24:お姉さんは墓穴を掘る
半同棲状態がはじまったことで、私生活は大きな転換点を迎えつつあるわけだけれど。
スーパー「河丸」でのアルバイトに関しては、今のところ取り立てて変化はなかった。
週五日の出勤日は、基本的に遅番で、相変わらず夕方から品出し業務に従事している。
そうして午後七時を過ぎると、晴香ちゃんと一緒に休憩に入るのも変わりなかった。
どういうわけか大抵平日の勤務シフトが被っているんだよな、我がバイト後輩とは。
ある日の休憩時間にも、二人揃って従業員控室で夕飯を食べていた。
「近頃、雨降りの日ばかりじゃないですか。自宅で引き篭もりがちなんですよね」
晴香ちゃんは、例によって菓子パンを
六月に悪天候が多いのは、梅雨時期なんだし不可抗力だね。
外出するのが
もっとも天気が良くたって、僕や美織さんなんかは基本インドアだったりするけど……
などと内心考えつつも、ここは余計な口を挟んだりせず、晴香ちゃんの話に耳を傾ける。
「もっとも学校で運動部に所属している友達には、天気が多少悪くても屋外で練習している子がけっこう多いみたいで。――そろそろ、みんな夏の大会が近いからなんですけど」
ふうん、高校の部活動か。
ひと夏の大会に全身全霊を尽くして挑む、というのはいかにも青春らしいな。
まあ僕が中高生の頃はずっと帰宅部で、まったく縁のない世界だったけれど。
「それは大変だね。あまり雨の日に無理して、風邪を引いたりしなきゃいいけど」
「私も同感です。大事な時期に体調を崩したら、それこそ元も子もありませんよ」
率直な感想を述べると、晴香ちゃんは生真面目に相槌を打った。
堅実な意見だ。最低限の条件だけは外さない判断とも言えよう。
「そう言えば、晴香ちゃんは何かしら学校じゃ課外活動の類に参加していないの?」
会話の流れで、何気なく訊いてみる。
ただ正直言うと、半ば質問しつつも帰宅部なんじゃないかなと予想していた。
なぜなら、バイトシフトが頻繁に僕と重なるからだ。概ね毎週、三度か四度。
これだけ出勤していたら、並行して部活動まで注力できそうにない気がする。
そんなふうに思ったんだけど、晴香ちゃんの答えは思い掛けないものだった。
「実は一応、あたしも部活に所属しているんですよ。女子しか居ない
これには密かに驚いた。事実なら随分多忙そうだ。
好奇心を刺激され、つい重ねて問い掛けてしまう。
「へぇ、どんな部活なの」
「『お菓子研究会』です」
晴香ちゃんは、妙にキリッとした顔で言った。
……が、すぐに目をはっと見開いて、ちょっぴり居心地悪そうに横を向く。
菓子パンの生クリームが、口元に付着していることに気付いたからだろう。
僕は、あえて見て見ぬ振りをし、何食わぬ調子で会話を続けることにした。
「えーっと……。それはつまり、料理研究会のお菓子版みたいなやつ?」
「まあ大雑把に分類すれば、そういう種類の部活動かもしれないですね」
「それじゃ、みんなでお菓子を手作りして、試食してみたりするのかな」
「いえ、特に手作りはしませんね。ほぼお菓子を普通に食べるだけです」
晴香ちゃんは、ティッシュで生クリームを拭きながら答えた。
若干当惑を覚えつつも、活動内容を
「……食べるだけ?」
「はい、食べるだけ」
ほぼ同じ言葉を、晴香ちゃんは同じように繰り返して笑った。
何となく、そんなの当然ですよ、と言いたげな様子に見えた。
「お菓子を手作りするのって、けっこう難しくて大変じゃないですか」
「まあ、そりゃそうだろうと思うけど」
「自分で作らなくても、お店で沢山美味しいやつが売ってますよね?」
「う、うん。たしかに売ってるね……」
「無理に作ろうとして、失敗したら材料がもったいないと思うんです」
だから食べる行為に専念するのは、課外活動の方針として極めて実際的――
というのが、晴香ちゃんの主張だった。
ちなみに毎年学校祭でだけは、例外的にお菓子作りする機会があるという。
スイーツ系の模擬店を出展し、部の実績にする必要があるからなんだとか。
それ以外の活動はせいぜい、Web上のSNSでスイーツ情報を気ままに投稿している部員が居る程度で、非常にユルい雰囲気の校内団体みたいだ。
連日バイトしながらでも部活動を掛け持ちできるのは、その辺りが理由らしい。
「それとも先輩的には、ちゃんとお菓子を手作りする方が好ましいと思いますか?」
晴香ちゃんは、ちょっぴり思案げに小首を傾げた。
「手作りクッキーを学校に持ってきて、友達に配ってる方が女子力高い、みたいな」
「いや、そんな価値観は持ち合わせてないし、部外者だから意見する気もないけど」
僕は、無用な誤解を招くまいと、念のために自分の立場を表明してみせた。
けれど我がバイト後輩は、根本的に拘泥している部分が異なる様子だった。
「あたしとしては、お菓子を手作りする方が普通っぽいなら検討したいと思います」
どうやら、世間一般の意識が気になるらしい。
それでどんな反応を示すべきか迷って、少しだけ言葉に詰まってしまった。
世の中の空気を読むことは、必ずしも綺麗事や正論を並べることじゃない。
「ただ現状で言うと、お菓子研究会の適当なノリって凄くありがたいんですよねー」
晴香ちゃんは、ペットボトルの紅茶をひと口飲みながら言った。
「みんなで集まって、新商品のお菓子を摘まんだり、評判の喫茶店へ出向いてパフェやケーキを食べてみたり、わいわい当たり障りない会話をしたりして……。そういう空間って、女の子同士の格付けも競争も少ないし、お互いにマウント取り合わずに済むから気楽なんです」
何だか、けっこう生々しい話だなあ。
もしかして、お菓子研究会に所属する成員は皆、晴香ちゃんと似たような認識を大なり小なり抱えているのだろうか。
だとしたら、漫然とした課外活動も、高度に政治的な判断で維持されているのかもしれない。
そこには女の子同士による、暗黙の了解のようなものがあるはずだからだ。
「誰かと誰かを比較しなければ、全員が同じ立ち位置を確保できるじゃないですか」
勝手な思い込みだろうけど、晴香ちゃんの言葉はこちらの想像を裏付けるように聞こえた。
「そうすると、みんなが
僕は、
と、不意にそのとき。
「……あ、ああっ!?」
晴香ちゃんが、びくっと肩を震わせて、何やら素っ頓狂な声を上げた。
菓子パンに噛り付こうとする動作を中断し、こちらへ慌てて向き直る。
「で、でもその。ひょっとしたら、このやり取りって」
我がバイト後輩は、大事なことを失念していて、やっと今気付いたような素振りだった。
「先輩的には、あたしの手作りクッキーが食べたいとか、そっち方向へ持っていこうとしていた流れでしたか!? だとすると、あたしはかなり重大なミスを犯してしまったのでは――」
「え、いや全然。そんなことまるで考えなかったけど」
ありもしない意図を勘繰られて、僕はちょっと面食らってしまう。
まさか催促したように取られるとは、思いも寄らなかったことだ。
「そっ、そうですか。だったらよかったんですけど、えへへ。……いや、よくはないかな……」
こちらの返事を聞くと、晴香ちゃんも安堵したように胸を撫で下ろす。
明るい笑みを浮かべたかと思うと、しかし次いで僅かに眉根を寄せた。
ころころと何度も表情を変えて、いったいこの子は何を考えているのやら。
○ ○ ○
かくして、雛番でお姉さんと半同棲生活しながら、平伊戸ではアルバイト――
そんな日常が繰り返されるようになり、いまや僕も少しずつ順応しつつあった。
そこにささやかな異変が起きたのは、六月も下旬に入った直後のことだ。
「突然なんだけど、この部屋へ女の子の友達が遊びに来たがってるんだよね」
夜更けにアルバイトから帰宅すると、美織さんが予期せぬ話を切り出してきた。
「美大時代からの古い知り合いで、明日の午後に顔を見せるつもりらしいの」
何でも夕方の頃に相手から、メッセージアプリに連絡があったらしい。
僕は、来客がどんな女性なのか、興味を引かれずには居られなかった。
「へぇ、そうなんだ。……ひょっとして、美織さんの親友みたいな人かな?」
平時引き篭もり体質の美織さんにも、そうした交友があることは喜ばしい。
「お姉さんの世界は、まさか僕と二人だけで回っているんじゃないか……?」
とかって、たまに一緒に暮らしていると不安になる瞬間があるからなあ。
クズなフリーターの僕にすら心配されるって、けっこう大概なことだよ。
そんなお姉さんと長年親しいともなれば、非常に大切な客人と言えそうだ。
僕は、かくの如き(憶測込みの)連想を、このとき自然と抱いたわけだが――
「……し、親友? あの子って親友なのかな。まあ付き合いだけは長いけど」
美織さんは、やや困惑気味に考え込むような仕草を覗かせた。
いったい何なんですかね、その妙に煮え切らない反応は……。
どうにも引っ掛かるものを感じて、来客の基本的な情報を確認したくなった。
「えっと。仲のいい友達なんだよね?」
失礼な質問かもしれないなと思って、若干躊躇したものの、意を決して訊いてみた。
幸いにして、お姉さんは別段気分を害した様子もなく、あっけらんと答えを寄越す。
「まあ悪くはないよ。ただ何と言うか」
うーん、と唸りながら、美織さんは枯葉色っぽい瞳を横へ逸らした。
「わりとキャラが濃い子なんだよね」
「……わりとキャラが濃いんですか」
何だろう、いきなり怖くなってきた。やばい。
いやだって、色々こじらせた美織さんをして「キャラが濃い」と言わしめる友達って。
それはひょっとしなくても、一度会ったら絶対に忘れられないタイプの人物なのでは?
差し当たり美大時代からの友達となれば、僕より年上の女性で間違いないと思うけど。
しかも今更思い出したけど、明日は丁度アルバイトのシフトが入っていない。
このままじゃ、僕もお姉さんの友達と顔を合わせることになってしまう……。
直感的に危険な気配を覚えて、多少怯まずには居られなかった。
「あのー、美織さん。それじゃ明日の来客中なんだけど」
僕は、ごく平静な口調で、警戒心を悟られないように持ち掛けた。
いかにも「旧交を温める二人に配慮します」といった態度を装う。
「たぶん僕は、席を外していた方がいいんだよね……?」
そう。明日訪れる人物は、あくまでお姉さんの友達なんだ。
同棲しているからって、僕まで来客を持て成す必要はない。
かえって恋人が同じ場所に居合わせたら、おそらく話し難いことだってあるだろう。
それゆえ、お姉さんが友達と歓談しているあいだ、邪魔者は外出していた方がいい。
でもって僕も、無用の危険と遭遇せずに済む。
……そうなるはず、だと思ったのだが。
「あ、ああ~っ。えっと、それなんだけど……」
美織さんは、思い掛けなく提案の受諾に難色を示す。
不意に嫌な予感がして、背筋がうっすら寒くなった。
「実は
…………。
なんで
いやそれより、今のやり取りで非常に重要なことが判明したんですが。
「ていうか美織さん、もう相手の友達に僕のこと教えちゃってるんだね」
僕は、軽い頭痛を堪えながら、お姉さんに事実関係の確認を求めた。
来訪予定の友達は、このマンションで「美織さんの恋人に会いたい」と言っているらしい。
それは無論、僕がひとつ屋根の下で同棲していると知らなければ、あり得ない要求なのだ。
すなわち、すでに美織さんは旧友(皐月さんなる女性)に対し、少なくとも二人暮らしの現状を打ち明けてしまったことを意味している。
「あっ、あはは……。その、ごめんなさい……」
美織さんは、ますます気まずそうに自分の頬を人差し指で掻いた。
「実はさっき、メッセージアプリでやり取りしたときにね? あの子から『遊びに来たい』って言われて、最初は都合が悪いからって遠回しに断ろうとしたんだよ。――でもそうしたら、即座に『どうして都合が悪いんですか』って、詳しい事情を問い質されちゃって。根掘り葉掘り近況を探られてるうちにもう、どうにも誤魔化し切れなくなっちゃったの……」
どうやら同棲している事実を知られまいとして、逆に自ら墓穴を掘ったみたいだった。
まあ、もっとも来客自体については、あまり僕は口出しできる立場じゃない。
同棲中とはいえ、マンションの部屋を借りているのは、根本的にお姉さんなのだ。
あくまで僕は、恋人だから住まわせてもらっている身分。家賃も負担していない。
そうして少なくとも、まだ今のところ配偶者でもないわけだからね。
「美織さんが友達を部屋に呼ぶ」というのなら、決定を
その皐月さんなる人物が、どういう了見で僕に会いたいのかは、わからないけれど……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます