69:お姉さん不在で、後輩と遊園地を巡る。
入園パスポートを提示し、正面ゲートを潜る。
真っ直ぐ進むと、すぐさま大きな広場に出た。
そこでいったん立ち止まり、僕らはぐるりと周囲を見渡してみる。
視界に飛び込んできたのは、沢山の来園客が楽しげに賑わう光景。
舞台となっているのは、青い空と白い雲、豊かな自然の緑と……
その合間に建ち並ぶ、大小様々な娯楽施設だ。
八月三一日の「ぎんの森レジャーランド」は、とても盛況そうだった。
まあ学生は夏期休暇最終日、おまけに土曜日だから尚更かもしれない。
明日は日曜日だから、休みの日自体はもう一日あるはずだけどね。
「――あっ。先輩、あれ見てください」
そのとき、晴香ちゃんが不意に声を弾ませ、前方を指差した。
「マスコットの『ラプとん』ですよ!」
指し示された先を見てみると、広場の中央に着ぐるみが一体立っている。
ミントグリーンの体表に
人間のようにTシャツを着用していて、星柄が銀色でプリントされた生地も絶妙にダサい。
このユルい恐竜こそ、遊園地のマスコットキャラクター「ラプとん」だ。
ネットで調べたところによれば、昔「ぎんの森」では恐竜の化石が発掘されたことがある。
まあ厳密には恐竜の骨格じゃなく、足跡の化石らしいんだけど、それでも貴重な発見だったのには違いない。しかも人気の
「ラプとん」は、そうした背景を踏まえて生み出されたという。
「たまに県内のローカル番組で見掛けることがありましたけど」
晴香ちゃんは、ユルい恐竜の着ぐるみ――
「ラプとん」を眺めながら、無邪気に言った。
「実物の『ラプとん』はテレビで見るより、可愛い気がします」
可愛い……? むむむ、それはどうだろう。
ラプとんは、
その姿は親しみこそ感じられるものの、むしろ個人的にはユーモラスな印象が強い。
もっとも晴香ちゃんには、何か感性に刺さるものがあったみたいだ。
ラプとんの仕事振りを、少し離れた位置から興味深そうに見ている。
まあ女子高生が使う「可愛い」って、意味や用途の幅が広いからな。
ゆるキャラを眺めて可愛いというのも、ある意味で「普通」っぽいのかもしれない……
などと考えて自分を納得させているのは、僕が女子高生を理解していない証拠だろうか。
それはさておき、園内を見て回ろう。
「さて差し当たり、どのアトラクションから挑戦してみようか」
僕は、手元で「ぎんの森レジャーランド」内の見取り図を広げた。
券売所で入園パスポートを購入した際、一緒に手渡されたものだ。
この広場から近いもので言えば、メリーゴーラウンド、回転ブランコ、ジェットコースター、コーヒーカップ、ウォーターライド……といったところだろうか。
その他のアトラクションは、園内でも多少敷地の奥に位置する。
「晴香ちゃんは、どれがいい? 気になるものを言ってご覧よ」
「う~ん、そうですねぇ。正直、どれも気になりますけど……」
どこから回るか要望を訊いてみると、晴香ちゃんはすすっと近付いてきた。
こちら側へやや斜めに身を乗り出し、隣から思案顔で見取り図を覗き込む。
自然と肩が触れ合い、互いの顔も接近したので、少し面食らってしまった。
セミロングの黒髪からは、甘酸っぱい
普段お姉さんの髪から感じる
僕は一瞬、妙に
故意にひとつ咳払いし、晴香ちゃんにも注意をうながす。
「……あの、晴香ちゃん。ちょっと顔近いから」
「あっ。す、すみません、夢中になっちゃって」
晴香ちゃんは指摘を受けて、ようやく自分の姿勢に気が付いたらしい。
慌てて身体を引いて離れ、バッグの中から同じ見取り図を取り出した。
忙しない動作でそれを開き、何かを誤魔化すように手元へ視線を落とす。
恥ずかしそうにうつむく横顔は、頬がうっすらと桜色に染まって見えた。
……本当に頼むよ後輩。しっかりしなきゃいけないのは僕もなんだけど。
「えっと。まずは定番ですけど、ジェットコースターがいいです」
改めてアトラクションの種類を確認した上で、晴香ちゃんが希望を述べた。
ふむふむ、なるほどジェットコースターね。
たしかに遊園地において、定番に位置付けられる乗り物系アトラクションだ。
まずはデートの方向性を探る上でも、王道中の王道から攻めるのは悪くない。
「よし。それじゃ最初に試すのは、ジェットコースターにしよう」
目当てのアトラクションを決めると、二人で並んで歩き出した。
ジェットコースターが設置されたところまでは、広場から左側へ伸びる路面を進む。
空中ブランコの脇をすり抜けると、
乗車するためのホームまで上がる階段の前には、来園客が大勢で行列を作っている。
ふと見れば、最後尾の傍には立て看板が置いてあった。待ち時間が掲示されている。
「――『列のここから待ち時間二〇分』、ですか」
晴香ちゃんは、立て看板の文字を読み上げる。
それから、こちらを物問いたげに振り返った。
僕は、苦笑を交えて、軽く肩を
「さあ、どうする。このまま並んで乗るのかい?」
「それはその……。はい、先輩がかまわなければ」
ちょっと
ならば決まりだ、乗ろうじゃないか。僕の側には別段、否応言う理由はない。
それにどうせ、今日の園内はどのアトラクションを回っても、まったく並ばずに楽しめる場所はないんじゃないかと思う。夏休み最終日な上、土曜日だってことを忘れちゃいけない。
そんなわけで、僕と晴香ちゃんも行列に加わった。
自分たちより先に並んでいた来園客は、四、五分毎に前進する。
それに
「ねぇ先輩。あれ、見てください」
乗り場に続く階段の手前まで来たところで、晴香ちゃんが
薄墨色の大きな瞳は、遊園地の係員が詰めている操作室付近を眺めていた。
うながされるまま視線の先を追うと、恐竜の人形が立っている。
「ここにも『ラプとん』が居ます」
晴香ちゃんが言う通り、先程見たものと同じキャラクターみたいだった。
ついつい脱力しそうになるような、個性的な造形には
ただし背丈は、着ぐるみより随分と低く、明らかに子供と同じぐらいだ。
ラプとん人形は、
その表面には赤い太字で、来園者向けに注意書きがなされていた。
【 このアトラクションには、ボクより背が低い子は乗れないよ! -117cm- 】
ジェットコースターの身長制限を警告しているらしい。
搭乗可能なのは、人形と同じ身長一一七センチ以上か。
小学校低学年ぐらいだと、乗れない子供も居るのかな。
「先輩って、何歳で初めてジェットコースターに乗ったのかって覚えてます?」
こちらへ向き直って、晴香ちゃんがおもむろに問い掛けてきた。
遠くに目を向けながら記憶の糸を
「うーん、どうだろう……。たぶん小学三、四年生の頃じゃないかと思うけど」
「そうなんですか? だったら、あたしの方が先ですね。小学一年生ですから」
晴香ちゃんは、勝ち誇るようにして、無邪気に笑う。
「あたしって、これでも子供の頃にはけっこう背が高い女の子だったんですよ」
「へぇ。じゃあ学校でも、クラスで背の順に並ぶと列の後ろの方だったんだ?」
興味を引かれて訊いてみると、晴香ちゃんは「はい」と答えて首肯した。
そう言えば幼少期って、女の子の方が男の子より成長が早い、って聞いたことがあるな。
その上で「特に背丈が高かった」となれば、同時期の僕より確実に早熟だったんだろう。
「ちなみに先輩って今、身長何センチなんですか」
「大学中退前から変わってなければ、一七三かな」
大学一年次前期の身体測定結果を思い出しつつ、晴香ちゃんに返答する。
あれ以来計測していないけれど、背が伸びていても誤差の範囲だと思う。
高校三年生の春に測った際も一七三センチで、変わっていなかったから。
「わっ。やっぱり身長高いですよね、先輩」
「お世辞はいいから。平均ぐらいでしょう」
「あたしから見れば、充分高い背丈ですよ」
女の子特有の社交辞令は、適当に受け流しておく。
「普通」なら見え透いたやり取りでも、喜ぶ男は少なくないだろう。
とはいえ、この子を相手に僕が勘違いするわけにはいかないんだ。
「あたしって中学生の頃にもう、今と同じ身長一五七センチあったんですよね」
晴香ちゃんは、こちらの反応に多少不服そうだったけれど、先を続けた。
「でも高校生になる前に止まっちゃって。そこからは全然伸びていないんです」
「ふうん。ひょっとすると背丈が伸び切っちゃう時期も、少し早かったのかな」
「はい、たぶん。……まだ他の部分は成長するはずだって、
漠然とした推量を述べると、晴香ちゃんはこくりとうなずいて言った。
それから、やけに神妙な面持ちになって、自分の胸の上へ手を乗せる。
僕の顔と自分の胸のあいだで、交互に何度か視線を移動させた。
「まだ他の部分は成長するはずだって、諦めてませんけど」
「それをどうして、二回言ったの」
「やっぱり先輩は、大きくて立派な方が好きなんですか?」
「僕に突然、何を質問しているの」
「若年男性の平均的な需要を調査しておこうと思いまして」
「僕だけじゃ平均はわからないよ」
わりと真剣に問い
仮に平均的な需要を満たしたところで、それが例えば恋愛で何の価値を持つのだろう。
特定の誰かを好きになるってことは、往々にして「特別な一人」を心に決めることだ。
一〇〇人のうちで「普通の九九人」から好かれても、あまり意味はないかもしれない。
その点については、さすがに晴香ちゃんもすぐに気付いたみたいだった。
「じゃあ先輩の場合、おっぱいが大きいかどうかは恋愛の加点要素じゃないんですか?」
「……加点要素っていうのは、
思わず口の端から、苦笑が漏れてしまう。
個々人の特徴を批評するような視点は、どの道好きになれそうもなかった。
そこには
でも晴香ちゃんは、尚も先を続けた。
「恋愛の決め手じゃなくても、ついつい
「それって例えば、女の子もメガネの似合う知的な男が好きな人は多い、みたいな話?」
「主におっぱいがいいか、
「心惹かれる特徴が性欲と結び付いたやつしかなくない!? 即物的すぎるんだけど!」
「まさか人前で言い難い性癖があるとか……。
「その種の行為をどうして好きだと思ったの僕が!? しかも大幅加点の根拠は何!?」
「恋愛の決め手じゃなくても、ついつい心惹かれる異性の特徴ってあると思うんですよ」
「ていうかそれ異性の好きなところじゃなく、単に個人の
晴香ちゃんが訳知り顔で話す主張は、誰がどう聞いてもツッコミどころだらけだった。
ていうか、明らかにわかっていて言っているよね? 天然でボケるタイプじゃないし。
何はともあれ気を取り直して、ちょっと真面目に返事しようか。
「きっと誰かを本気で好きになったら、相手の好きなところが徐々に増えていくと思う」
ジェットコースターに並ぶ行列が前進したので、僕はそれに合わせて歩く。
しゃべりながら、頭の中では美織さんのことをぼんやり思い浮かべていた。
晴香ちゃんも、こちらの言葉に耳を傾けつつ、離れないように付いてくる。
「好きじゃないところがあっても、だんだんと気にならなくなって、どうでもよくなる」
「だとすると、加点要素は増える一方で、減点要素も少なくなっていくってことですか」
僕は、簡単に「そうなるね」と答えて、再び立ち止まった。
乗り場の階段まで来たところで、係員に制止されたからだ。
「ずっと長いこと一緒に居続けても、そういう状態が維持できるかはわからないけどね」
たかだか交際三ヶ月程度じゃ、これ以上のことは言えなかった。
まだ僕は、お姉さんとの同棲生活で、特にこれといって不満を覚えた試しはない。
しかし何年も一緒に過ごせば、いずれギクシャクする出来事は充分に起こり得る。
「永遠に恋人を嫌うことはない」と言い切れるほど、絶対的な関係かはわからない。
二人に間違いが起きるはずはない、と思い込むのは無根拠な過信だと思う。
もっとも晴香ちゃんには、僕の言い分が面白くなかったみたいだった。
「何だか思ったより、当たり
「そうかい? 今の話じゃ、気に入ってもらえなかったかな」
「はい。恋愛談義の一般論みたいで、優等生な答えというか」
「てっきり僕は、君なら一般論が好きだと思ったんだけどね」
僕は、若干わざとらしく、かぶりを振ってみせた。
「一般論っていうのは、ごく『普通』ってことじゃないかな」
真剣な恋愛の感覚は普遍的で、特殊なものじゃないと思う。
足し引き可能な要素をありがたがるだけじゃ、むしろ「普通」に誰かを好きにはなれない。
僕も美織さんも「普通じゃない」かもしれないけど、そこにこだわっているわけでもない。
それどころか恋人のことぐらいは、ちゃんと「普通」に好きでありたかった。
「……まさか先輩が、そんな意地悪言うと思いませんでした」
晴香ちゃんは、目を横へ逸らし、可愛らしく
「普通」を信条とする子には、皮肉が効きすぎたかもしれない。
晴香ちゃんの有様を見て、僕は少しだけ反省した。
だが、あえて言葉に出して、謝罪したりはしない。
今更
この子が僕に対して望んでいるのは、もっと別の言葉のはずだろう。
数分経過して、いよいよ僕ら二人のジェットコースターに乗る順番が来た。
その頃になると、晴香ちゃんはあっさり普段の朗らかさを取り戻していた。
「ねぇ先輩。折角ですから、二人で前の方に乗りませんか?」
後輩は笑顔で言ってから、率先して車両の先頭側へ駆け寄ろうとする。
僕は、
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