22:こじらせはじめの美織さん

 皐月ちゃんによれば、ゲンさんは同様のやり方で多数の同人作家に接近しているという。


 でもって、行く先々の同人イベントで「オレぐらいになると、〇〇ちゃんと知り合いだから」などと、交友関係の広さを吹聴して回っているらしい(流行ジャンル界隈限定みたいだけど)。

 その上、顔見知りになったプロ志望の作家が商業デビューしたりすると、よく「〇〇ちゃんのことは俺が育てた」とドヤ顔で放言しているのだとか……。



「な、何だか†幻魔†さん、聞けば聞くほど強烈な人だねぇ」


 私は、危うく軽い眩暈めまいを覚えそうになった。


「それで†幻魔†さんは、そのぅ――同人作家と沢山知り合いになって、何がしたいのかな?」


「まあ、別に何かしたいわけでもないんじゃないですか。知り合いになること自体が目的かと」


 テーブルの正面へ向き直ると、皐月ちゃんはフライドポテトを一本摘まんで言った。



「それにウザいですけど、根は有害な人じゃないと思いますよ。相当ウザいですけど」


「今ウザいって二回繰り返したよね!? いやたしかに私もウザいと思ったけど!!」


 明け透けな皐月ちゃんの人物評は、なかなか容赦ない。

 いまや即売会での作り笑顔も、すっかり脱ぎ捨ててしまったみたいだ。

 とはいえ、意外にもゲンさんにそれほど悪印象は抱いていないらしい。


「今日みたいに贈り物を持ってきたり、わりと気を遣ってくれるところもありますし」


「そう言えば、大手サークルのレアな同人誌だっけ? あれ貰っちゃってよかったの」


 私は、イベント会場でのやり取りを思い出し、何となく皐月ちゃんが心配になった。

 たしかゲンさんは、見返りに合同誌への参加をうながしていたような気がするけど。

 あとで厄介なことにならないかなあ。受け取るのは遠慮しておくべきだったのでは。

 あの手この手で絵描きを食い物にするゴロツキは、同人界隈じゃよく居るんだよね。

 まさしくゲンさんって、そういう連中に近い気がする……

 なんて、私は漠然とした不安を募らせていたんだけど。


「まあ貰えるものは貰っておいても、大丈夫だと思いますよ。相手は†幻魔†さんですし」


 ところが当の皐月ちゃんは、いかにも平気な顔で言った。


「実は以前にも、似たようなことが何度かあって。そのときにも†幻魔†さんから『友達が合同誌を作る企画を進めているから、君も寄稿しないか』って、ほぼ同じ文句で誘われたんです」


「ええっ……。それじゃ前回の企画は、いったいどうなったの?」


「どうもこうもありません。適当な口約束だけで、それから半年経っても合同誌の企画についてなんか、何の連絡も来なくて。次に会ったら、もうそんな話自体忘れているみたいでした」


 さらに詳しく事情を聞いてみると、どうやら†幻魔†さんが当時「友達」だと言っていた人物は、後日ゲーム会社から外注でCG制作業務を請けているデザイナーだと判明したらしい。

 ただし、単にSNS上でコメントを数回やり取りしたことがある程度の間柄で、相手側は全然親密な関係だと思っていなかったみたいなんだとか。


「だから今回の誘いも、そもそも話半分程度に聞くべきなんです」


 皐月ちゃんは、やや気怠そうに肩をそびやかした。


「企画自体が本当にあるかさえ怪しいですからね。仮に実在していたとしても、†幻魔†さんが勝手に原稿を要求してきただけです。差し入れの同人誌こそ譲り受けましたけど、正式に依頼を引き受けたわけでもないですし。いざとなったら、貰った本を突き返せばいいだけですよ。別に元々欲しかったものでもないですし、世間的にレア物だろうと私は大した興味ありません」


 思いのほか、強気な態度で臨んでいるらしい。

 けっこう割り切ってるんだなあ皐月ちゃんも……。

 もちろん、過去の経験を踏まえてなんだろうけど。


 ていうかゲンさんって、複数の同人作家さんから適度に距離を置かれているのでは? 

 本人は、自分に対する周囲の心証について、多少なりとも気が付いているのかなあ。

 これは空気を読んで知り合いと接しているかどうか、って部分にも関わる話だけど。

 やたらと得意そうにイベント会場で自慢話する顔が、ふと脳裏に思い浮かんだ。



「本当に†幻魔†さんって、いったい何がしたい人なんだろ……」


 もう一度、私は同じ疑問をぼそっとつぶやく。

 ゲンさんの行動原理が、どうも腑に落ちない。

 なぜ、そこまでして無闇に交友関係を広げようとするのかなあ。

 それ自体が目的だという心理を、どう読み取ればいいんだろう。

 チーズバーガーを片手に持ったまま、思わず首を捻ってしまう。


 そのとき、またしても皐月ちゃんが思い掛けない感想を述べた。


「まあ個人的には、ああいう人の気持ちも少しぐらいわからないではないですけどね」


 私は、改めて正面に座る後輩美大生の顔を、真っ直ぐに眼差した。

 やはりゲンさんの思考を、この子はいくらか洞察しているらしい。

 おまけに案外、嫌悪感を抱いていないようにも見えた。


「そうなの皐月ちゃん? †幻魔†さんの気持ちがわかる、って」


「はい、一応は。かえって美織さんみたいな人には、わからないかもしれませんけど」


 身を乗り出して訊いてみると、皐月ちゃんは妙に引っ掛かる答えを寄越した。

 何それ、ちっとも要領を得ないんだけど。微妙に馬鹿にされている気がする。


「ねぇ、どういうことなの皐月ちゃん。きちんと教えて」


「だから、どうせ言ってもわかりませんよ美織さんには」


 食い下がってみたものの、あくまで返事はにべもない。


 むむむ、釈然としないなあ。私のどこに問題があるの。

 ゲームやアニメが好きで、昔『風の飛跡』のエリックきゅんに初恋して、マイナーめのRPGジャンルで二次創作していて、真面目で純情な年下の男の子が好きで、イラストを描くのと漫画を描くのに全力で青春を費やしているせいで、ちょっと生まれてから二〇年ぐらい三次元で彼氏ができたことない程度の問題しかないじゃない! 


 ……って、けっこう問題あるのかなこれ……。

 いや、まだ慌てるような時間じゃない。はず。

 そのうち社会人になって結婚適齢期が来れば、私だって普通に彼氏ができて結婚するんだ。

 大学進学した直後にも、きっと二〇歳ハタチぐらいになれば自然に彼氏ができると思ってたけど。

 なのにエリックきゅんみたいな男の子と出会えそうな気配は、現在進行形で皆無だけど。



 ところで、そんなふうに年下の彼氏ができる可能性を検討していたら。

 会話の最初で触れた要素は、わりと重大な事実を含むことに気付いた。


「そう言えば、さっき†幻魔†さんって社会人だって言ってたよね?」


「ええ、言いましたけど。それがどうかしましたか」


「ひょっとして四大卒だとしたら、あの人って私たちより年上なの?」


「はい。たしか今年、二六、七歳だったはずですよ」


 HN・†幻魔†さん(笠霧市在住/男性)は、二六、七歳。

 皐月ちゃんから知らされた年齢を、よくよく反芻はんすうしてみる。

 私よりも六、七歳年上だったのね。そっか、二〇代後半か。言い換えるとアラサー。

 私が小学一年生だった頃に中学生で、私が中学生だった頃に大学生だったのか……。


 そういや六、七年前って、私が『英雄伝承・風の飛跡』を初めて遊んで、エリックきゅんとの恋に(二次元で)落ちていた時期かもしれない。


 ……それはこう、なんていうか……。


 ……………。



「……やっぱり私、彼氏にするなら年下の男の子がいいなあ」


「どうして今の会話の流れで、その一言が出たんですか……」


 しみじみと願望をつぶやいたら、皐月ちゃんから鋭いツッコミが入った。

 こちらへ冷ややかな視線を送りつつ、嘆息混じりに厳しい言葉を続ける。


「この際だから言っておきますけどね。個人的な経験則からすると、何だかんだで年上男性には頼りになる人が多いし、同世代の男子には価値観の近い人が多いです。どちらも年下よりは断然付き合いやすいですよ。そして若い子の方が純情で可愛い、なんてことは必ずしもないです」


「いや皐月ちゃんこそ今の会話の流れで、どうして釘を刺すような口調でそんなこと言うの」


「現実世界の男性はイケメンでも、乙女ゲーやBL漫画みたいにキラキラしてないんですよ」


 私の抗議を露骨に無視し、皐月ちゃんは身を乗り出して詰め寄ってきた。

 この子と来たら、いつも乙女ゲーみたいな逆ハーレム体験しているくせに何を言うか……

 とは思ったけど、むしろ現実の異性を数多あまた知るがゆえの発言なのも、容易に察しが付いた。


「わたしなんか、初体験で当時付き合ってた彼氏の裸を初めて見たとき、正直『うわっ……男の人の身体って、こんなに汚いんだ……。脛毛すねげとか沢山生えてる……』って引きましたからね」


「お願い止めて。そういう生々しい情報を聞くと、余計に現実の恋愛が遠ざかりそうだから」


 私は、ややうつむいて、チーズバーガーを持っていない方の手で頭を抱えてしまう。



 その後、なぜか同人イベント打ち上げの席は、姫系女子美大生(後輩)からオタク喪女(私)が恋愛指南を受けるという、不可解な様相を呈していった。




     〇  〇  〇




 バーガーショップを出る頃には、もう午後五時近くになっていた。

 そのまま皐月ちゃんとは笠霧駅前で別れて、路線バスに乗り込む。

 四区間ほど移動した先で降車すれば、私が一人暮らししているアパートは目の前だった。

 地元の星澄から笠美に進学して以来、親元を離れて1LDKの借家住まいが続いている。


 部屋へ入って荷物を置くと、ゆったりとした部屋着に着替えた。

 メイクを落として洗顔し、ベッドの上へ疲れた身体を投げ出す。

 喉の奥から呼気を吐き、左右の手足をそれぞれ伸ばした。


 ――はああぁァ~っ、やっぱり自宅最高だよおぉ~……っ。


 自分の部屋で過ごす解放感は、まさしくなにものにも代え難い。

 同人イベントに参加すること自体は、嫌いじゃないんだけどね。

 ああ素晴らしき我が居室、心のオアシス……。



 さて、しばらく仰向けに寝転がって、弛緩した感覚に浸っていると。

 何やらゲームが遊びたくなってきた。できれば特にRPGがプレイしたい。

 それも王道展開のファンタジーで、私好みの男の子キャラが出てくるやつ。


 ――ということになれば、もはや遊ぶべき作品はひとつだよね! 


 私は、にわかに上体を起こすと、ベッド脇の収納へ手を伸ばした。

 抽斗の中から、携帯型ゲーム専用機とRPGのソフトを取り出す。

 ゲームソフトのタイトルは、もちろん『英雄伝承・風の飛跡』だよ。

 これは近年、新型の携帯機向けに移植されたリメイク版なんだよね。

 思い出の名作が手軽に遊び直せる幸せを、改めて噛み締めてしまう。


 メガネを掛けると、邪魔な髪の毛を首の後ろ側で束ねる。

 ベッドの縁に腰掛けつつ、携帯ゲーム機の電源を入れた。

 見慣れたタイトルが表示され、セーブデータ選択画面に切り替わる。

 すると丁度、作中屈指の名場面で中断したファイルが目に留まった。

 これだと決めてカーソルで指定し、データロードする。



 ゲーム画面が表示されると、王宮のイベントシーンから物語が再開した。

 ここでヒロインは、エリックきゅんと二人っきりになっちゃうんだよね。

 静かな夜更けに宮廷内の一室で、彼の衝撃的な過去を知らされてしまう。

 でも真実を共有したことで、二人の心はいっそう強く結びつくんだ。

 そうして、エリックきゅんはヒロインと初めてのキスを交わす――


「ふああああぁぁァァ――ッ!! エリックきゅん好きいぃ――!!」


 私は、辛抱堪らなくなって、つい絶叫してしまった。

 携帯ゲーム機を両手で持ったまま、ベッドの上へ背中から倒れ込む。

 やばいやばいやばい。もう何がやばいって、私のすべてがやばい(自覚アリ)。

 だって、部屋着にすっぴんメガネ(※中高生並みの童顔)な成人済みオタク喪女がですね。

 初恋の二次元キャラの名前を絶叫しながら、ベッドの上に一人で悶絶しているわけですよ。


 いやでも駄目だ……やばいとわかっていても、どうしようもない……。

 画面の中でヒロインとチューしてるエリックきゅん、凄くエロかっこいいんだもん。

 ていうか全年齢対象の健全CGを見て、それをエロいと感じる自分の感性もやばい。

 はあぁー尊い、尊い。だけど胸が苦しいよ。うん、ちょっと落ち着こうか私。



 いったん深呼吸してから、ゲームに戻ってプレイを続行する。


 今夜はこのまま、寝るまで『風の飛跡』を遊んじゃおうかな。

 描いておきたいイラストもあるんだけど、たまには息抜きしよっと。

 お昼ご飯が遅い時間だったから、晩ご飯は午後九時過ぎ頃でいっか。

 料理は嫌いじゃないけど面倒臭いし、レトルトカレーで済ませよう。

 先月、実家から送られてきた荷物の中に一食分ぐらい残ってたはず。



 ――はあ~。それにしてもエリックきゅん、本当に可愛いしかっこいいしエロい……。


 かくして、私はうっとりしながら、画面の中のエリックきゅんに心奪われ続けていた。

 いつかどうにかして、こんな素敵な男の子に出会いたい、と乙女な妄想を抱きながら。

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