31:お姉さんはただ真っ直ぐに愛されたい

 不思議な巡り合わせを感じないわけにはいかない。


 何しろ、かつて僕が美織さんと親しくなったきっかけのひとつには、ネット上で深夜アニメの感想をやり取りしたことが挙げられる。

 特に『ラブトゥインクル』シリーズは、互いに会話が弾んだ作品で、思い出深かった。

 初めて雛番のマンションを訪れた日、続編『ラブトゥインクル・ハーモニー』の劇場版を二人で鑑賞したことも、まだ記憶に新しい。


 そんな『ラブトゥインクル』のファンアートを、過去に美織さんが描いていたという。


「二次創作そのものは、美織さんも学生時代に同人誌作りをしていた時期があったけど」


 皐月さんは、やや考え深げな面差しを覗かせた。


「大抵マイナージャンルで活動していた人だったから、当時の覇権アニメに手を出したってことも、わたしとしては若干驚きだったわ。相当に気に入って、ハマっていたんでしょうね」


 たしかに日頃はファンタジー系の絵を描くことが多いみたいだし、少し意外な印象の逸話だ。

 もっとも、僕は美織さんの過去を詳しく知らないけれど、考えてみれば人気イラストレイター「美森はな江」に関してはたぶんそれ以上に知らないことが多い。


 元々アニメやゲームは好きだけど、クリエイター個人の情報には(美織さんに限らず)あまり関心がないからなあ僕は……。それでなくても、初代『ラブトゥインクル』が流行った六年前は高校一年生で、ネット上の二次創作イラストなんて追い掛けちゃいなかった。


「それ以前にも、美織さんはイラストレイターとして商業活動はしていたんだけどね。とにかく本格的に有名になったのは、あの頃からだったと思うの」


 皐月さんは、三杯目のジョッキも空にして、すぐ四杯目を注文した。

 僕が店に入る前から飲んでいたみたいだから、もしかしたら五杯目か六杯目かもだけど。

 いずれにしろペースが速い。ひょっとしなくても相当お酒が強そうですねこのお姉さん。


「メチャクチャ綺麗な『ラブトゥインクル』の二次創作イラストを描いている若い女性が、実は有名ゲーム会社の新人デザイナーだった――そういう背景が短文投稿サイトツイッターのプロフィール欄を通じて、サブカル系のコアな消費者層に知れ渡ったのよ」



 世の中には、相乗効果というものがある。

 この話の場合だと、人気コンテンツのファンアートで得た評価が引き金になって、有名ゲーム会社のデザイナーという肩書きは追い風になったわけだ。


 それらによって乗算的に人気を獲得し、美森はな江の描く絵は脚光を浴びはじめたとか。

 最初は『ラブトゥインクル』の二次創作が目当てだった人々でも、ほどなくオリジナル作品にまで惹き付けられるようになったらしい。


 こうなるとエアロスタイル自体も当然、自社に属する社員の知名度を利用しようと考える……

 美織さんが『アルサガ3』でメインキャラデザイナーに抜擢された舞台裏には、そうした複雑な経緯があったみたいだ。



「もちろん当時から、美織さんに実力があったことはたしかよ。きっかけは人気アニメのファンアートだったかもしれないけど、そうでなきゃジャンルを越境した作品じゃ評価されない」


 皐月さんは、四杯目(※僕が知る限り)のジョッキにも口を付けた。


「でもエアロスタイルみたいな会社に在籍するデザイナーはね、美織さんだけじゃなく、誰もが何かしら天才的な実力の持ち主なのよ。しかも皆、日々地道に技術を磨き続けている……」


 美織さんの抜擢について、他の年長スタッフ側からの視点で想像してみる。

 きっとネット上で知名度を獲得していなかったら、美織さんがメインキャラデザイナーに就任することはなかったんだろう。業務経験の長さだけで推測しても、純粋にもっと実力があって、現場の皆が納得できるような人選があったに違いない。


 でもエアロスタイルは営利企業であって、芸術家集団じゃないんだ。

 ゆえに会社の利益を最大化する判断として、「より売れる商品を作るための人選」は「誰もが納得できる人選」に比べて、必ずしも誤りだとは言えない。

 また、開発スタッフも基本的に会社員で、業務内容に関わらず給与を得ている。

 そのため組織の決定には従う義務があって、安易に異議も唱えられないと思う。


 ただそうは言っても、クリエイターだって人間なんだ。

 人間には感情があって、我慢したって不満はつのるはず。


 皐月さんの言葉通りに開発スタッフが皆、日頃から自己研鑽けんさんに励んでいたとして――

 それにもかかわらず、年下の美織さんが誰よりも重要な仕事を任されたとしたら? 

 あたかも不公正な手続きで、努力を裏切られたように感じるんじゃないだろうか。


 しかも二次創作って、かなり独特なサブカル作品だからなあ。

 そこで得た知名度を実績と評価することには、抵抗感を覚える人だって居ると思う。

「不満があるなら美織さんと同じことを試せばいい」とも、短絡的には言い難い。


 だからって当然、それが美織さんに悪意を向けていい理由にはならないはずだけど……。


「そういう立場に苦しんで、美織さんは『アルサガ3』発売後にエアロスタイルを退職したの。よくあの環境で、ゲームが完成するまで耐えたと思うわ。――わたしは当時動画制作班ムービーチームの新人として、隣の部署で働いていたんだけどね。それでも凄く苦労していたのは、知っていたから」


 皐月さんは、ジョッキを持っていない方の手で、頬杖突きながら言った。

 そこはかとなく気怠けだるそうな瞳を脇へ向け、何もない空間を眼差している。


「おかげで美織さんは内心じゃ、いまだにあの頃の鬱屈うっくつを引きっているんじゃないかしら」



 僕は、ようやくハイボールを飲み干して、グラスをテーブルの上に置いた。

 お品書きで次に頼む飲み物を選びながら、たった今の会話を咀嚼そしゃくしてみる。


 ――美織さんと上手くいく人は、年下の確率が高そうな気がしたから。


 いましがた皐月さんは、僕に向かってそう言った。

 その上で、美織さんの過去を詳しく教えてくれた。

 年長のスタッフに囲まれ、嫉視しっしさらされて苦しんだ頃のこと……

 そのせいで、いまだ密かに鬱屈を引き摺っているということも。


 やり取りの流れを踏まえるなら、美織さんは「かつて年長者と険悪な関係になった経験が影響して、年下の恋人を求めるようになった」ような印象を抱く。


 でも、単にそれだけの話だろうか? 

 相手が年下であることは、美織さんにとって恋人を選ぶ上での絶対条件じゃなかったはずだ、とも皐月さんは言っていた。


 だがそうすると、自分がお姉さんから好意を寄せてもらえた要因は何なのか。

 ……やっぱりわからないなあ。恋愛経験の浅い僕にとっては、相当な難題だ。


 それで皐月さんによくよく訊いてみたら、殊更に物憂げな答えが返ってきた。


「美織さんみたいな才能溢れるタイプの女性はね、かえって年上男性だと受け止めてあげるのが難しいのよ。よっぽど人生で勝ち組に属している人間でなきゃね」


「それはまたなぜです? 年上男性には頼り甲斐を感じる、という女性の方が多そうですけど」


「何だかんだで、大抵の人間は自尊心プライドってものがあるせいよ。やっぱり年下の恋人が高所得者で有名人だと、我が身をかえりみてみじめに感じる男性は多いはずだもの」


 僕は、思わずうならされてしまった。


 年上からの年下に対する嫉妬しっと――

 それこそエアロスタイル在籍時の経験によって、美織さんが恐れおののく感情だろう。

 ましてや恋人同士のあいだに生ずる場合、それが余計に複雑さを増すことは明らかだ。


 しかしまあ実際は、非凡な年下の恋人を素直に肯定できる男性も数多く居ると思う。

 逆に性別や年齢差に関係なく、自分にないものを持つ相手をねたむ人間も居るはずだ。

「必ずしも年下である必要はないけれど、年下の方が条件を満たしやすい」

 というのは、要するにそういった諸要素をんだ上での話なんだろうな。



 あとこれは憶測だけれど、美織さんがあまり自ら素性を語らない理由も、何となく皐月さんとやり取りしているうちにわかった気がする。

 過去に苦い経験を味わったので、せめて仕事以外じゃ色眼鏡で見られたくない、と考えているんじゃないだろうか。


 あるいは才色兼備なせいで、昔から(もしかしたら会社員時代よりも前から)意図せず様々な人物に言い寄られて困惑することもあったのでは? 

 ……だとすれば、短文投稿サイトツイッターのアカウントを表裏で使い分けているのだって、無駄な混乱を避けるために正しい運用方法だと思う。


「恋人に経済力を求めない」と言っていたことも、実は同じ根を持つ価値観かもしれない。

 自分は目に見える数字で相手を愛したりなんかしない、だから相手にも目に見える部分で自分を愛して欲しくはない、というような。


 もし本当にこうした想像が、すべて当たっているのなら。

 ああ、我が恋人ながら、なんて純情なんだろう美織さん。

 まるで少女漫画の主人公みたいに乙女っぽくて、可愛らしい。

 どうしようもなく愛おしい気持ちが、心の底から湧いてくる。



「――たぶん美織さんは、ありのままの自分に味方してくれる恋人を望んでいた」


 皐月さんは、こちらへ再び視線を戻して言った。


「そうして裕介くんなら、真っ直ぐ自分を肯定してくれると思ったんでしょうね」


 それこそ美織さんが僕を好きになった理由だろう――

 というのが、皐月さんなりの客観的な理解みたいだ。



 僕は、ウーロンハイを注文すると、居住まいを正した。

 不思議な高揚感を覚え、かすかに体温が上昇している。


「美織さんに自信を持ってもらうには、どうしたらいいんでしょうか」


 喉に息が詰まるのを感じながら、僕は真剣に教えを乞うた。


「自分が美織さんを好きだって気持ちだけは、これまでにも本人に嘘偽りなく伝えてきたつもりなんですけど……。それじゃ足りないなら、具体的にどうすればいいかわからないんです」


「ふふん。どうやらやっと、今夜の本題に入る準備が整ったみたいね」


 皐月さんは、にやりと笑ってうなずいた。


 そうだ、今一度肝心の問題に踏み込もう。

 美織さんは「恋人から好かれ続けていられるかに自信がない」という。

 そんな馬鹿馬鹿しい不安は、僕が何としてでも取り除かねばならない。

 店員さんからウーロンハイを受け取ると、胸の内で意志を固めた。



「まず根本的な部分だけどね、恋人からの愛情を確信させるための特効薬なんてないわ」


 皐月さんは、相変わらずビールを呷りながら言った。

 それにしても全然酔った様子が見て取れない。強い。


「結局、大切なのは日頃からの積み重ねよ。それが継続して、徐々に手応えになるわけ」


 思いのほか、真っ当な意見だと感じた。

 なるほど恋人同士の曖昧な感情を理解し合うには、一朝一夕じゃ上手くいかないだろう。

 果たして皐月さん自身は、そういうを実感したことがあるのかは疑問だったけど。

 恋愛経験豊富だってことは、一人当たりとの交際期間が相対的に短いわけだからね……

 もっとも、この際それはいちいち訊くまい。


 また、さらに皐月さんは付け足して言った。


「ただし忘れちゃいけないのは、君と美織さんが少し普通と異なるカップルだってこと」


「それは僕が美織さんより七歳年下なのが、世間一般に比べて特殊だって意味ですか?」


「まあ、その点に関しては当然ね。昔はわたしも年下の男の子と付き合ったことがあったけど、その頃はいつも相手のことで色々と心配だったし。――とはいえ、それだけじゃないわ」


 こちらの問い掛けに首肯しつつも、皐月さんは尚も別の課題を指摘してきた。 


「何より気になるのは、君と美織さんが交際しはじめて以後の経過そのものについてかしら」


「……ええと。僕と美織さんの場合、交際開始時には半同棲生活がはじまっていたというか」


「もう知ってるわよ、美織さんに聞いたから。でもって、それが普通と違うって言ってるの」


 皐月さんは、ちょっと呆れたような面持ちで、かぶりを振った。



「あのね君。最初に顔を合わせてから、三ヶ月そこそこで付き合いはじめたことについては特段不自然じゃないわ。でもお互い初恋同士の成人済み男女が、一方の自宅へ初めて上がり込んだ日に二人揃って童貞と処女を捨てて、そのまま同棲生活しはじめるってね……。絶対あり得ないとまでは断じないにしろ、けっこう急展開だと思うんだけど。エロゲかエロ漫画の話みたいな」


 …………。


 これは僕自身も、正直うっかり忘れてましたね……。

 もう同棲当初の経緯なんか、わりと遠い昔の出来事みたいに感じはじめている。

 ひとつ屋根の下に暮らすようになってから、そりゃもう目がくらむような毎日が続いていることもあって、初体験が特殊な過程プロセスを経たことがどうでもよくなってきていたからなあ。

 人間は環境に適応する生き物だ。慣れって怖い。


 ていうか美織さんは恋愛経験の不足を補おうとして、あのとき実際にエロゲやエロ漫画で得た知識を頼っていた――というのは、本人の名誉のためにも黙っておくべきだよね。うん。


「まあ念のために言っておくと、二人の恋愛がどういう道筋をたどっているにしろ、それ自体は問題ないと思うのよわたしは。何が幸せなのかなんて、当人たちにしかわからないことだし」


 皐月さんは、店のお品書きを眺めながら言った。

 チーズ春巻きを追加で注文すると、先を続ける。


「だけど現状として、美織さんは君に好かれ続けられる自信が持てていないんでしょう」


 僕は、短く「はい」と答えた。

 理に適ったことが、人によっては必ずしも幸せにつながるわけじゃない。

 だから皐月さんは、今の僕と美織さんの関係を否定したりはしなかった。

 代わりに少しお道化おどた口振りで、ジョッキを掲げながら励ましてくれる。


「だったら『普通じゃない』って部分は受け入れた上で、何とかしなきゃね裕介くんは」


 皐月さんは、ビールを喉へ流し込み、例によって「ぷはっ」と呼気を吐く。

 それから、わざとらしく片目をつむり、思い掛けない提案を持ち出してきた。



「差し当たり次の休日にでも、美織さんをどこかへデートに連れて行ってあげなさいよ」

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