52:お姉さんの撮影会はここからが本番だっていう

「あっ、あのね裕介くん。今度仕事で描く漫画は、学園ラブコメなんだよ」


 美織さんは、ゆるふわな髪の毛先を、指でいじいじともてあそびながら言った。

 まだ頬は赤く染めたまま、やや口元を曲げて不貞腐ふてくされたような面持ちだ。


「でもって掲載誌の購買層は、若年男性が中心なの。そこはわかるよね?」


 いきなり、男性向けラブコメにおける読者需要の話題を持ち出されてしまった。

 そりゃまあ、一応はわかりますよええ。僕もわりと好きなジャンルの漫画だし。

 お姉さんは要するに「男性読者から喜ばれるような、美少女キャラクターのぱんつが露出するシーンも、学園ラブコメ漫画では描く場合があり得る」って言いたいわけだよね。

 だから制服姿でぱんつが見えるポーズも、作画資料として準備しておきたいと。


 いやうん、もちろん理屈では理解できるんだ。仕事上で必要なんだってことも。

 しかし何か、自分がとてもいけないことに手を染めようとしている感覚がある……! 



「と、とにかく! そういうわけで、裕介くんにぱんつの写真を撮って欲しいのっ」


 美織さんは、さながら雑音をさえぎるように言うと、こちらへ向き直った。

 そうして、左右の手を制服のスカートに伸ばし、ぎゅっとすそつかんだ。


「今から私が、ポーズを取るから――恥ずかしいけど、しっかり撮影してね……?」


 明らかな羞恥しゅうちにじんだ表情で、お姉さんが下半身の着衣をゆっくりめくり上げていく。

 僕は「あっ、ああ……」とうめき声を漏らしながら、それを見守ることしかできない。


 黒いニーソックスと白いスカートで挟まれた絶対領域の面積が大きくなり、美織さんの大腿部だいたいぶも徐々にあらわになっていき――

 やがて、たくし上げた裾の下から、逆三角形の下着が姿を現した。


 僕は、お姉さんのぱんつだ、と確認するまでもないことを考えた。


 それは薄手の柔らかそうな布地で、清潔感のある淡い水色だった。

 表面には繊細せんさい刺繍ししゅうがあしらわれ、控え目に下腹部をおおっている。


 ……気付けば、自然と息を呑み、目を奪われていた。

 ああ、いったい我ながらどうしてしまったんだろう。

 僕は、美織さんの恋人であり、同棲までしている間柄だ。いわゆる男女の関係にある。

 一糸いっしまとわぬ身体だって見慣れているし、甘い空気の中で過ごすことは日常の一部分だ。


 にもかかわらず今現在、僕はかつてない緊張を感じていた。

 左胸の奥では、心臓がねるような鼓動こどうを繰り返している。

 なんですかこれ。いやもう、本当に何なんですかこれ……!? 



「――ねぇ。ゆぅ、ゆうすけくん」


 激しく動揺していると、美織さんが子猫の鳴くような声で囁き掛けてきた。

 細い肩をかすかに震わせつつ、湿った呼気を口唇の隙間から漏らしている。


「お願い、早く写真に撮って……」


「う、うん。わかった、今撮るよ」


 僕は、ほとんど反射的に返事すると、デジタルカメラを被写体に正対して構える。

 手元の液晶画面をのぞき込み、急に覚束おぼつかなくなった操作でシャッターを切りはじめた。

 他のポーズの撮影と同じ要領で、一枚、二枚と、お姉さんの姿を写真に収めていく。



 …………。


 ……って、勢い任せで美織さんの要求に応じちゃったけど。

 やっぱりこりゃ、どう考えてもまともな状況じゃないよね――!? 


 女子高生の制服を着用し、ぱんつを自ら露出した恋人。

 その姿をデジタルカメラで、ひたすら撮影し続ける僕。


 しかも女子高生姿のお姉さんは、なんと二八歳アラサーなのだ! やばい。


 好きなことをするのに年齢なんて関係ない、という意見を引っ込めるつもりはないけど。

 この状況を総合的に勘案すると、事態の異常性を殊更ことさら強めていると判断せざるを得ない。


 二人っきりの密室という空間も、妙な意識をき立てられる一因だろう。

 無論だからって、こんな有様を絶対第三者に公開するわけにはいかない。

 ていうか赤の他人に見られたら、確実に死ぬ。社会的な意味で。

 何だかもう、限りなく犯罪に近い香りがただよっているんだよなあ……。



 だがこうなっては、もはや僕ものっぴきならない空気を感じていた。

 かつてない背徳感を胸の内に抱えつつも、シャッターを切っていく。


 ただ一方では、お姉さんの制服姿を見慣れてくるにつれ、

(あれ? 実は美織さんって、女子高生より女子高生の制服が似合っているのでは……?)

(それどころか、えっちなお姉さんだから本物の女子高生よりえっちなぶん可愛いのでは)

(えっちな年上お姉さんが年下女子高生の制服を着用して赤面涙目でぱんつ露出最高では)

 などと謎の思考に囚われはじめ、頭の中がくらくらしてきた。



 そうしたわけで、さらに一五分余り写真撮影を続行したあと。


「と、とりあえず作画資料としては、これぐらい画像に残しておけば大丈夫だと思う」


 美織さんは、スカートの裾を元に戻すと、ぱんつを覆い隠しながら言った。

 その言葉に奇妙な安堵あんどを感じて、僕は正面に向けていたデジカメを下ろす。


 ああ、本当によかった。どうにか無事にお姉さんの要望に応えられたみたいだ。

 何だか凄く特殊な行為に加担してしまった気がするけれど、それはそれとして。

 どんなかたちであれ、美織さんが望む願いに応えてあげられたなら、僕にとっては喜ばしい。

 たとえ客観的には変態じみた要求であったとしても、すべては愛しいお姉さんのためなのだ。

 かえって常軌を逸した所業であればこそ、やり遂げてみれば自分がいっそう誇らしい……


 なんて、しみじみと考えていたら。


「じゃあ次は、裕介くんに男子高校生の制服を着てもらいたいんだけど、いいかな?」


 続けて美織さんから、またもや完全に予期せぬ助力を乞われた。


 ……男子高校生の制服? それを僕が着るの? 今からですか? 

 唐突な頼み事の内容を、何遍なんべん咀嚼そしゃくし、理解に努めようとする。


 そのあいだにお姉さんは寝室のクローゼットを開き、奥から紙袋を引っ張り出してきた。

 中身に入っていたのは、濃紺のブレザーと白いスラックス、それからワイシャツだった。


「――あの、これは何ですか美織さん」


「藤凛学園高等学校の男子生徒用制服」


 念のために訊いてみると、美織さんは急にきりっとした面差しで言った。

 つまり、お姉さんとある意味おそろいの男子バージョン、ってわけですか。

 まあ、何となく生地の色合いやデザインを見た瞬間に察しが付いたけど。


「仕事で描く漫画は男性向けの内容だから、基本的には美少女キャラが沢山出てくる話だけど、主人公を含めて二、三人程度は男の子のキャラも登場するから」


「だから、男子生徒を描くための作画資料も必要だってこと?」


 美織さんは、質問に首肯で答えながら、こちらへ制服を差し出してきた。


 尚、この制服は元々、美織さんの従弟にあたる人物が着用していたものらしい。

 従弟いとこさんは現在大学生で、お盆で実家へ帰った際に顔を合わせる機会があったんだとか。

 そこで不要になった制服がないかとたずねたところ、ゆずってもらうことができたという。

 ちなみに従弟さんは、これを取ってくるために美織さんの実家と自宅を往復したそうだ。

 随分と親切というか、まったく余計なことをしてくれたというか……。

 それにしても従弟さんも藤凛出身とは、花江家の皆さんは優秀ですね。



「裕介くんの制服姿も、写真に撮らせてくれるよね?」


 美織さんは、もう一度要求を繰り返した。

 言外に「君も私の制服姿を撮影したんだから、断らないよね」という圧力を感じる。

 何もかもお姉さんに頼まれたから応じただけなのに、いかにも理不尽な状況だった。


 しかし美織さんの制服姿(※ぱんつ露出状態含む)を写真に撮っている最中、自分に後ろ暗い気持ちが皆無だったかと言えば、それもまた微妙なところだったりするわけで。

 恋人に懇願こんがんされたとはいえ、こりゃ最初から協力すべきじゃなかったかなあ……

 などと悔いてみても、とっくに後の祭りというやつだったりする。


 ――きっと、いっぺん悪事に協力したせいで、深みにはまって抜け出せない人間も、同じような心理へおちいってしまうに違いない。

 僕は、そんなことをぼんやり考えつつ、美織さんから男子用の制服を受け取った。


「それじゃ隣の部屋で着替えてくるから、ちょっと待っていてね」


「えっ……。恥ずかしがらずにここで着替えてくれてもいいのに」


 なぜか残念そうなお姉さんを残して、僕はひとまず客間へ移動した。


 そこで今着ている服を脱ぐと、渡されたワイシャツへ袖を通し、スラックスを穿く。

 それからネクタイをめ、ブレザーを羽織った。ご丁寧に靴下まで用意されている。

 どれもサイズはぴったりだ。僕と噂の従弟さんは、おおむね似たような体型らしい。


 着替えを済ませ、寝室に引き返す。

 僕の制服姿を見るなり、お姉さんは枯葉色っぽい瞳を大きく見開いた。

 次いでこちらへ素早く接近しつつ、半ば悲鳴じみた歓喜の声を上げる。


「ああっ! やだ凄い、裕介くんメチャクチャ可愛い! 最高に可愛いよっ!」


「あの、可愛いって言われても嬉しくないんだけど。僕も一応成人男子なので」


 過剰な反応に迎えられ、思わずひるんで一、二歩、後退りしてしまった。

 だが僕が後ろへ引いたら、そのぶんだけお姉さんは前へ身を乗り出す。


「はあ、そんな反応も可愛いよ……。お姉さん、きゅんきゅんしちゃったもん」


 美織さんは、僕の全身をくまなく観察すると、満足そうに溜め息を漏らす。

 あたかも幸せな夢の中に浸るような、恍惚こうこつとした面持ちを浮かべていた。

 それでいて、何やら僕を見る視線によこしまな気配を感じる。居心地が悪い。



 お姉さんは、たじろぐ僕を部屋の真ん中に立たせると、早速撮影を開始した。

 様々なポーズを要求される都度、それに黙って従う。何となく気恥ずかしい。

 とはいえ美織さんは、デジカメの画面を覗きながら、とてもいい笑顔だった。

 うん、凄く喜んでもらえているみたいで、恋人として僕は嬉しいよ……

 ところでもちろん、作画資料が入手できて嬉しいから笑顔なんだよね? 


 それにしてもこれ、ますます混沌カオスな状況に陥っているのではなかろうか。


 成人済みの男女が二人揃って高校生の制服を着用している空間、あまりにも怪しすぎる。

 お姉さんは夢見心地みたいだったけど、僕も別の意味で夢であって欲しいと思っていた。



 まあ、とにもかくにも。

 先程までと互いの立場を入れ替えて、僕ら二人はしばらく写真撮影を続けた。

 シャッターを切るたび、次々とデジカメに新たな画像が撮り溜められていく。


 と、しばらくして、美織さんが思いも寄らないことを言い出した。


「――よし、じゃあ裕介くん。次は少しネクタイをゆるめてくれる?」


 完全にきょかれ、僕は反射的に「……はい?」と、頓狂とんきょうな声を発してしまった。

 お姉さんは、デジカメを構えたまま、相変わらず口元に薄い笑みを貼り付かせている。

 その上、見開かれた眼球がちょっぴり血走っていた。怖い。


「でもってワイシャツのボタンを、上から順に外してみよっか……」


「あ、あのっ、美織さん? この下って、今何も着てないんだけど」


 着替える前に身に着けていたTシャツは、生地が色付きだった。

 そのままインナーとして着ていた場合、ワイシャツの下から透けて見えてしまう。

 まあ白黒原稿の漫画であれば、服の色味はあまり関係ないのかもしれないけれど――

 作画資料になる写真の見栄えを気にして、念のためにTシャツは脱いでしまっている。


 でも美織さんは、即座にきっぱりした口調で指示を繰り返した。


「いいから早く。ちゃんと一番下まで外して、シャツの前を開けて」


 僕は仕方なく、ネクタイに手を掛け、首元の締め付けを緩めた。

 ワイシャツのボタンも、ひとつずつ言われた通り順番に外していく。

 すぐに胸から腹にかけての素肌が露わになり、着衣の正面が乱れた。


 美織さんは、それをじっと真っ直ぐ見詰めている。穴が開くほどの熱視線だ。

 どうにも気恥ずかしくなって、僕は目をつと横へ逸らす。顔が火照ほてっていた。


「……はっ、はあぁ。いいよ裕介くん、凄く素敵……」


 うっとりした声と共に濡れた呼気を吐き出すと、美織さんは深くうなずく。


「と、とっても可愛いよ。本当にもう、最高だよぉ~」


「だから可愛いって言われても、嬉しくないけど……」


 意味不明な感想に再度抗議したものの、お姉さんの耳には届いていないみたいだった。

 それどころか、逆にこちらの反応を楽しんでいるような、微妙に危険な気配を感じる。


 何だか逃げ出したくなってきたけど、そんな被写体の心理なんかおかまいなしで、美織さんは正面にデジカメを構え直した。忙しなく、連続でシャッターを切りはじめる。

 狩人に狙われた野生動物もこんな気持ちなのだろうか、と僕は愚にも付かないことを考えた。



 で、その後も一〇分ほど写真を撮影していると……

 美織さんは、またまたとんでもないことを要求してきた。


「ねぇ裕介くん。――ついでにベルトも外して、スッ、スラックスのファスナーも四、五センチぐらい、下ろしてみてくれる? それでちらっと前の隙間から、ぱんつ見せて」


「それのどこがついでなの!? ていうか僕がぱんつ見せてどうするわけ!?」


 衝撃的な指示に戦慄し、自分でもツッコミだか絶叫だかわからない言葉を発してしまった。


 お姉さんは、この写真撮影を「漫画制作における資料収集として必要」だという。

 だけど掲載予定の雑誌って、主要な購買層は若年男性だって言ってましたよね? 

 若年男性が喜ぶ漫画を描くのに、僕がぱんつ見せるのは本当に必要なんです?? 

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