51:お姉さんはコスプレ撮影会を開始する

 呆気あっけに取られていると、美織さんがもじもじしながら問い掛けてきた。


「……えっと。こっ、この制服どうかな?」


「と、突然どうと言われても、そのぅ――」


 僕は、かろうじて平静を装いつつ、お姉さんの服装を頭の天辺てっぺんから足の爪先までつぶさながめた。

 濃紺のブレザーは、襟裾えりすそに特徴的なデザインがほどこされていて、かなり洒落しゃれた印象を受ける。

 白いプリーツスカートの下から伸びた両足は、黒いオーバーニーソックスに包まれていた。


 ――うっ、うわあぁ……これは何と言うか、相当色々とマズいのでは……!? 


 額ににじんだ汗が、頬の横を伝って流れるのを感じた。


 いやだって、お姉さん(アラサー)が制服姿でオーバーニーソックス(黒)なんですよ。

 おまけにジャケットの内側に納められた胸部は、楚々そそとしたブラウスに包まれつつも、圧倒的な体積の豊かさを自己主張している。

 黒ニーソは大腿部だいたいぶとの境界で肌に食い込み、正直おっぱいも見るからにはち切れそうだ。


 すなわち、以外のなにものでもなかった。

 ていうかまぎれもなく、(二回目)だった。



 ただまあ、あくまでそれ(※むちむちぱっつん)はそれとして――

 容姿に対する率直な見解を述べるなら、僕の答えはひとつしかない。


「……うん。メチャクチャ可愛いよ、美織さんの制服姿」


 そう、少なくとも恋人として、これはいつわりなき気持ちだ。

 お姉さんはどんなものを着ても可愛いな、と心から思う。


 感想を伝えると、美織さんはちいさなうめき声と共に喜色を浮かべた。

 いささか食い気味に身を乗り出し、念押しするようにたずねてくる。


「本当に? アラサーでもこんなの着てて変じゃない?」


「あっ、あー。いや、僕は本当に可愛いと思うけど――」


 僕は、思わず気圧けおされ、半歩後退あとじさりしてしまった。

 両目をわずかに泳がせつつ、いっぺん深く呼気を吐き出す。

 それから質問に対し、あくまで正直に付け加えて言った。


「ただ、なんていうか、ちょっぴり卑猥ひわいに感じるかもしれない」


「ひ、卑猥って。……ううっ、まあ言いたいことはわかるけど」


 美織さんは、悲しそうに肩をすぼめ、落胆した表情でうつむいてしまった。

 左右の人差し指の先を胸の前で、ちょんちょんと繰り返し突き合わせる。

 これまた可愛らしい仕草だけど、厳然たる事実はくつがえらない。


 何たって美織さんは、童顔と言えど二八歳アラサーなのである。

 でもってブレザーの制服は、女子高生が着用するもの。


 たしかに僕は、これまで「お姉さんは実年齢よりも若く見える」と主張し続けてきた。

 仮にそれが恋人として色眼鏡で見た所感だとしても、決して嘘をいたつもりはない。


 ……だが、何事にも限度はある。

 いくら何でも、美織さんを「女子大生より幼い面立ち」とまでは言えなかった。

 こんなにむちむちえっちなお姉さんで、やはり女子高生ってことはないと思う。

 つまり、あくまで現在の美織さんは「女子高生の制服を着たお姉さん(※成人済み)」だ。

 誰がどう見ても、生粋きっすいの女子高生には見えない。贔屓目ひいきめにも、一〇歳近い年齢の壁は厚い。


 そうして、オトナのお姉さんが女子高生の制服を着ている状態というのは、そのぅ……

 むしろ客観的な印象だと、何か別の方向性に属するものから受けるそれが近かったりする。

 例えば、特殊なお店で男性向けサービスを提供する際のコスチュームプレイ的なやつとか。

 まあ、きっと本人も何となく、その辺りの雰囲気には気付いていたんだろうけどねー。



「あの。ところで、もしかすると――」


 僕は、ひとまず仕切り直そうと考え、故意に咳払せきばらいしてみせた。


「その制服が『作画資料』なのかな?」


「う、うん。実はその通りなんだけど」


 当て推量の質問に対して、美織さんはぎこちなくうなずく。

 どうやら思った通りだったみたいだ。やっぱりそうなのか。


 お姉さんは、今後仕事で「ファンタジー要素のある学園ラブコメ」を描く、と言っていた。

 ファンタジー的な部分に関しては、元々お姉さんの専門分野だから知識も不足はないはず。

 ならば新規に補充の必要がある資料は、必然的に学園物特有の作画で有意味なものだよね。


 取り分け学園物の作品であれば、「制服」のデザインが肝になるのは論をたないと思う。

 だから美織さんは女子高生が着る制服を、改めてしっかり観察したいと考えたんだろうな。


「昨日ね、実家へ戻ったときに気が付いちゃったんだよ――」


 美織さんは、どうにか気を取り直した様子で、現状に至る経緯を説明しようとした。


「私も昔は女子高生で、制服を着ていた時期があったことに」


 たしかお姉さんは、かつて笠霧美術大学に在籍していたんだよね。

 で、同大学の所在地は他県なので、高校卒業と同時に実家を出た。

 以後は都内のゲーム会社に勤めていた時期もあったため、ずっと一人暮らしのはずだ。

 言い換えるなら、美織さんに実家暮らしの記憶があるのは、高校時代までということ。

 だが、それゆえ久々に実家へ帰ったら、女子高生だった頃のことを思い出したらしい。


 と、お姉さんは連鎖的にひらめいてしまった――

 まだ実家を探せば、当時着用していた「制服」が残っているのでは? 

 かくして過去に自分が使っていた部屋の中を、あさりまくったそうだ。


「それで、女子高生時代の制服を本当に発見してしまった、と?」


「試しに押し入れを探してみたら、奥の方から出てきまして……」


 事実関係の確認を求めると、美織さんはちょっと伏し目がちな表情で答えた。


「さらに出来心でそんな、い、いかがわしい恰好コスプレをしてしまった、と……?」


「で、出来心じゃないよ!? ちゃんと必要性があって着たんだからぁ!!」


 尚も重ねて事情を問い質してみたものの、制服着用は発作的な行動じゃなかったみたいだ。

 もっとも自分の外見がいかがわしい点に関しては、否定しなかった。自覚はあるんですか。


「あのね、絵を描く際は対象物の量感を意識しなきゃいけないの」


 美織さんは、あたかも女教師が生徒を指導するような口調で言った。

 ただし本人の服装は教師じゃなく、完全に生徒そのものだったけど。


「量感っていうのは、物体の厚みや回り込みのこと。わかるかな」


 若干専門的な話っぽいけど、何となく言いたいことは伝わってくる。

「平面上に描く絵の物体でも、本来は立体である」ってことだろうな。

 そういう要素を意識しながらイラストを描かなきゃいけない、と。


「だからキャラクターに衣服を着せた絵を作画するときも、ただハンガーに吊るしたものを眺めつつ描くより、実際に人物が着用した状態のものを観察して描いた方が参考になるんだよ」


 そこで、他ならぬ美織さん自身が作画資料のため、制服を着てモデルになったんだとか。

 うんまあ、元々自分の制服だし、部分的にむっちむちのぱっつんぱっつんである以外は、生地の丈もぴったりみたいで、かなり似合っているから悪くない(※いかがわしいけど)と思う。

 とはいえお姉さん、身体張ってるなあ~……。これがイラストレイターのプロ根性なのか。


「でも、まさか作画資料を着たまま、自分の恰好かっこうを見て漫画を描くの?」


「さすがにそんな無茶なことするわけないよ。そこまで器用じゃないし」


 つい思い浮かんだ疑問をそのまま口にしたら、美織さんからツッコミ入れられた。

 なんかもうやばいな、珍しく僕の方が天然でとぼけたことを訊いてしまったようだ。

 いささか非日常的な事態に接しているせいで、我ながら平静さを欠いている。


 しかし美織さんは、こちらの狼狽ろうばいなんかおかまいなしで、話を続けた。


「だから裕介くんにはね、これで今から私の写真を撮って欲しいんだよ」


 そう言うとブレザーのポケットから取り出したものを、僕に差し出す。


 手渡されたのは、デジタルカメラだった。

 以前に水族館でデートした際にも、水槽を撮影するのに使用していたものだ。

 ……要するにこれで、僕がお姉さんの制服姿を写真に収めろってわけですか。


「あ、あのぅ。これはもしや、いわゆるコスプレ撮影会というやつなのでは……?」


「ちょ、何を言ってるの裕介くん!? 至って健全な作画資料の収集作業だよ!!」


 恐る恐る危険な事実を指摘すると、美織さんは激しい身振りを交えて抗弁した。必死だ。

 あくまで「仕事上の有用性をかんがみて、止む無く撮影する」という立場は崩さないらしい。

 まあいずれにしろ、これもお姉さんにとって大切な漫画のためだと思えば、僕としては頼みを聞き入れざるを得ない。できる限り応援するって、こないだ約束したばかりだからね。


 ちなみに美織さんの話によると、実は世の中には一部の出版社から「女子高生の制服姿ばかり沢山集めた写真集」なども発売されているという。

 そうした書籍も無論、作画資料として重宝ちょうほうするそうだが、必ずしも絵を描くにあたって必要なポーズの写真が収録されているわけじゃないとか。

 実家にある卒業アルバムも似たような理由で、参考になる写真は少なかったそうだ。



「ええっと。とりあえず撮影する場所は、リビングよりも他の部屋にした方がいいかな?」


 美織さんは、いったん周囲を見回してから考え深げに言った。


「ここだと撮影時に写り込むものが多くて、作画資料には不向きな写真になりそうだから」


 モデル以外の余計な事物は、あまり写っていない画像が望ましいそうだ。

 ごちゃごちゃした写真だと、逆に細部が見難みにくくなりそうだし当たり前か。


 そんなわけで、美織さんは僕の手を取ると、率先して寝室まで移動した。

 なるほど、ここならリビングより内装もシンプルで、インテリア類もいくらか少ない。

 お姉さんは入室するなり、まず窓のカーテンを閉め、まだ正午前なのに照明をけた。

 ここはマンションの九階だし、そうのぞかれる心配はないと思うけど、念のためだろう。


「――よし。じゃあ裕介くん、シャッター切るのをお願いできるかな?」


 美織さんは、室内の真ん中付近に立つと、準備万端といった様子で言った。

 それから左右の足をそろえて背筋を伸ばし、片手を腰に当てたポーズを取る。


 僕は、その傍らへ歩み寄ってデジカメを構え、指示通りに撮影を開始した。


 まず正面から、次いで斜め四五度、側面、背面、俯瞰ふかん――……

 お姉さんの周囲を移動しつつ、様々な何枚も写真を撮っていく。

 ひと通りの角度を画像データとして保存したら、再びポーズを変更して撮影を続ける。

 片足を前方へ踏み出した姿勢、両手を上げて背伸びする姿勢、体育座りした姿勢など。



 …………。


 ……しかしまあ何というかアレですね、ええ。

 やっぱこれ、コスプレ撮影会以外のなにものでもないような……。


 い、いや、ここはもう少し冷静になろう。


 美織さんは以前、寝起きにいわゆる「彼シャツ姿」を披露したことがある。

 そのとき「本人が好むなら何歳でどんな恰好をしようと、他人が口を挟むことじゃない」と、僕は意見を述べた。その考えは現在だって、基本的に変わらない。


 しかもお姉さんは女子高生だった頃、毎日この制服を当然に着ていたのだ。

 それを仕事柄必要に迫られて、再び身にまとい、写真撮影しているだけ――

 などと自らに暗示を掛け、虚心にシャッターを切り続けていく。



 そのとき、僕は今更あることに気付いた。


「そう言えば、たしかその制服って藤凛とうりん学園がくえんのやつだったっけ?」


「うん、そうだよ。私の母校だから。卒業してから随分ずいぶんつけど」


 撮影しながら訊くと、美織さんもポーズを取ったままで答える。

 うーん、やっぱり思った通りだ。お姉さんは藤凛出身だったか。


 藤凛学園高等学校は、星澄市内でも指折りの進学校だったはず。

 僕は他地域出身だけど、バイト先のパートさんから「地元の優等生ばかり進学する学校」だと世間話で聞いたことがある。

 そんな高校の卒業生だなんて、きっと当時の美織さんは真面目な女子生徒だったんだろうな。

 まあ、今でも基本的には真面目な女性だと思うんだけど。ちょっと変なところがあるだけで。



 さて、おおよそ一時間近く写真撮影を続けたあと。

 作画資料として使用するには、そろそろ充分な量の画像が確保できたみたいだった。

 お姉さんも制服姿で様々なポーズを取っていたし、種類の豊富さも問題ないだろう。

 もうすぐ昼食の用意もしなきゃいけないし、撮影終了かな? 


 なんて思っていたら、尚も美織さんから注文が寄せられた。

 それも僕にとっては完全に想定外の、衝撃的な要望だった。


「ねぇ裕介くん。あと少しだけ、写真に撮って欲しいポーズがあるんだけど」


 美織さんは、殊更に恥じらうような素振りで言った。

 かすかに声音が震え、枯葉色っぽい瞳が潤んでいる。



「……まだ制服姿で、ぱっ、ぱんつが見える恰好の作画資料が足りないから」



 たっぷり三秒間の沈黙があった。


 僕は、自分の聴覚が認識した言葉を、疑わざるを得なかった。

 なのでゆっくり深呼吸してから、たしかめるように訊き返す。


「えっと……。どんなポーズの写真が欲しいって?」


「だっ、だから、だよ」


 美織さんは、真っ赤な顔であわあわと、早口に要求を繰り返した。

「何度も言わせないで」といった口調で、酷く居心地悪そうだった。


 大変遺憾いかんながら、聞き間違いではなかったみたいだ。

 これはどうやら、覚悟を決めなきゃいけないらしい。

 お姉さんに対する僕の愛情が試されている。たぶん。


「その――つ、つまり美織さんは、僕にぱんつの写真を撮って犯罪者になれと?」


「犯罪!? 私が制服姿でぱんつ見せてる写真を撮影したら、犯罪になるの!?」


「落ち着いてよ美織さん。もちろん恋人のために必要なら、僕だって躊躇ちゅうちょしないけど」


「なんで悲壮な表情!? 別に誰にも裕介くんに撮ってもらったとか言わないよ!?」


「僕のことはいいんだ……。でも美織さん、ぱんつの写真を撮っても幸せにはなれないからね」


「いったい何を心配されているの私!? これはあくまで、仕事に必要な資料だから――!!」


 頼みを引き受けつつもさとそうとしたら、美織さんから涙目で抗議された。

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