29:お姉さんに怯えつつ別のお姉さんと飲む

 まあ、ここは直接本人から事情をたずねてみるか。

 目の前に居るんだし、遠慮する必要もないだろう。


 僕は、品出し作業に戻りながら、皐月さんの様子を横目でうかがう。

 故意に咳払いしてみせてから、改めて控え目な声で話し掛けた。


「えっと……。皐月さんは今夜、どうして僕のバイト先へ来たんですか?」


「つれないことを訊くのね。君に会いたかったからに決まってるじゃない」


「ふざけないでくださいよ」


「ふざけてなんかないわよ」


 皐月さんは、楽しそうに答えると、すぐ隣に並んで立った。

 売り場に置かれているチョコレート菓子を手に取り、パッケージを眺める。

 ごく何でもない買い物客を装いつつ、僕とのやり取りを続ける魂胆こんたんらしい。


「裕介くんには、わたしから色々と話しておきたいことがあってね」


「そのためにわざわざ、平日に都内から星澄まで出てきたんですか」


「まあ今星澄に来ているのは、他に仕事の用事もあったからだけど」


 皐月さんによると、星澄市内にはゲーム開発業務の下請け企業があるそうだ。

 エアロスタイルでも、作中で使用するCGの制作を一部委託しているという。

 今日は外注素材に関して打ち合わせするため、中央区を訪れていたんだとか。


 平伊戸には、そこで仕事を済ませてから寄ったわけだ。

「実は先日ロイヤルハイム雛番で会ったときも、午前中は同じ会社に顔を出していたのよ」と、皐月さんは付け加えて言った。


「でもどうやって、僕がここのスーパーで働いてるって知ったんですか」


「そんなの美織さんとメッセージを何度も往復してるうちにわかったわ」


 素朴な疑問を投げ掛けると、ごく何でもないことのように答えが返ってきた。

 そう言えば、以前「美織さんはメッセージで惚気のろけ話していた」なんてことも聞かされたっけ。

 たしかにやり取りしているうち、僕のバイトに関する話題が出ていたとしても不思議はない。


 皐月さんは、売り物のチョコ菓子を、次々と持ち替えながら話す。


「もっともバイト先が平伊戸にある『河丸』ってスーパーだってことと、裕介くんが今夜は遅くまで働いてるっぽいってことぐらいしか、ここへ来るまで知らなかったけどね」


 それで閉店時刻の三〇分前に来店したんですか。

 でも僕が実際に終業して退店するまでには、たぶんあと一時間以上掛かる。

 売り場での仕事を済ませてからも、まだ閉店準備などが残っているためだ。


 そう説明すると、皐月さんはわずかに思案の素振りを覗かせた。


「じゃあ、いったんスーパーの外へ出て、裕介くんがバイトを終えるまで待つわ」


「スーパーの外でって……深夜に女性が道端に突っ立っていたら、危ないですよ」


「あら、お姉さんのこと心配してくれるの? それはなかなか紳士的な心掛けね」


 一応は気を遣って言ってみると、揶揄からかうような調子の反応が返ってきた。


 それから皐月さんはスマートフォンを取り出し、手元で操作しはじめる。

 ほどなく画面を見ながら、この近所に深夜も営業している居酒屋があるわ、とつぶやいた。

 そこで僕のアルバイトが終わるまで、一人で飲みながら待つつもりだそうだ。マジですか。


 思わず呆気に取られていると、成り行きで連絡先を問い質された。

 だからバイト中なんだし、ちょっと勘弁して欲しいんだけど……

 とは思いつつも仕方なく、品出しの合間にメッセージアプリのIDを交換してしまう。


「退店したら、きちんと連絡してね。それから居酒屋まで来るのよ。わかった?」


 皐月さんは、一方的に釘を刺してきた。強引すぎる。


「いやあの、美織さんも僕が帰るのを待っていてくれているはずなので。こんな唐突に誘われても、正直ちょっと困るんですが」


「だったら美織さんにも、わたしから一言連絡を入れておいてあげるわ。――『今から裕介くんをしばらくお借りします』っと」


「うわああぁ!? おもむろにスマホで何をフリック入力してるんですかぁ!?」


「もうメッセージ送っちゃったわ。でもって、高速で既読が付いたみたいだけど」


 背中の上を、冷や汗が滝となって滑り落ちていく。

 予期せぬ危機的事態に直面し、戦慄を禁じ得ない。


 だが皐月さんは、しれっとした顔だった。

 こちらの都合なんかおかまいなしである。


「そういうわけで、よろしくね。逃げようとなんてしたら、承知しないから」


「承知しないって。いったい逃げたら、僕に何をどうするつもりなんですか」


「美織さんに君が『バイト先で女子高生と仲良くしている』って暴露するわ」


 そう言い残すと、皐月さんはチョコ菓子の箱をひとつ選んで、レジへ向かった。

 仕事を邪魔したびのつもりか、店の売上に僅かながら貢献してくれるらしい。

 そんな義理立てされたって、僕の給料には何も反映されないけど。

 ていうか、それより美織さんの件をどうしてくれるんですか……。



 皐月さんが売り場を立ち去ったあとは、やっと品出し業務がはかどるようになった。

 もっとも終業後に直面する問題が頭から離れず、ずっと気分はもやもやしていたけどね。

 皐月さんを相手するのは面倒臭いし、何より美織さんに色々誤解されてそうなのが辛い。


 とはいえ、今となっては退路を塞がれたも同然。

 大人しく皐月さんの指示に従おう。また美織さんに妙なことを吹き込まれても困る。

 仕事を終えてタイムカードを切ると、今夜も時刻は午後一〇時四五分と記録された。

 スーパーの敷地を出たら、すぐさまメッセージで皐月さんに連絡を入れる。

 ほどなく返信があって、居酒屋の位置を示す地図をURLで寄越してきた。


 指定された飲み屋は、地下鉄平伊戸駅から徒歩五分足らずの距離にあった。

 店の出入り口の上には、「居酒屋じゅんじ」という看板が掲げられている。

 暖簾のれんを潜ると、中年女性の店員さんが出迎えてくれた。

 知人に呼ばれてきた旨を伝え、店内へ案内してもらう。



 皐月さんは、細長い店舗の奥にある席で、ビールのジョッキをあおっていた。

 テーブルの上には、焼きナスの乗った皿とポテトサラダの器が並んでいる。

 僕が来店したことには、ほとんど間を置かずに気付いたみたいだ。

 こちらを振り向くや、陽気な笑みを浮かべながら手招きしてきた。


「アルバイトお疲れ様。さあさあ、そっちの席に座りなさいよ裕介くん」


 ねぎらいの言葉と共に、皐月さんは僕に着席をうながしてくる。


「ここはお姉さんのおごりだから、君も遠慮せず好きなものを注文なさい」


「いったい僕に何の話ですか。もう一時間と少しで日付が変わりますよ」


 僕は、店のメニューを受け取ると、率直に問い質した。

 経緯はともかく、平日深夜に一対一で向き合う状況を設定されたわけだ。

 おまけに皐月さんは、わざわざ都内から数時間掛けて星澄を訪れている。

 いくら他の仕事のついでと言われたって、警戒せざるを得ない。


「そんなふうに身構えなくても、別に取って食べたりなんかしないわよ」


 皐月さんは、ジョッキを口元で傾け、ビールを喉の奥へ流し込む。

「ぷはっ」と声に出して呼気を吐いてから、懐柔するように続けた。


「あと君がここへ来る前に、美織さんには改めて事情を説明したから心配しなくてもいいわ」


「……事情を説明したら、僕が皐月さんと二人だけで飲むことに納得してくれたんですか?」


「そんなわけないでしょ。メッセージ上の文面でも相当怒っているみたいだったし美織さん」


「それじゃ本当に説明しただけで、まったく何の処置フォローにもなってないじゃないですかぁ!?」


 またもやツッコミ入れずにはいられない。

 こっちを無理やり振り回しておいて、迷惑極まりない上に無責任すぎだ。

 しかし皐月さんは、まるで悪びれたりせず、殊更に的外れなことを言う。


「だったら美織さんには一切断りを入れず、わたしとこっそり飲みに来た方が良かった?」


「いいわけありませんよ。でもだからって、こんななし崩し的なのも駄目に決まってます」


「真面目だねぇ裕介くんは。ちょっとお姉さんまぶしいよ。もう時代は令和だっていうのに」


 少し目を細めると、なぜか皐月さんは優しい面持ちになって僕を眼差す。

 ていうか改元関係ありましたかね今の話。マジで意味不明なんですけど。


 にしても、この件でまだ美織さんから僕のスマホに連絡が来てないのが怖い。

 皐月さんから説明を聞いても、理解を示してくれたわけじゃないみたいだし。

 あとで雛番のマンションに帰るのが恐ろしすぎる……。



「まあ、とりあえず飲みなさいよ。大事な話はそれから」


 皐月さんは、改めて僕に酒を勧め、雑にやり取りを先へ進めようとする。

 どうにも釈然としないけど、何を言ったところで受け流されそうだった。


 内心げんなりしつつ、通り掛かった店員さんにハイボールを頼む。

 その際、皐月さんも一緒に追加の生ビール(大)を注文していた。

 見れば、いつの間にか今飲んでいたジョッキが空いている。


「――今夜会いに来たのはね、君にいくつか美織さんのことを教えてあげたいと思って」


 互いの酒がテーブルに届くと、皐月さんはようやく用件らしき話題を切り出してきた。


「きっと裕介くんって、まだ美織さんについて詳しく知らない部分が沢山あるでしょう」


 僕は、何も言わずにグラスに口を付け、ハイボールをすすった。

 真向かいに座る年上美人の顔を覗き込み、慎重に様子を窺う。


 とりあえず、どうして皐月さんが僕と二人だけで会おうとしたのかはわかった。

 美織さんのことを話すに際して、本人が同席していると具合が悪いせいだろう。

 わからないのは、わざわざ僕にそんな話題を持ち掛けてきた理由だ。



「実はこないだ、美織さんの部屋へ遊びに行ったときだけどね――」


 皐月さんは、美味そうにビールを飲みながら言った。

 こちらの視線なんて、気にするような素振りもない。


「わたしにとって一番の目的は、裕介くんの顔を見ることだったわ」


「てっきりゲームイラストの制作依頼だとばかり思ってました」


「それはもちろん引き受けて欲しかったけど、二番目の目的ね」


「いったい僕の面白くもない顔を見て、どうするつもりだったんですか」


「あら、面白くないってことはないわよ。わりと可愛いから安心なさい」


 皐月さんは、へらへら笑いながら請け合う。

 おかげでなぐさめられるどころか、かえって馬鹿にされたような気分になった。

 でも、まともに相手をするだけ無駄だろう。それより質問に答えて欲しい。


 こちらの意思が伝わったのか、皐月さんは話を元に戻した。


「あの日、わたしが君に会おうとしたのは、どういう男の子かが知りたかったからよ」


 美織さんの「初めての恋人」について、興味があった――

 ということらしい。まあそんなことだろうなと思っていた。


 ただし皐月さんは、すぐにそのあと意外な言葉を続けた。


「でも二人が同棲している部屋をいざ訪ねてみたら、まったく別の問題に気付いたわ」


「まったく別の問題……というと?」


「それはだから、美織さんの問題よ」


 鸚鵡おうむ返しに重ねて問うと、皐月さんはかぶりを振った。

 再度ビールを呷ってから、僅かに身を乗り出してくる。


「あのね裕介くん。これは念のため、確認の意味を込めて言うけど――」


 皐月さんは、こちらを半眼でじっと見据えた。



「たぶん美織さんって、まだ本当に君から好かれているかで自信持てていないからね」



 やや抑え気味の声音で告げられた言葉には、しかし踏み込むような鋭さがある。

 僕は、思わずどきりとさせられて、懸命に平静を取りつくろわなきゃならなかった。


 ――自分がこのまま裕介くんに好かれ続けていられるかも、全然自信がないの。


 皐月さんの指摘は、美織さんが近頃吐露していた心情そのものだった。

 恐ろしく的確な洞察だ。気心知れた同性ゆえに看取し得るのだろうか。


「まずはそこのところ、ちゃんとわかってる?」


「……ええ、はい。それは一応、自分なりには」


 繰り返し問い質され、僕は若干緊張しながらうなずいてみせた。

 だが本当は「事実を認識していたものの、今初めて問題意識を持った」というのが実情だ。

 美織さんから聞いた話と、皐月さんの指摘を照らし合わせてみるまで、正直それほど深刻にはとらえていなかった。おそらく恋人同士であり続ければ、自然に解決することだろう……と、明確な根拠もなく考えていたからだ。


 ……それにしても、美織さんの心情を鋭敏に見抜いていながら、さっきは晴香ちゃんのことを密告すると言って脅そうとしていたのか。冗談がキツすぎる。



 皐月さんは、尚も正面から数秒余り、僕の顔を真っ直ぐ眼差していた。

 こっちの浅はかな思考なんて、とっくに見透かしているみたいだった。


「たぶん年の差恋愛って、それほど今の時代じゃ珍しくないけど」


 皐月さんは、おもむろに上体を引いて、椅子に腰掛け直す。


「やっぱり世間的には、あまり普通じゃない、と思われているわ」


「それが美織さんにとって、恋愛に自信を持てない原因だってことですか」


「自分の価値観にそぐわないものを否定する人は、いくらでも居るものよ」


「価値観の合致しない人の意見なんか、無駄に気にしなきゃいいのに」


「それは単なる君の願望ね。誰もが割り切れるものじゃないでしょう」


 思わず少しむきになると、皐月さんは軽く肩をそびやかした。

 整った面差しには、諦観ていかんにじむ奇妙な笑みが浮かんでいる。


「しかも否定的な意見を言ってくる人って、いかにも『自分の主張は理性的な判断だ』っていうていで価値観を押し付けてくることが多いのよ。『年収五〇〇万円以上の男性と結婚しないと苦労する』とか『女性は三五歳以上で初産だと高齢出産のリスクが増すから、二〇代のうちに結婚しなきゃいけない』とか……。それで、ついつい誰もが納得しそうになっちゃう」


 僕は、ハイボールをひと口含んで、テーブルの上へ視線を落とした。

 上手い反論が思い付かない。なぜなら僕自身もいつの間にか、世間一般の価値観を妥当なものとして受け入れていることがあるな、と気付いたからだ。

 例えば「フリーターで美織さんを幸せにできるのか」と訊かれれば、自信は皆無だった。

 それはたぶん、美織さんが僕との年の差に感じている不安と、同質のものかもしれない。



「合理性が高そうな価値観に抵抗するのは、大抵辛くて苦しいものよ」


 皐月さんは、はしで焼きナスをつつきながら言った。

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