわからないけれど。
この夏が終わるときまで、ただ僕は誠実であり続けるだけだ。
「正直アンタをどこまで信用していいか、全然わかんないけどォ」
南野さんは、そんな僕に対して、あくまで不満げに釘を刺してくる。
「もしハルカのこと、これ以上泣かせたりしたら殺すからな絶対」
これまで晴香ちゃんが泣いたところを、僕は見たことがない。
しかし南野さんの言葉に反論しようとは、当然思わなかった。
いつも朗らかなあの子が、人知れず何を感じているのか……
告白を断って以来、それを想像しなかったわけじゃない。
だから僕は、返事代わりに南野さんの
「優しいな南野さんは。友達想いだね」
「は? ……マジでウザいんだけどォ」
なぜか再度
元々ツリ目気味なせいで、いっそう険しい面持ちだった。
そのまま、
「アタシから見ればパイセンさァ、
「単に自分の恋人以外は、特別な女性だと思えないだけだよ」
僕は、商品棚へスナック菓子を補充し続けながら、溜め息混じりに答えた。
自分はともかく、美織さんのことを
「君だって今は未成年でも、いずれすぐ大人になることを忘れない方がいいと思う」
「あァー説教マジウザいし。そんなんアタシもわかってるっつーの、上から言うな」
南野さんは、また一段と語気を
今にも
「だからアンタのせいで、ハルカがJK生活の恋愛二年も棒に振ったのが
そうして支柱の物陰でこちらから顔を背け、
通路を挟んで反対側の区画へ向き直り、ベーカリーコーナーを眺めはじめた。
視線の先には、
本日も例によって、二人の様子を監視するつもりみたいだ。
何だか不審者めいた行動も、だんだん板についてきた気がする。
無論
「……だからアタシだって、こんな必死で髪まで黒くしたんじゃん……」
南野さんは、売り場の支柱に半身を隠したまま、ぼそりとつぶやく。
ベーカリーコーナーを見詰める瞳には、奇妙な悲壮さが
南野さんと言葉を交わすのを、僕もそれ以上は止めておくことにした。
漠然とだけれど、この件には埋め難い価値観の
品出し業務に専念し、在庫の袋菓子を黙々と棚へ詰めていく。
しばらくすると、背後で
「――ぬああぁッ! ひ、氷川のヤツ、松田さんとあんな近くで……!」
いちいち振り返って、南野さんの様子を
周囲に酷い迷惑を掛けたりしない限りは、何となく好きにさせておいてあげたくなった。
〇 〇 〇
何はともあれ――
「お別れデート」当日(八月三一日)がやってきた。
普段より少しだけ早めに起床し、朝食を済ませる。
手早く外出の準備を整えると、玄関で靴を
僕を見送るため、お姉さんもリビングから出てくる。
「じゃあ、そろそろ行ってくるから」
「ええ、晴香さんにどうぞよろしく」
出掛ける前にひと言告げると、美織さんは緩やかな所作でうなずいた。
が、急に枯葉色っぽい瞳を潤ませ、憐れみを誘う声で泣き付いてくる。
「今日のデートでどんな
「たぶん美織さんが想像しているような過ちは何も起こらないし、予定通りに帰ってくるよ」
さすがに
僕と晴香ちゃんのデートを提案したのは、貴女自身ですから何度も確認しますけど。
今更「どんなに男が放蕩しても、最後にたどり着く女は私」感出さないでください。
そのこじらせた部分も含めて美織さんだけだからね、僕が大好きなのは。
情けなく
雛番中央駅から地下鉄に乗り込み、まずは市内の中央区へ移動した。
南区在住の晴香ちゃんとは、星澄駅前の広場で合流する約束だった。
JR星澄駅の構内を出て、待ち合わせ場所の大時計へ向かう。
所定の位置まで来ると、すでに「お別れデート」の相手である女の子――
晴香ちゃんがそこに立っていた。どうやら少し待たせてしまったみたいだ。
今日の晴香ちゃんは、涼しげでガーリーだが、
ペールカラーの
膝丈のプリーツスカートは、清楚な白地を基調としつつも、淡い花柄が散らされていた。
「ごめんね晴香ちゃん、遅れちゃったかな?」
「いいえ、ほとんど時間ぴったりですよ先輩」
駆け寄って
人差し指で頭上を指差し、大時計の針と文字盤を示す。
現在時刻は午前九時二七分。約束した時間の三分前だ。
「あたしも丁度、今来たところですから」
「そっか。だったら、いいんだけど……」
お決まりの言葉を交わし、僕は安堵に胸を
と、晴香ちゃんが上目遣いにこちらを覗き込んできた。
両手を後ろに回して、僅かに上体を手前に傾けていた。
「えへへ。実は前から一度、こういうやり取りしてみたかったんですあたし」
「こういうやり取りって……待ち合わせで『今来たところ』っていうやつ?」
ちょっと意表を
晴香ちゃんは、嬉しそうに「はい」と答えて首肯した。
「やっぱりデートで待ち合わせしたら、定番の会話だと思いますし」
「ああ、なるほど。言われてみれば、たしかにそうかもしれないね」
「はい。――そのために今朝は、ちょっと早く家を出てきたんです」
晴香ちゃんは、かたちの良い唇の隙間から、ちらりと舌を覗かせる。
悪戯っぽい視線を向けられ、僕は目を白黒させずに居られなかった。
「えっと。でも、晴香ちゃんも『丁度、今来たところ』だって……」
「そっちは嘘です。本当は九時一〇分頃から、先輩を待ってました」
晴香ちゃんは、悪びれる様子もなく言って、姿勢を正す。
「狙いが当たって、作戦成功です。おかげで夢がひとつ
明るく微笑み続ける後輩を、僕は思わず正面から見据えた。
何気なく、ごく「普通」に交わされる待ち合わせでの会話。
晴香ちゃんは、そのやり取りに
それが事実だとして、僕はこの子の行動をどう受け取るべきなのだろう。わからない。
「どうかしましたか、先輩」
ちょっとだけ考え込んでいたら、晴香ちゃんが不思議そうに声を掛けてきた。
薄墨色の大きな瞳を二、三度、ぱちぱちと
僕は、慌てて「何でもないよ」と言って、体裁を取り
「そうですか。――じゃあ、そろそろ出発しましょうか」
晴香ちゃんは、再び笑顔を咲かせると、場所の移動をうながした。
本日二人で赴くデートスポットは、星澄市の郊外に位置している。
ここで無駄に油を売っていると、到着するのも遅くなってしまう。
一も二もなく同意して、僕は晴香ちゃんと共に駅前広場を離れた。
〇 〇 〇
いったんJR星澄駅まで引き返し、
車内で一時間余り揺られると、西区の街並みを通過して市外へ出た。
星澄
名称通り緑豊かな土地で、都市部より大規模な行楽施設が集まっている。
野球場やゴルフ場、スキー場、スケートリンク、コンサートホール……
その他にも、博物館とそこに併設された化石研究センターが有名だった。
ぎんの森東駅で電車を降りると、僕らは駅前のバス停へ向かった。
そこへほどなくシャトルバスがやって来たので、迷わず乗り継ぐ。
この車両の行き先こそ、県内有数の遊園地「ぎんの森レジャーランド」だ。
同レジャーランドは、半世紀前の開業以来、周辺地域在住のファミリー層からカップルまで、幅広い来園客に愛されているという。
バブル崩壊後の閉園危機も、営業努力で巧みに乗り越え、現在に至っているらしい。
まあ僕は元々他地域出身だから、来園したのは今日が初めてなんだけどね。
「ぎんの森レジャーランド」正面ゲート前に到着すると、まずは二人で券売所の窓口に並ぶ。
アトラクション利用し放題の一日入園パスポートを、大人(高校生以上)二人分購入した。
尚、パスポートは一枚四八〇〇円。事前に調べて知っていたけど、わりとお高いんだよね。
しかも学割なしだから、高校生の
などと思っていたものの、晴香ちゃんに不満はなさそうだった。
「むしろ、あたし一人だけ先輩より安いなんて、嬉しくありません」
「えっ、そうなの。学生料金で入れるなら、そのぶん得じゃないか」
意外な答えに虚を衝かれ、思わず首を捻ってしまう。
晴香ちゃんは、どことなく憮然とした反応を示した。
なぜか不見識を非難されているような心地になった。
「それはそうですけど……。あたしも、大人ってことでいいんです」
ちいさくつぶやいてから、晴香ちゃんは不意に横へ視線を逸らす。
それから早口になって、言い訳するように付け足す。
「――その、あ、あたしはバイトで、お金には困っていませんから」
あっ、そ、そうなんだ……。
まあ晴香ちゃんぐらい稼いでいれば、高校生のうちは金銭的に余裕もあるだろう。
一応、ご両親の扶養を外れない範囲で、計算しながら働いているみたいだけれど。
実家暮らしで、自分のこと以外にお金の使い道がないのなら、尚更かもしれない。
「それより、早く遊園地の中に入りましょうよ先輩」
晴香ちゃんは、次いで急に話題を転じると、正面ゲートへ足早に歩き出す。
「今日は二人で目一杯、思い出作りするんですから」
……こうして僕と晴香ちゃんにとって、最初で最後の「お別れデート」がはじまった。
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