25:お姉さん二人のあいだで

 何はともあれ、一夜が明けて――

 美織さんの女友達が雛番ひなつがいを訪れる日になった。


 朝は早めに起床して、掃除や洗濯をまとめて片付けておく。

 美織さんも正午までに仕事を切り上げ、来客に備えていた。

 その後、二人で軽い昼食を済ませて、しばらく待つ。

 時計の針が午後一時半を回り、約束の時刻になった。


 やがて間を置かず、リビングに電子音声で九〇一号室の呼び出しが入った。

 美織さんがインターフォンの端末に歩み寄り、液晶画面の映像を確認する。


「皐月ちゃんがマンションのエントランスまで来たみたい」


 いよいよ、美織さんの女友達が到着したらしい。

 すでに微妙な緊張感を覚えて、僕は息を呑んだ。

 美織さんは、画面越しに二言三言やり取りし、端末を操作した。

 セキュリティを解除して、訪問客をエレベーターへ招じ入れる。


 ほどなく、改めてピンポーン……♪というチャイムが鳴った。

 美織さんが玄関へ出迎えに立ち、いったんリビングを離れる。

 戻ってきたときには、半歩後ろに噂のお客さんを伴っていた。



「紹介するね、裕介くん」


 美織さんは、初対面の僕と来客を取り成して言った。


「こちらが私の美大時代からの友達で、瀬尾せお皐月ちゃんだよ」


 ぱっと見て、皐月さんは綺麗な女性だな、と思った。

 ハニーブラウンのミディアムヘアは、内巻き気味で手入れが行き届いている。

 白い刺繍ブラウスとロング丈の花柄スカートを組み合わせたファッションには、清楚系の女子アナウンサー的な雰囲気が漂う。学生時代だったら、アイドルみたいに見えたのかもしれない。


 もっとも同じ美人でも、美織さんと皐月さんは印象の方向性が随分異なっていた。

 美織さんは、やや童顔で、性格面も含めた愛らしさが滲み出ているような美人だ。

 一方の皐月さんは、まるで世間の需要を汲み取ったような、隙のない美人だった。


 僕は、ソファから腰を上げて、当たり障りないように名乗る。


「どうも初めまして、小宮裕介です」


「へえぇー、キミが裕介くんなのね」


 こちらの挨拶に対して、皐月さんは妙に楽しそうな笑みで応じた。

 かすかに瞳を細め、僕の顔をじっと眼差す。なぜだか居心地が悪くなる視線だ。

 あたかも檻の中に閉じ込められた動物になって、観察されている気分になった。


「こちらこそ初めまして、瀬尾皐月です」


 皐月さんは、改めて自己紹介すると、脇に抱えたバッグの中へ手を入れた。

 すぐ僕の隣まで歩み寄ってから、取り出した名刺を両手で渡そうとしてくる。

 例によってフリーターだと、こういうとき受け取る一方なのが少し気まずい。


「わたし、美織さんが以前に退職したゲーム会社の元後輩なの」


   ______________

  |株式会社エアロスタイル   |

  | ゲーム開発事業部企画課  |

  | 第二開発室ディレクター  |

  |     瀬尾皐月     |

  |              |

    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 名刺に印刷された文字を見て、僕は思わず目を白黒させた。


「え、えっと。ひょっとしたらエアロスタイルって、あの――」


 ゲーム会社の【エアロスタイル】と言えば、RPGファンには説明不要の老舗メーカーだ。

 これまでに売上何百万本という人気作を、いくつも家庭用ゲーム機で世へ送り出している。

 代表作『ドラゴンコネクト』シリーズは、国民的RPGと呼ぶ人も居るほどだった。


 でもって、皐月さんが勤務しているゲーム会社を……美織さんは過去に退職してした? 

 そう言えば、たしかに美織さんからは「フリーランスになる以前、ゲーム会社に勤めていた」と聞かされたことがあったような。

 とはいえ、それがエアロスタイルだったなんて初耳だよ。

 まあ、僕も詳しく訊いたりしようとしなかったんだけど。


 若干動揺していると、皐月さんはちょっと怪訝けげんそうな面持ちになった。

 だが、すぐに何やらぴんと来たらしく、目を見開いて問い掛けてくる。


「……まさか美織さんがエアロスタイルに勤めてたこと、今まで知らなかったの?」


 見事な洞察だった。鋭いなあ。

 否定できずに少し口を噤むと、皐月さんは深々と嘆息した。

 傍らへ向き直って、美織さんの顔を半眼でじっと見詰める。


「美織さん。うちの会社を辞めてからも、やっぱり相変わらずの調子みたいですね」


「なあに皐月ちゃん。私の何がどう相変わらずなのか、まるでわからないんだけど」


 非難じみた視線を向けられても、美織さんは素知らぬ態度で応じる。

 皐月さんは、食い下がろうとはしなかったものの、気怠けだるそうにかぶりを振った。

 何となく、呆れたような面持ちが「そういうとこですよ」と言いたげに見える。

 しかし符丁ふちょう的なやり取りで、こちらにはさっぱり両者の思惑が伝わって来ない。



 ……とりあえず、何か飲み物を出すべきだよな、と僕は思い立った。


「ちょっとコーヒーでもれてくるね」


「あ、いえ。どうぞおかまいなく……」


 席を外そうとしたら、皐月さんはちょっぴり慌てて遠慮した。

 型通りの言葉を会釈で受け流し、そのままキッチンへ向かう。


「折角だし、裕介くんの厚意に甘えちゃおうかな」


 美織さんは、ちらりと僕を一瞥いちべつしてから言った。


「じゃあ皐月ちゃんは、そっちに座って楽にして」


 着座を勧めると、自ら率先してリビングのソファへ腰掛ける。

 うながされるまま、皐月さんも品良く向かいの位置に座った。

 僕は、ポットでお湯を沸かしつつ、ミルでゆっくり豆をく。


 そのあいだに美織さんと皐月さんが交わす会話は(あまり明瞭に聞き取れなかったものの)、キッチンまでかすれ気味の声音で届いていた。


「随分と気が利く彼氏じゃないですか、美織さん」


「絶対あげないからね。変な色目使わないように」


「欲しいだなんて言ってませんよ。わたしを何だと思ってるんですか」


「上から下まで攻略対象を広範囲で撃墜するオールラウンダーだよね」


「……ちゃんと今はわたし、真面目にお付き合いしている男性が他に居ますからハイ」


「だから信用しろと? 笠美カサビの漫研で『生きるリビング伝説レジェンド』とうたわれた姫が何をおっしゃる」


 相変わらず、符丁的な要素が多い会話みたいだった。

 第三者的な立場の僕には、半ば意味不明でしかない。


 コーヒーをカップに注ぎ、トレイで運んでテーブルに並べる。

 すると、美織さんがソファの隣を指し示し、そこに座るように合図を送ってきた。

 皐月さんも、催促するような目で僕を見ていて、着座を要求しているのがわかる。


 二人のお姉さんから不可視の圧を掛けられ、もはや大人しく従うしかない。

 僕がソファへ腰を下ろすと、すぐさま美織さんは互いの身体を接近させてくる。

 腕と腕とが触れ合って、思わず身をすくめそうになった。正直人前で恥ずかしい。

 だが美織さんは、殊更ことさらに接触を維持し、あえて離れようとはしなかった。

 そうすることによって、まるで何かの権利を主張しているみたいだった。



「ところで皐月ちゃん、そろそろ今日来た用件を聞かせたもらおうかな」


 美織さんは、仕切り直すように言った。


「どうせ、ここで単に世間話だけして帰るつもりじゃないんでしょう?」


「さすが美織さん、とっくにお見通しでしたか。話が早くて助かります」


 どうやら指摘は事実だったらしい。

 でも皐月さんに笑顔を崩す気配は、ちっともなかった。

 再び自分のバッグを探ると、今度は茶封筒を取り出す。

 それをテーブルの上へ置いて、すっと差し出してきた。


 美織さんは、胡乱うろんそうな面差しで、茶封筒を検める。

 開封すると出てきたのは、A4サイズの書類だった。

 一ページ目上部には、太字で『幻想のステラマリス(仮)』と印字されていた。

 金属製の留め具で束ねられた紙面を、美織さんは眉根を寄せてめくっていく。


「……何これ。ソーシャルゲームの企画書じゃない」


「第二開発室で今、わたしが企画中のやつなんです」


 皐月さんは、首肯して言った。


「基本的には、王道路線で直球勝負のファンタジー系ゲームでして」


「まあ、ざっと見た印象じゃエアロらしいゲームだと思うけど――」


 書類の文字から視線を上げると、美織さんはわずかに居住まいを正す。

 何やら相手の出方に予測があって、身構えるような素振りに見えた。


「こんなものを私に読ませて、いったい何をどうしたいのかな皐月ちゃん」


「今更あれこれ言わなくたって、わかってるんじゃありませんか美織さん」


 皐月さんは、意気込みを示すように、やや前へ身を乗り出す。

 はぐらかしたりさせまい、という意思が傍目はためにも見て取れた。


「美織さんには、このゲームにグラフィック素材を提供してもらいたいんです。もし可能なら、プレスリリース時にキービジュアルとして使用できそうなイラストも描いて頂けませんか」


 隣で会話を聞いていて、皐月さんが「美織さんに仕事の依頼を持ち掛けているらしい」というのは僕にもわかった。要するにゲームで使う絵を描いてくれって話だろう。

 それとキービジュアルってのは、たしか宣伝用に公開されたりするイラストのことだよね。



 二人のお姉さんは、互いに目を逸らすことなく、正面から相対していた。

 双方共に黙り込み、一〇秒弱の時間が流れる。酷く長い間に感じられた。


「申し訳ないけど、スケジュール的に無理かな。引き受けられない」


 やがて、美織さんが口を開き、しかし明確な断りの言葉を伝えた。


「今年はもう、年内いっぱい仕事の予定が埋まっちゃってるんだよ」


「またそんなこと言っちゃって。まだホントは余裕ありますよね?」


 皐月さんは、粘り強く交渉を続けようとして、引き下がらなかった。


「稿料なら充分な額がお約束できますよ。けっこう予算はあるので」


 発注予定のイラストの単価などについて、具体的な説明が為される。

 描き下ろし一枚当たりの報酬額を聞いて、僕は唖然としてしまった。

 ゲームで使用する絵の稿料は、スーパー「河丸」のバイト代一ヶ月分より高かったからだ。

 おまけにキービジュアルのような宣伝用素材には、その二倍近い金額が支払われるという。


 だが美織さんは一貫して、皐月さんの依頼を請けようとしなかった。

 スケジュールの問題以外にも「現在携わっているゲーム関連の案件の他は、雑誌やラノベでの仕事を優先したい」という意向が理由らしい。


「知ってると思うけど私ね、もうソシャゲの仕事は他社で継続的に請け負ってるものがあるの」


「そりゃ当然わかってますよ。『KarmaカルマDemonデーモンCallコール』で、美織さんがキャラデザ担当した☆5の女神ウルズの話題なんか、短文投稿サイトツイッターで以前バズったりしてましたからね。ガチャに八〇万円以上突っ込んで召喚できなかった、ってユーザーの爆死報告とか……」


 美織さんが誇る実績(?)として、皐月さんは少し怖い話を引き合いに出す。

 そう言えば、過去にあのソシャゲ界隈じゃウルズ実装当時にそんなユーザーが居た、って話もネタになってたなあ。あれって美森はな江(美織さん)がデザインしたキャラだったんだよね、今になってみて初めて気付いたけど。


「でもだからこそ美織さんが描くイラストの、オタクを釣れる集金力が欲しいんですよ!!」


「直球でぶっちゃけすぎだからね皐月ちゃん!? ちょっとは本音をオブラートに包んで!」


 女友達の身も蓋もない言い分に対して、美織さんは即座にツッコミを入れる。

 でも皐月さんは華麗に聞き流して、説得を試み続けた。悪びれる様子もない。


「ちょっとぐらい融通利かせて、わたしのために描いてくださいよぉ~お願いですから!」


「だめだめ。この案件引き受けたら、ソシャゲ関連の仕事が比重高くなりすぎちゃうもん」


「酷いですよ美織さん、女の友情のもろさを今実感しました! 男ができたらそれですか!」


「泣き落としで成立する友情なんて最初からないから!! あと彼氏関係ないからね!?」


「ついさっき、美織さんのことを『相変わらずの調子みたいですね』って言いましたけど、撤回します。わたしの知ってる美織さんは死にました」


「あのね皐月ちゃん。変わっただの変わらないだのって、私のことを好き勝手に言って批評した挙句、いつの間にか殺さないで欲しいんだけど?」


「はあ、昔の美織さんはもう居ない……。学生時代の美織さんなら、楽しくお茶しながら『風の飛跡』のエリックきゅんについて話題を振れば、一頻ひとしきり熱く語ったあとにどんな汚れ仕事だって引き受けてくれたはずなのに……すっかり三次元に骨抜きにされちゃって……」


「私を闇堕ちしてラスボス化したキャラみたいに扱わないでくれるかな? それと『風の飛跡』のエリックきゅんについての話題なら、今だって原作ゲームからコミック版小説版OVA版まで三日三晩語れるからね私。あと過去に汚れ仕事を引き受けたことなんかないし」


 白々しく悲嘆する皐月さんの有様を、美織さんはうんざりした表情で眺めていた。

 いやしかし、無茶振りや暴論を連発する皐月さんはヤバいし、そこにイキったオタクアピールを交えつつ応戦する美織さんもわけがわからない。



 ていうかこれ、強いて言えば美織さんがツッコミ役に回っているのか……

 いつもだったら、僕がこじらせ発言ボケにツッコミ入れなきゃいけないのに! 

 天然気味の美織さんに自然と守勢を取らせてしまう皐月さん、恐るべし。


 もはや、年上女性二人のやり取りに口出しする術などあるはずもない。

 ただただ戦慄しながら、僕は傍らで事態の推移を見守るしかなかった。

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