番外編「今井晴香はこじらせない」

42:四番目の晴香ちゃん

 いつも「普通」であることは、あたしにとっての大切な信条だ。


 周囲と協調をはかるためにも、常に心掛けるべき立ち位置だと思う。

 こんな世界じゃ、出る杭は打たれるし、取り残されれば笑われる。

 孤高を気取れば陰口の的になるし、はぐれて浮けば馬鹿にされる。



 たぶん「普通」じゃないことは、良くも悪くも危険性リスクを引き受けること。


 スポーツ選手や芸能人の人生は、成功すれば華やかだけど、失敗すれば目も当てられない。

 おっかなびっくり派手な未来を夢見て生きるより、地味でもささやかな幸せを確保したい。

 失敗した人間に対して、自己責任の社会は冷たいし。再挑戦チャレンジなんて、綺麗な嘘でしかない。


 もちろん絶対に確実なものなんて、現実にはないのかもしれないけれど。

 それでも「普通」が有利な生き方なのは、きっと間違いないんだと思う。

 わざわざ世間の流れに逆らって、不利な側を選ぶ必要なんてない。



 だから、あたしは今日も「普通」であろうとする。

 でも本当に「中の中」だと、いざというときにマウント取られて面倒臭いから。

 ちょっとだけ「中の上」ぐらいの、ねたまれも見下されもしない「普通」を狙う。


 具体的には、一〇人中で四番目ぐらいのポジション。

 そこがあたしにとって、一番居心地のいい立ち位置。



 地元で平均的な偏差値に属する高校へ進学し、定期考査でも毎回平均的な成績を取る。

 ありふれた青春を謳歌おうかする友達のグループに入って、みんなと同じ話題で盛り上がる。

 おかげで日々の生活には、これといった失敗もない。うん、やっぱり安全第一だよね。



 そうして、あたし――

 今井晴香は今日も、正しく「普通」に過ごしている。




     〇  〇  〇




「まあそォゆーわけで、こないだの日曜日はあんまパッとしなかったんだよねぇ」


 同級生の南野みなみの麻里菜まりなは、かぶりを振って嘆息した。

 それからちまたで評判のいちごシフォンケーキを、フォークでひと口大に崩して食べる。

 自腹で買ってきた期間限定スイーツが、せめてものなぐさめとでも言いたげだった。


「やっぱ男と遊びに行くにしても、相手が学生はないわ。全体的にショボイから」


「それな! たしかにあの日の二人はキビシめだったわ。金もなさそうだったし」


 もう一人の同級生・佐々木ささき優美ゆみが、同じようにケーキを食べながら同調する。

 話を聞くと、この子も日曜日に外出して、麻里菜と一緒に遊んできたらしい。



 ここは、あたしたちが通う明南めいなん高校で東校舎にある一室。

 社会科準備室の隣に位置する、ちいさな空き部屋だった。


 この場所は普段から、しばしば課外活動団体「お菓子研究会」が使用している。

 もっとも現在は学校が夏期休暇中なので、わざわざ部員が顔を出す日もないんだけど――

 今日に関しては、部活動のために開放され、あたし・麻里菜・美優の三人が集まった。

 一応は全員制服姿で登校していて、各自ケーキを前に会議用テーブルに着席している。


 ただし研究会と言っても、みんなが買ってきたお菓子を食べるだけの部活なんだよね。

 あとはだらだらと女子会トークに共感し合うだけの、ユルくて余計ないさかいのない空間。

 少なくとも、このグループに属する部員同士で、格付けし合ったりすることはない。

 なので欲望のままに糖分を摂取しながら、気楽に暇潰ひまつぶしするには便利な場所だった。


 ……でもまあ恋バナになると、異性の愚痴ぐちを聞かされることぐらいはある。

 それこそ、こうして麻里菜と美優が交わしているみたいなやり取りを、ね。



「そのくせアイツらさァ、アタシらとヤることばっか考えてるの見え見えだしー」


「ホントそれ。ずっとソワソワしてるの必死で隠そうとしてて、マジやばかった」


 麻里菜と優美は、キャハハと声を上げて笑い転げる。


 何でも日曜日に遊んだ相手は、星澄学院大学の男子学生らしかった。

 地元の中堅文系私大で、卒業生に地方公務員が多い学校だったはず。

 そこの学内サークルが主催するスイーツ食べ歩きイベント(※学外からも応募可能だった)に

参加したのがきっかけで、麻里菜は最近「大学生の男と知り合った」と言っていた。


 それで「菓子研」の部員である優美を連れて、ダブルデートしてきたんだとか。

 でもどうやら、彼らはあっさりと見限られたみたいだなあ。ご愁傷様しゅうしょうさまです。


「ああいうの、もーマジ勘弁。どうせ付き合っても、すぐに割に合わなくなるし」


 一頻ひとしきり笑ったものの、あとから麻里菜はうんざりしたように付け加えた。

 過去に恋愛で失敗した経験がよみがえって、苦い気分になったのかもしれない。


「日曜日にハルカが来なかったの、大正解だったわ。収穫は結局ケーキだけだし」


「その日はバイトのシフトが入ってたからねー。行けなかったのは単に偶然だよ」


 当たり障りなく答えながら、あたしもお土産みやげに渡されたケーキをパクつく。

 地下鉄新冬原駅付近にあるスイーツ店は、市内でも有名な老舗しにせなんだよね。

 甘さは素朴で控え目だけど、安定感があって飽きの来ない味だった。



「あー。そういやハルカってさ、最近どうなってんの?」


 そのとき、優美がふと思い出したように訊いてきた。


「ほら、例のバイト先で仲良くしてるっていうパイセン先輩


 あたしのバイトの話が出たせいで、何となく気になったらしい。

 すぐさま麻里菜も、興味津々で身を乗り出して食い付いてくる。


「ひゃー、たしかにあったねそんな話! で、どうなのハルカ」


「別にどうもこうもないよ。お互い今でも普通に働いてるから」


「同じスーパーで一緒にバイトしていて……今でもそれだけ?」


 脚色せずに事実をそのまま伝えると、麻里菜は重ねて問い掛けてきた。

 とはいえ訊き直されたところで、あたしはうなずいてみせるしかない。


 麻里菜は、メイクでばっちり大きくなった瞳をまたたかせた。

 まるで信じられない生き物を見たような表情を浮かべる。


「え、嘘。そのお兄サンの話って、アタシらが最初に聞いたのいつだっけ?」


「マジそれ。ウチはたぶん、一年ぐらい前から聞いてるような気がしたけど」


 再び優美が調子を合わせて言ってから、うながすようにこちらを見た。

 あたしは、仕方がないので「……だいたい二年前じゃないかな」と答える。

 アルバイトをはじめたのは、高校一年生の夏休み前だったから間違いない。


 まあ出会って最初の一ヶ月は、まだ「ちょっと気になるお兄さん」ぐらいの相手だったけど。

 でも当時から、何となく部活中に話題にしていたわけだし、基本的に好きだったんだと思う。

 そのあと、ちょっとした出来事があって、バイトを続けるうちに先輩のことがわかってきて。

 ……でもって、それなりに親しくなったものの、それ以上の戦果はないまま現在に至る。



「ちょ、何それ。じゃあハルカ、ずっと二年も片恋カタコイなわけ?」


 麻里菜は、唖然あぜんとしたように言った。


「やばい。そのあいだにアタシ、男と三回別れてるんだけど」


 それなら知ってる、とあたしは心の中で密かにつぶやく。

 一人目は卒業したバスケ部の先輩で、二人目はヘアサロンで働く理容師。

 たしか三人目は、ロックバンドのライブで知り合った社会人だったはず。


 この子は、かなり恋愛に積極的で、友達の中でも随一ずいいちの肉食系だ。

 元々それほどモテるわけじゃないみたいなんだけど、自分からグイグイ攻めるんだよね。

 これまでにも「菓子研」の活動中、事ある毎に異性の攻略方法について聞かされてきた。


 ちなみに部内で二番目に恋愛経験が豊富なのは、入学当初から彼氏持ちの副部長。

 優美は三番目かな。半年ほど付き合った二人目の恋人と、先月別れたそうなので。

 他の部員(※全員女子)は、案外みんな独り身らしくて、浮いた噂が聞こえてこない。

 ていうか本来は、それほど恋愛志向が強い女子の集まったグループじゃないんだよね。


 だから見方を変えると、あたしの片想い二年分ある恋愛経験は、ある意味部内で

「菓子研」は部員数丁度一〇名。差し当たり順位維持キープという点では、現状に納得している。


 しかし当然、このまま片想いを継続し続けるのは本意じゃない。

 だって、そのうち他の部員が恋人を作っちゃうかもしれないし。

 もしそうなれば、あっさり四番目の立ち位置も陥落してしまう。

「菓子研」には無闇にマウントを取ろうとするような部員が居ないとはいえ、何事も中の上じゃなくなるのは、正直好ましくない――……



「てかそれ、噂のパイセンはハルカのこと、全然気付いてないわけ?」


「気付いてるとか気付いてないとか、そういう感じじゃないんだよね」


 眉をひそめた麻里菜に訊かれ、あたしは尚もケーキを食べつつ答える。


 そう。あたしに対する先輩の態度は、ちっとも「そういう感じ」じゃない。

 何度か距離を詰めようとしてみたけれど、いつも思わしくない結果だった。

 でもだからって、異性として見られていない、というわけでもないと思う。

 なので、あたしと先輩の距離感は、とても不思議で独特だった。


 麻里菜は、信じられないと言いたげな仕草で、蜂蜜色に染めた髪の頭を振る。


「それマジ? なのにハルカ、ひたすら二年も片恋続けてんの?」


「いやでも、スゲー純愛じゃん。ハルカ可愛くてメッチャやばい」


 一方の優美は、ちょっぴり興奮気味の面持ちで、あたしに肩入れしてくれた。

 実はけっこうロマンティックなのが好きなんだよね。恋愛映画で泣くタイプ。


 でも、麻里菜は幾分恋愛にシビアで、納得しようとしない。


「いやないわ。片恋で絶対二年はないって」


「そう? ウチはわりとありだと思うけど」


「マジでやばいって、無理でしょそんなの」


 優美は長期間の片想いにも肯定的だけど、麻里菜はかたくなに否定してゆずらない。

 受け入れられない、という理由も「菓子研」で一番の肉食系女子らしかった。


「だって二年も待ってるうちにもう、高三になったわけじゃん。アタシらが女子高生なのって、あと一年間も残ってねーのに。それでもし失恋したら、かなりキビシくない?」


 麻里菜には前々から、ひとつの哲学がある。

JK女子高生は期間限定だけど、恋愛における最高のブランド」だっていうんだよね。

 異性との恋の駆け引きで、女子高生という身分がいかに強力な武器になるか――

 麻里菜は、それを自分の経験に基づき、ちょくちょく「菓子研」で力説していた。


「ぼやぼやしてたら、すぐBBAババアになるし。アタシらはテレビに映ってるアイドルでもなんでもねーんだから、こんなに男がちやほやしてくるのなんか、絶対今だけなんだってェ」


 もちろん、この子がいくら熱弁したところで、あまり賛同する部員は多くなかった。

 仮に多少の共感があるとしても、部内の大半が独り身である事実は変わっていない。



「ていうかさ。そのパイセンも二年前から、ずっとバイトしてんだよね」


 やり取りしているうち、優美が首を捻りながら言った。


「正社員ってんじゃないんでしょ? 他になんか仕事してる人なわけ?」


「フリーターだよ。あたしが働きはじめた頃には、大学も中退してたし」


 あたしは、できるだけ平静を装いながら答えた。

 やっぱり好きな男性がアルバイトだけで生活している、という事実を話すのは恥ずかしい。

 だって世間的には、あまり「普通」じゃないと思うから。変な目で見られそうで怖かった。


 実際、麻里菜はメイクで大きくなった瞳を、ますます大きく見開いた。


「何それマジで? 大学辞めてから、就職活動シューカツとかは全然してねーの?」


「特にしてないみたい。それらしい話はこれまで、聞いたことないから」


「ちょ、それやばくね。ていうか、そんなの好きになったりしてさ――」


 ちょっと動揺した様子でしゃべりつつ、いったん麻里菜は言葉の途中で口をつぐんだ。

 曲がりなりにも友達の好きな相手を、悪く言うのは上手くないと思ったんだろうね。


 まあ、言いたいことはわかるようん。

 この子は、女子高生を「恋愛における期間限定のブランド」だって考えている。

 だから、あたしに「女としての若さを安売りするな」って物申ものもうしたいんだよね。

 捕まえるなら、経済力があるとか、将来に見込みのありそうな異性にしろって。


 麻里菜は、改めて言い直して続けた。


「その。相手のお兄サンが、ハルカの趣味っぽくない気がしてビビった」


「……えへへ。実はあたしも、たまにそんなこと思ったりするよマリナ」


 ケーキを食べる手を止め、笑いながら肯定してみせる。

 麻里菜は少し呆気に取られたような顔をしたけれど、事実だからどうしようもない。

 たしかに先輩みたいな男性を好きになったのは、あたしらしくないと自分でも思う。


 もっと「普通」で、恋愛しても苦労がなさそうな人を好きになりたかった。

 でも、そこが人の心の不条理なところなんだろうね。本当にままならない。



「ねぇ、もしかしてさハルカ。こないだの日曜日にウチらが誘ったときって」


 ぴんと来た様子で、優美が問いただしてきた。

 さっきから妙に目敏めざとくて、油断がならない。


「噂のお兄サンとバイト先で会ってたから、新冬原まで来れなかったわけ?」


「うーん、それはねユミ。実はあたしも、最初そのつもりで断ったんだけど」


 今更隠すことでもないので、苦笑しながら事情を話す。


「あの日はいざバイト先へ行ってみたら、先輩が珍しく休みだったんだよね」


「え、マジで? フリーターなのに、バイト休むような用事なんかあったの」


 麻里菜が不思議そうに言って、こちらを横目でちらりと見る。

 あたしは、黙って視線を受け流すと、紅茶のペットボトルに口を付けた。

 いくら訊かれたところで、先輩のことを何でも知っているわけじゃない。


 そりゃもちろん、もっと親しくなりたいとは思っているし――

 そのための努力も、あたしなりにこっそり続けているけど。


 例えば、毎回バイトでシフトが同じ日に被るのは、あたしが細工しているからだ。

 翌月の出勤予定日を調整するとき、スーパー「河丸」では毎月末に勤務歴が長いスタッフから希望を提出する。だから後輩のあたしは、いつも先輩が欠勤する日をチェックした上で、自分の出勤日を調節しているんだよね。

 先輩が気付いているかはわからないけど。

 きっと気付いていないんだろうなあ……。



 それだけに前回の日曜日は、正直ちょっと驚いた。

「先輩が今月に入ってから、店長に欠勤日を申請していた」ことを意味するからだ。

 あたしがバイトをはじめて以来、今までそんな試しは一度もなかったように思う。


 ――いったい、あの日の先輩に何があったんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る