第六章「お姉さんと二人でお出掛け」

34:お姉さんとデートの計画を練る

 こうして、僕とお姉さんのデート実行計画が始動した。


 改めて確認するけれど、生まれて初めてのに関する計画である。

 ふらっと駅前で会って、喫茶店でおしゃべりして、手近な店を見て回るだとか……

 これまでみたいな中高生が放課後に行う水準の、日常の延長にあるデートとは違う。

 もし過去のそれを「デート未満のデート」と呼ぶならば、今回の計画は明らかに一線を画するデートになるはずの予定だった。


 ――そう。実質的には、真の意味での「初デート」と呼ぶべきものかもしれない。


 これは僕の恋愛史における、非常に画期的エポックメイキングな出来事だと言えよう。

 なぜなら、青春時代は暗黒期そのものだったため、現在に至るまで「女性と二人っきりで特定の場所へ遊びに出掛ける」という行動を取った経験が皆無だからだ。


 いまや美織さんとは、連日一緒にお風呂に入って、頻繁に男女の行為にも及んでおり、むしろ同棲しはじめてからは一ヶ月半が経過しようとしているというのに――

 真っ当な、おそらく世間一般で恋人同士が実行するデートへ出掛けた試しがない。



 この特殊な恋愛経験について、僕はやや複雑な心理を抱いているわけだけど。

 どうやら恋人のお姉さんは、一風変わった感覚で歓迎しているみたいだった。


「はあ。まさかアラサーにもなって、自分が男の子の初デートの相手になれるなんて」


 美織さんは、両手を祈るように胸の前で組み合わせ、しみじみ溜め息いた。


「私に童貞捧げてもらえただけでも、相当嬉しかったのに……。人生初デートの経験までとっておいてもらえてるなんて、夢にも思わなかったよ。年下彼氏がとうとぎてしんどい……」


「あ、あの。何も決して意識的に女性とのデートを避けてきたわけじゃないんだけど」


 妙な誤解をまねいている気がしたので、控え目に訂正しておく。


 すると美織さんは、枯葉色っぽい瞳を潤ませ、僕の顔を優しく見詰めた。

 口元に生温い微笑が浮かび、全身からきらめくような幸福感を漂わせている。


「大丈夫だよ裕介くん、何ひとつ恥ずかしがらなくたって。ちゃんとお姉さんも君との初デートを成功させるため、計画立てるの手伝ってあげるね。――二人で素敵な思い出作ろ?」


 正しい意思の疎通があるのか、いささか怪しい反応だった。

 いや別にはげまされたかったわけじゃないんですけどね僕は。

 お姉さんこそ大丈夫ですか、主に思考の部分に関して……。


 まあ何はともあれ、具体的な計画を話し合わなくちゃ。


「う、うん。ありがとう美織さん。そう言ってもらえると、とても助かるよ」


 僕は、取り繕うように言ってから、本題へ入ろうとした。


「じゃあ、まずはデート当日にどこへ出掛けるかを決めておきたいんだけど」


「そうだね裕介くん。しっかり下調べして、楽しめそうなところを選ぼうね」


 美織さんは、笑みを絶やすことなく、同意してうなずいた。

 それから意気込んで、しかし突拍子もないことを言い出す。


「君とデートするためならお姉さん、お金なんかいくらでも出しちゃうから」


「いや全額負担を頼んだ覚えはないけど!? ていうかどこ行くつもり!?」


「ディナーが評判のホテルがいい? それとも自然に囲まれた旅館にする?」


「なんで泊まり掛けなの!? それデートじゃなくて旅行になってない!?」


「高級スウィートでえっちするのと、静かな和室でえっちするの、どっちがいいのかなって」


「外出先でえっちするの前提で話しないでよ!? そんなつもりで誘ってないからね僕!!」


「大丈夫だよ裕介くん、何ひとつ恥ずかしがらなくたって。――二人で素敵な思い出作ろ?」


「全然大丈夫じゃないから!! どこでえっちするかで素敵な思い出作ろうとしないでよ!」


 ていうか、お姉さんはもうちょっと恥ずかしがってください。

 何だかデートの話を持ち掛けて以来、浮かれっぱなしである。

 いや、基本的にそれは願ったりかなったりではあるんだけど。

 美織さんに喜んでもらいたくて、デートに誘ったわけだし。



 とはいえ事前に決定すべきことは、しっかり話し合わなければ。

 的外れなやり取りばかりじゃ、ちゃんとした計画が立たないぞ。

 もっと美織さんにも真面目に意見を出してもらわなくちゃ……


 なんて考えているうち、今更のように素朴な疑問が思い浮かんだ。


「あの……。ところで、いきなりつまらないことを訊くかもしれないけど」


 僕は、何となく嫌な予感を覚えつつも、躊躇ためらいがちに問い掛けてみた。


「美織さんって、過去に僕以外の恋人が居たことってなかったんだよね?」


「……ん? まあたしかに裕介くんがだけど、それがどうかしたの」


「えっと。それじゃ誰かと遊びに出掛けた経験って、どれぐらいあるの?」


 恐る恐る質問を重ねると、美織さんが口元の微笑を引きらせた。


 途端に静寂が周囲を包み込み、気まずい空白の時間が流れる……。

 僕は、心の中で「やっぱりか」と思って、嘆息したくなった。


 ――このお姉さん、僕と同じで「デート未満のデート」しか経験したことないんだ。


 イラスト描いたり趣味に没頭したり、来る日も来る日もそんな生活。

 ずっと昔から同じ調子で、ろくろく恋人も作らずアラサーになった。

 たしかに美織さんは、以前にそう言っていたじゃないか。


 それは言い換えると、かなりの「引き篭もり体質だった」ということになるのでは。


 下手したら、単に異性と交際経験がなくてデートしたこともない、ってだけの話じゃない。

 ひょっとすると、普通に友達と遊び歩いた経験すらない可能性もあり得るんじゃないか? 



 思わず疑惑の目を向けると、美織さんはむっとした様子で頬をふくらませていた。

 こちらの思考を看取したらしく、心外そうに自分の主張を繰り広げようとする。


「断わっておくけどね裕介くん。私は過去に恋人居たことはなかったけど」


 美織さんは、腕組みしながら言った。


「人並み程度には、学生時代にあちこち遊び歩いたりとかしたんだからね」


「本当に? ……当時は駅前以外の場所でも、友達と騒いだりしたわけ?」


「もちろんだよ。美大時代には、皐月ちゃんっていう後輩も居たわけだし」


「それじゃ、具体的に皐月さんとは美大時代にどういう場所へ出掛けたの」


 尚も問い質し続けると、美織さんは再び数秒黙り込んだ。

 おもむろに正面から顔を背け、かすかに頬を赤く染める。

 ほどなく、ちいさな声音で恥ずかしそうに回答した。



「そ、それは――お台場で開催される、同人誌即売会の会場とかかな……」



 …………。


 これはどう反応したものかと思案していたら、さらに美織さんは補足を加えてくる。


「あっ、あとアニメBD購入者特別優待イベントで都内にも出掛けたよ!」


「うんうん、わかったから美織さん。充実した学生時代だったんだね……」


 もはや僕には、優しく笑い掛けてみせる他に術がなかった。


 いやまあ、どうあれ美織さんが立派に学生生活を送っていたらしきことは事実だろう。

 少なくとも、僕は大学中退して現状に至っている立場で、何ら否定できる部分はない。

 同人誌即売会だろうとアニメイベントだろうと、好きな人にとっては大切な思い出だ。

 仮に美織さんが「デートで行きたい」と言えば、僕も応じるにやぶさかではない。


 でも初デートが同人誌即売会やアニメイベントになるとしたら。

 それは僕らにとって、果たして好ましい選択チョイスと言えるだろうか? 


 ああいうもよおしは、同じ趣味の人間同士が知り合ったり楽しんだりするためにあるんだろうし、参加をきっかけに異性と仲良くなる機会もあり得ることまではわかるんだけど。

 最初から恋人同士がイチャつく目的で近付くスポットではないんじゃないかなあ……。




     〇  〇  〇




 そんなこんなで、数日間に渡り――

 仕事や家事の合間を使って、僕と美織さんは初デートの計画を何度も話し合った。


 差し当たりスマホでレジャー情報サイトを検索し、近場のスポットを探していく。

 日帰り可能な範囲で、評判の良さそうな飲食店もある場所を、いくつか選別した。


 かくして、念入りに調べてみたところ。

 当然ながら星澄市内にも、少なくないレジャー施設が存在していることを把握できた。

 またもやあまりに今更な話なんだけど、僕とお姉さんにとってはかなり新鮮な発見だ。


 何しろ、これまで遊び歩くのに消極的で、この種の情報にも興味が薄かったからなあ……。

 遊園地などの娯楽施設をはじめ、動物園や自然公園、サッカー場やプラネタリウムもある。

 あと美織さんは「美術館へ何度か、絵画を鑑賞しに訪れたことがあるよ」とも言っていた。


 そもそも星澄市自体が思ったより大きな街だと、初めて気付いたかもしれない。

 市内は、北区、南区、東区、西区、それに中央区を加えた五区から成っている。

 各地区がいずれも一定の広さを有しており、様々な名所や施設が点在していた。

 情報サイトに掲載されているスポットには、季節の行事と共に紹介されているものもある。

 それらを週末毎に見て回るだけでも、デートする場所には一年先まで困らずに済みそうだ。



 やがて散々迷った挙句、外出先の候補が最終的にひとつに絞られた。


「――『星澄ルーセント水族館』へ行ってみるのはどうかな?」


【星澄ルーセント水族館】。

 東区新冬原のビル内部で営業している、水棲生物の飼育展示施設だ。

 世界各地から集められた魚介類を観覧できるのみならず、一部のそれは手で直接触れる体験ができるほか、定番ながらイルカやアザラシのショーも上演されている。


 デートスポットとしては、おそらく王道ど真ん中の行き先だよね。

 けれども奇をてらわないぶん、初めて恋人と訪れるに際しても安心感がある。

 建物内部にはレストランが併設されていて、飲食に困ることもなさそうだ。


「なるほど水族館かあ……。うん、いいかも水族館でのデート」


 美織さんは、こちらの提案にうなずき、賛意を示してくれた。


「大きな水槽の前に君と私で並んで立って、海の世界を感じられたら素敵なんじゃないかなー」


「ああ、たしかにいいかもね。……もしかして美織さんって、海とか案外好きだったりする?」


「うん、愛におぼれる二人にぴったりだよね? 暗い海の底なんか引き返せない運命感じちゃう」


「異常に重たいイメージじゃない!? ていうか、その先の運命に危険しか感じないけど!?」


「波にさらわれ、永遠と化す想い……海水は恋人たちを呑み込み、静かな深淵へ誘うんだね……」


「明らかに情死だよねそれ!? そんな感覚持ち込んで水族館に行くの、怖いから止めて!!」


「大丈夫だよ裕介くん、お姉さんも一緒だから。そのまま沈んで、物言えぬ姿になるとしても」


「待って嫌だよ、ちゃんと二人で幸せになろうよ!? 無抵抗で沈まないで生きてお願い!!」


 美織さんが物騒なことばかり言うので、間断なくツッコミ入れ続けざるを得なかった。

 ときどき愛の重さが良くない方向に深刻すぎて、どこまで本気かわからないんだよね。

 もしかしたら、これも僕が美織さんに自信を持たせてあげられていないせいだろうか。

 こんなに好かれていること自体は、本当に嬉しいんだけどね。



 ……ちなみに「同人誌即売会やアニメイベントに参加する」というデート案については、早い段階で見送られることが決定していた。

 やっぱりデート目的で踏み入るのは、不適切な場所じゃないかと思ったからだ。

 取り分け同人誌即売会の参加者は、創作活動と真剣に向き合っているはずだし。


 一応、星澄市内で開催される同人イベントについては、場所も日時も調べてみたんだけどね。

 しかし美織さんによれば、地方都市の即売会は「都内の大規模イベントほど幅広いジャンルが網羅されているわけじゃないから、裕介くんに楽しめるかなあ……?」とのことだった。


 かと言って都内の開催地と雛番を往復すると、それだけで六時間以上を費やすことになる。

 初デートに長距離移動が必要なスポットを選択するのは、疲労の面で多少気後れがあった。

 実家暮らしの学生ならばいざ知らず、翌日は仕事や家事に従事せねばならないからね……。

 まあ世の中には、それでも強行軍をいとわずサブカル系イベントに参加する社会人は多いみたいだけど。本気で趣味に打ち込んでいる皆さんの熱量には、感心してしまう。




 まあ、それはともかく。

 そういった話し合いを経て、初デートの行き先は「星澄ルーセント水族館」に決定した。

 出掛ける日取りは、今月第三日曜日だ。午前中から入館し、たっぷり夕方まで観覧する。

 美織さんの仕事は、丁度その頃ゲーム雑誌に掲載されるイラストを納品したあとらしい。

 僕もスーパー「河丸」に連絡を入れ、アルバイトのシフトを変更してもらった。


 その後は再び水族館のホームページを閲覧するなどしつつ、詳しく当日の予定を立てる。

 徐々にデートが近付くにつれて、取り分け美織さんは気分が高揚しているみたいだった。



 外出を二日後に控えた深夜のこと。


「――裕介くんと一緒にお出掛けするの、とっても楽しみだな」


 美織さんは、ベッドの上に寝転がったまま、僕の隣で幸せそうに囁いた。

 互いにシーツの下へ裸身を潜らせ、汗ばんだ肌と肌とを密着させている。

 まだ二人のあいだには愛し合ったあとの、心地良い気怠さが漂っていた。


「こんなにデートでそわそわしてるなんて、おかしいと思う?」


「いいや。喜んでくれれば誘った甲斐があるし、僕も嬉しいよ」


 問い掛けに答えながら、美織さんの身体を腕の中でそっと引き寄せた。

 お姉さんは、少し恥ずかしそうに微笑むと、僕の胸に頬を擦り付ける。

 まるっきり純朴な少女が拠り所を求めるような仕草だった。

 心の中で可愛いなと思ったのは、もちろん本人には秘密だ。


 本当に不思議なお姉さんだよね、美織さんは。


 僕よりも七歳年上のアラサーで、同棲だってしているのに……

 今は中学生みたいにして、初デートに胸を高鳴らせている。

 まあ、僕だって恋愛経験は大差ないわけだから、あれこれ言えた筋合いじゃないんだけどね。



 ――何にしろ間違いなく、このときまでは美織さんも純粋にデートを楽しみにしていたんだ。

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