30:お姉さんを巡る過去の秘密

「――それじゃ、皐月さんは僕にどうしろって言うんですか」


 僕は、やや気落ちしてうつむいたまま、喉の奥から声を絞り出した。

 ひょっとしたら、大人げなく拗ねた態度になっていたかもしれない。

 余計に年下であることを馬鹿にされかねないと思ったけど、自分を抑えられなかった。

 僕だって、好き好んで美織さんを不安にさせているわけじゃないし、正直悔しかった。


「このままだと美織さんを不幸にするから、早く別れてしまうべきだとでも?」


「何言ってるの、まるっきり逆よ。むしろ、もっとガンガン愛してあげなさい」


 皐月さんは、苦笑交じりに溜め息吐くと、誤解を正すように言った。

 しかもジョッキをまた空けてから、殊更ことさらに意外な見解を付け加える。


「ていうか私ね。美織さんの恋人には、君がぴったりだと思ってるから。ちょっと他には、これ以上の適役はなかなか居ないんじゃないかな、ってぐらいね」


 思わず顔を上げて、正面に座る皐月さんへ向き直った。

 自分がそんな印象を持たれているとは、想像もしていなかった。

 まあ、もちろん侮蔑されたりしているよりは、遥かにいいけど。

 そうまで言われると、逆に今度は酷い買い被りにしか思えない。

 あるいは見立て違いか、おだてているだけか……。



 なんて、あれこれ懐疑的な考えを巡らせていると。

 皐月さんは、新たなビールを注文しながら言った。


「ねぇ裕介くん。なぜ自分が美織さんから好かれてるか、ちゃんとわかってる?」


 思い掛けないことを問い質され、ちょっと返事に詰まってしまう。

 恋人同士で相手の何が好きかなんて、はっきり言葉で確認し合ったことはない。

 また仮にそれを差し引いても、口に出して人前で説明するのは恥ずかしかった。


 しかし僕が困惑していても、皐月さんに無回答を許可する気はない様子だった。

 次のジョッキに口を付けつつ、こちらを見る目が「早く言え」と催促している。

 居心地悪さを覚えながらも、僕は仕方なく思い当たる点を挙げた。


「えっと……。たぶん僕が年下男子で、毎日ご飯を作ってあげてるからですかね」


「……あー。うんまあ、ご飯を作ってあげてるのは、たしかに大きいかも。ていうか、やっぱり裕介くんが毎日作ってあげてるのね。こないだ会ったときには否定していたけど」


 回答の後半部分に関して、皐月さんは一瞬考え込んでから言った。

 もっとも眉根を寄せた表情を見る限り、事前に想定していた理由じゃなかったらしい。

 それに美織さんの体裁を考えると、今更だが言及してはいけない要素だった気がする。

 あとから怒られそうなことを、自ら増やしてしまったかもしれない。美織さんごめん。


 それはともかく驚くべきは、回答の前半部分に対する反応だろう。

 どうやら皐月さんの見解だと、僕の認識には誤謬ごびゅうがあるみたいだった。

 答え合わせの結果にすっかり得心した様子で、頻りにうなずいている。


「でも思った通り。裕介くんは美織さんについて、わりと根本的な勘違いをしているようね」


 皐月さんは、ぐいっとビールをまた飲んでから言った。


「君が『年下男子』だっていうのは、きっと好かれるための絶対条件じゃなかったと思うわ」


「そうなんですか。美織さん当人は以前に『年下男子が好き』と何度か言っていたんですが」


「たしかに美織さんって、昔からゲームやアニメでも年下男子キャラが好きになる傾向があったけどね。……でも、さすがに現実世界に二次元の趣味をそのまま当てめたりはしないはずよ。うん、たぶんそのはず。昔は色々と言って聞かせたこともあるし……」


 いささか意表をかれて、僕は少しだけ口をつぐんだ。

 皐月さんは、ぶつぶつ独り言を交えながら請け合う。


 ――美織さんが僕を恋人に選んでくれたのは、年下だからってだけじゃなかった。


 皐月さんの教示する話が事実ならば、表面的な要素だけで好かれたんじゃなかったということになる。それは嬉しくもあり、かつ気恥ずかしくもあった。

 同時に「なぜ美織さんから好かれているか」という疑問には、一向に答えが出ないけれど。

 いったい僕のどんなところを、魅力に感じてくれたんだろう? 


 わけがわからず首をひねっていると、また皐月さんがこちらを正面から眼差していた。

 目元が笑っている。本屋でラブコメ漫画を立ち読みしているみたいな顔だと思った。


「あのね裕介くん、これは今言ったこととあべこべな話になるんだけど――」


 皐月さんは、テーブルに置いたジョッキの縁を、人差し指でなぞりながら言った。


「美織さんの恋人が年下男子だって知ったとき、わたしは『やっぱりね』とも思ったの」


「……それはどういうことですか。年齢は好かれる要因の絶対条件じゃないんですよね」


「ええ、そうよ。でも美織さんと上手くいく人は、年下の確率が高そうな気がしたから」


 またややこしいことを言う。

 つまり、美織さんが異性に求める理想には、

「必ずしも年下である必要はないけれど、年下の方が条件を満たしやすい」……

 そういう要素が含まれている、ということだろうか。

 それはどういった条件だろう。やっぱりわからない。



 尚も不可解な感覚に囚われていたら、皐月さんは急に次なる質問を投げ掛けてきた。


「裕介くんって、美織さんが会社員だった頃のことを、どの程度知ってるの?」


「どの程度かと訊かれると……。正直、ほとんど何も知らないかもしれません」


 ちょっと迷ってから、包み隠さず返答した。

 何しろエアロスタイルに勤めていたことでさえ、先日初めて知ったぐらいだ。

 それでなくたって、美織さんは自分から自分のことを進んで話す人じゃない。

 イラストレイターだと知ったのも、同棲の話が出たあとになってからだった。


 ……そんなふうに考えてみると、美織さんには謎が多い。

 美人で、優しくて、特殊な才能があって、お金持ちで、オタク趣味で、かつてはゲーム会社に勤務していたこともあって、でも僕と付き合うまでは恋愛経験が皆無だったお姉さん。


 凄く不思議な人だ。特に男女交際したことがなかった、という点は今でも本気で信じ難い。

 我が恋人ながら、あんなに魅力的な女性が誰にも好意を寄せられた試しがなかったなんて。

 本人は以前「ずっと絵を描いてばかりいたから、モテるとかモテないとか以前の問題だった」というようなことを言っていたけれど、本当なんだろうか。


 無論だからって、美織さん本人から過去を訊き出したいと思ったことはなかった。

 僕は、今現在のお姉さんが何より好きだし、傍に居てくれるだけで幸せを感じる。


 ――だが皐月さんはなぜ、ここで美織さんの過去に触れようとしているのだろう? 


「言っておくけど、美織さんはテレビドラマみたいに『本人が自ら打ち明けるまで待つ』なんて気長に構えていても、永遠に話してくれたりしないタイプだからね」


 皐月さんは、こちらの思考を見透かしたように言った。


「どっちかって言うと『先入観を持たず、目の前の自分を愛して欲しい』っていう、夢見がちで乙女っぽい人だから。一緒に居て何となく察しているとは思うけど」


「それでお節介にも、代わりに皐月さんが教えてくれるわけですか」


「私見だけど、その方が君と美織さんのためにはいいと思ったのよ」


 皮肉を込めた言葉を掛けても、皐月さんは悠然とした物腰でビールを飲んでいる。

 どこまでもふてぶてしいなあ。こういう強引な美人には、全然勝てる気がしない。

 ましてや皐月さんが示す見解には、僕も幾分否定し難い説得力を感じてしまう。

 美織さんが自分自身のことを、あまり多くを語ろうとしないのはたしかだった。



 僕は、ハイボールをグラスの半分ぐらいまで、喉の奥へ流し込んだ。

 少し言葉に詰まっていると、皐月さんは率先して話を続けようとしてきた。

 美織さんの過去を話すことについて、合意を得たと判断したみたいだった。


「とりあえず、美織さんがエアロスタイル在籍時に入社二年足らずで、当時開発中だったゲームのメインキャラデザイナーに採用されたって話は、まだ覚えてる?」


「はい、何となく。ええと、たしか『アルサガ3』でしたっけ……」


 僕は、皐月さんと美織さんが先日交わしていた会話を思い出す。


『アルサガ3』というのは、正式名称『アルトナサーガ3』。

 家庭用据置ゲーム機向けに発売された、有名RPGのシリーズ三作目。

 自由度の高いオープンワールド系フィールドを採用していて、プレイヤーの行動により物語が幾通りにも変化するシステムのゲームだ。広大な大陸が舞台で、やり込み要素が充実している。

 同じエアロスタイルの代表作『ドラゴンコネクト』のように万人から支持されるタイプの作品じゃないけど、いまだ熱心なマニアのあいだでは語り草になっている名作だった。


「そう、それね。まだ美織さんが二三歳の頃よ」


 皐月さんは、ポテトサラダをばしすくいながらうなずく。


「もちろん他にも社内には、すっごく優秀な先輩デザイナーが居たのに大抜擢だいばってき


「凄いですね美織さん。やっぱり昔から、とんでもなく才能があったんですね」


「……まあ何をもっとて才能と呼ぶかは色々な見方があると思うけど、取り分け『消費者に好かれるものを的確に斟酌しんしゃくしつつ、そこに独自性を加えて品の良さも両立させたイラストを描く感性』に関しては、疑う余地なく天才的な人だと思うわ」


 マンションの仕事部屋で、作成中のイラストを見せてもらったときのことを思い出す。

 あのとき美織さんは「普通の感覚を持ち続けることって、才能かもしれない」と言っていた。

 それから、技術があれば色々なものを描けるけど、それが必ずしも売れる絵じゃない、とも。


 皐月さんの批評と合わせて考えると、美織さんは本当に特別な感性の持ち主なんだろう――

 僕みたいな素人じゃなきゃ見失いがちな「普通」を、「普通じゃない」のに感じ取れる天才。

 特別な人間だから普通の感覚を持ち続けられる、というのも矛盾じみた話だと思うけど。


「でも繰り返すけどね、他にも社内には優秀な先輩デザイナーが何人も居たの」


 皐月さんは、ポテサラを口に運んでから、再度ビールのジョッキへ手を伸ばす。


「一方当時の美織さんは、第一開発室のグラフックチーム内で最年少だった。――さあ、それを年長のスタッフがどんなふうに感じたと思う?」


「……そりゃたぶん、あまり面白くなかったんじゃないかと思いますけど……」


 ハイボールを飲みながら、僕は「まさか」と言いたくなるような嫌な憶測が脳裏を過ぎった。

 理屈で考えれば、あり得ないはずだ。だって、これは企業に所属する社会人の話じゃないか。

 ……とはいえ僕が今考えている通りなら、美織さんに恋人が居なかったことにも得心がいく。


 皐月さんを見ると、こちらの推量を裏付けるように苦笑いを浮かべていた。

 アルコールを摂取しなきゃしゃべる気にもなれない、と言いたげに見えた。



「何だかんだでね、世の中って『出る杭は打たれる』ものなのよ」


 皐月さんの声音には、微量ながら珍しく陰鬱な響きがにじんでいた。


「美織さんにとって『アルサガ3』が完成するまでの開発期間は、周囲からの嫉妬や当てこすりに耐え続ける毎日だったと思うわ。グラフィック制作じゃ中心的な立場だったのに、いつも孤立していたような気がするもの。異物扱いされていた節さえあるわ」


 当時の美織さんを取り巻く状況について、また少し想像してみる。

 それは当然どう考えても、辛く苦しい環境だったに違いなかろう。

 ましてや担当部署の中で最年少だったそうだから、尚更に厳しい。


 いったい他のスタッフは、なぜ年下の美織さんに大人げない態度を取ったのだろうか。

 この話が事実とすれば一番納得できないのは、そこが酷く理不尽に感じられるせいだ。


 そもそも美織さんが仕事で抜擢されたのも、純粋に実力を評価されたからじゃないか。

 だとしたら、それだけの技量を習得した努力を称賛されこそしても、非難されるべきわれはどこにもないはずだ。それなのにどうして――? 


 その点に関して問い質すと、皐月さんは素っ気無く答えた。


「そんなの決まってるじゃない。当時の美織さんがメインキャラデザイナーに選ばれた背景は、単に技量だけを評価されたわけじゃなかったからよ」


「……どういうことですかそれ。何か他に理由が?」


「一応断っておくけど、美織さんは私と違って上司と恋愛なんかしたことないはずだからね」


 皐月さんは、未然の誤解を防ぐように言った。

 いやまあ、美織さんが出世のためにそういう手段を使う人じゃないことはわかってますよ。

 ていうか逆に上司を籠絡ろうらくした皐月さんは、社内で嫌われたりして悩んでないんですかね……

 なんて思ったけど、こっちのお姉さんなら大丈夫か。仮に嫌われていてもメンタル相当強そうだし、そうそう上役の恋人に嫌がらせできる人間も居ないだろうし。



「――美織さんが当時抜擢された最大の理由はね」


 皐月さんは、目の前で人差し指を、ぴっと垂直に立てる。


「その方がゲームの宣伝に都合が良かったからよ」


 事情を知らされてみても、即座にぴんと来なかった。

 美織さんが抜擢されることで、それが宣伝になる? 

 いまいち意味がわからない。


「実は美織さんって、出世の前年から急激にクリエイターとしての知名度が上がりはじめたの」


 目を白黒させていたら、皐月さんが詳しい説明を付け足した。


「趣味で描いた二次創作イラストを、何気なくWeb上にアップロードしたのがきっかけでね」


 二次創作イラスト……ってことは、いわゆるファンアートってやつだよね。

 漫画やアニメ、あるいはゲームの版権キャラクターなんかを題材に描かれた作品。

 そうした絵がネットで好評を博し、あちこちに拡散される光景は頻繁に見掛ける。


 皐月さんによれば、美織さんが描いたのは深夜アニメのファンアートだったらしい。

 普段はあまり描かない種類のイラストだったけど、またたく間に大人気になったそうだ。



「それが約六年前のことよ。あの頃、美織さんは一躍注目を集めはじめていたわ――深夜アニメ『ラブトゥインクル』の二次創作で。売れ筋ジャンルの影響力って、本当に凄いわよね?」

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