21:†幻魔†来襲

 さて、その後もサークルスペースには、皐月ちゃんを訪ねて何人かの男性がやって来た。

 半分以上は同年代の学生だけど、残りは年上の社会人だったみたい。どう見ても四〇歳前後の男性まで混ざっていた気がするなあ。

 その都度、皐月ちゃんは誰が相手でも(表面的には)嫌な顔ひとつせずに歓談していた。


 次々と挨拶に訪れる人たちは、この子が複数の異性に対して親密そうに接しているのを、どう思っているのやら。

 まさか全員、自分一人が特別仲良くしているとは思ってないよね……? 

 あるいはアイドルの握手会に参加するファンと似た心理なのだろうか。



 ――ていうか、そろそろ私は帰宅させてもらってもいいんじゃないかなあ。


 どうやら皐月ちゃんの知り合い(全員男性)は、みんな同人誌をさばき終えたのを確認してから挨拶しに来ているらしい。メガネ氏同様、混雑時の来訪は避けてくれていたみたいだ。

 でもこれ、おかげでもうサークルスペース内に二人で待機している必要性ってないよね? 

 新刊の頒布作業は忙しかったから、手伝いにイベント参加した意味はあったと思うけど。


 そろそろ時刻は、午後一時半に差し掛かろうとしている。

 まだ昼ご飯も何も食べていないから、だんだんお腹が空いてきた。

 やっぱり皐月ちゃんに一言断わって、もう私は会場を出ようかな。


 と、丁度そんなことを考えはじめていたとき。

 にわかに新たな来訪者が一人、再度サークルスペースの前に現れた。

 それで私は、皐月ちゃんに話を切り出すタイミングを逸してしまう。



「やあ皐月さつきちゃん、ご機嫌いかがかな?」


 軽く片手を挙げながら、妙に親しげな口調で話し掛けてきた。

 中肉中背の若い男性で、満面の笑みに謎の自信が溢れている。

 黒いインナーの上から薄手のアウターを羽織り、ダメージジーンズを穿いていた。さらさらの茶髪は細い目に掛かり、首元には金色のアクセが揺れている。


 ……何だろう。雑な言葉で言い表すなら、無駄にチャラい雰囲気の人だぞ。

 近年増えつつある「外見を含めて一般人寄りのオタク」とも微妙に異なる。

 ファッション自体が趣味で着ている服装というより、「自分はアニメしか興味がないオタクと違って、オシャレにもうるさい男です」と周囲にわかりやすく自己主張しているような風体。


 いや身形に気を遣うのは、本来悪いことじゃないはずなんだけどね。

 なぜだか全身から、不思議な胡散うさん臭さが漂っているんだよなあ……。


「いやはや悪いね、すっかり挨拶に来るのが遅れてしまったよ。何しろ今日は、都内でも色々とイベントが開催されているだろう? オレぐらいになると、こういう日は朝からあちこちの知り合いに色々と連絡を取り合わなきゃいけなくてね、ハハハ」


「あっ、どこのどなたかと思えばダガー幻魔げんまダガーさんじゃないですかー。いつもお疲れ様です」


 チャラい男性に対しても、皐月ちゃんは微動だにせず笑顔で応じる。

 ゲンマって、幻想の「幻」に悪魔の「魔」って書くやつのことかな。

 ていうか今、どうして名前の前後に「ダガー」って付けて呼んだの?


「ハハハ、オフラインで会ってるときまでHNハンドルネームで呼ぶなんて、他人行儀だなあ。オレは君を本名で呼んでるんだから、君だって俺のことは本名で呼んでくれてかまわないんだぜ? あっ、それともファーストネームで呼び合うのはまだ恥ずかしいかな」


「いえ、わたしはPNペンネームの読み方も『紗月さつき』なので。今のは本名じゃなくて、そっちで呼ばれたと理解してますし、今後も†幻魔†さんは†幻魔†さんと呼ばせてもらうつもりですから」


 殊更に馴れ馴れしく言い寄られたものの、皐月ちゃんは鋼鉄の笑顔を崩さない。

 一方、チャラい男性も「ハハハ、遠慮しなくてもいいのになあ」と笑っている。


 何これ凄い。もしかして私は今、相当なメンタル強者同士の遭遇を目撃しているのでは。

 皐月ちゃんは距離を詰めさせまいとして、明らかに壁を作ったんだと思うんだけど――

 この†幻魔†さんなる人物、全然堪えてないっぽい。あるいは空気を読めてないか、読んでも読んでない素振りなのか、そもそも聞いてないのか、相手の反応は無視しているのか。


 でもとりあえず、実際「ダガー幻魔げんまダガー」さんと正式なHNで呼ぶのは、いちいち面倒臭い。

 かといって皐月ちゃんも言っている通り、ファーストネームで呼ぶのもどうかと思う。

 というわけで、私の心の中で以後「ゲン」さんと略しておこう。

 まるで、寿司屋か居酒屋の大将みたいな名前になっちゃうけど。



「ああ、それはそれとしてだ皐月ちゃん。君に渡しておきたいものがあってね、ハハハ」


 ゲンさんは、あくまでも我が道をくといった物腰で、話題を転じてきた。

 おもむろに所持していたショルダーバッグを漁り、同人誌を一冊取り出す。


「これこれ。先日入手した大手サークルの『はぴめろ!』本なんだが、今日はこいつを差し入れプレゼントするために来たのさ。ここの作者さん、知ってるよね? 最近商業誌でも活動中の――」


 薄い本と作者について、ゲンさんは頼んでもいないのに解説してくれる。

 なるほど話を聞いてみたら、実力派イラストレイターが描いた同人誌だというのはわかった。

 もっとも私は普段、まるっきり別ジャンルで活動しているし、あまりピンと来なかったけど。


「いやしかしこの新刊、手に入れるのに苦労したよ! 作者さんも同人ショップに販売委託とかしない人なもんで、ネットオークションや中古市場でもプレミア価格が付いちゃってるからね。まァとはいえオレぐらいになると、蛇の道は蛇ってやつで、知り合いの伝手をたどれば手に入るし、君に一冊進呈するのもわけない。ささっ、ひとつ受け取ってくれたまえ、ハハハ」


 ゲンさんは、やたらと自慢げに胸を張った。

 何を言っているのかよくわからないけど、どうやら「差し入れ」と称して取り出した同人誌はレア物の逸品らしい。

 でも皐月ちゃんは、尚も笑顔を保っている。


「そんな入手困難な本なのに、わたしが貰っちゃってもいいんですかー?」


「もちろんだとも! そのためにここへ来たようなものだからね、ハハハ」


 そのためにって、皐月ちゃんが描いた新刊はどうでもよかったんですかね……? 

 得意顔でうなずくゲンさんを見て、密かに心の中でツッコミ入れてしまう私。

 本当に挨拶だけしか興味がなかったんだろうか。遅れてきたとも言ってたし。

 ゲンさん、実は地味に失礼な人なのでは。きっと無自覚なんだと思うけど。


 あと何となく、会話から『はぴめろ!』に対する愛情が感じられないのが気に掛かる。

 まるで同人誌の価値について、作者の権威で測っているような印象を受けるんだよね。



「……うんまあ、しかしだね。オレからのプレゼントになにがしか、返礼を検討してくれるっていうなら、皐月ちゃんには是非とも依頼したい案件があるんだけどね」


 大手の薄い本を押し付けて渡すと、ゲンさんはわざとらしく間を挟んでから続けた。

 あからさまに恩着せがましくて、言葉自体の内容以上に上から目線の口振りだった。


「夏のコミロケでさ、オレの友達のセミプロ作家が『はぴめろ!』の合同誌作ろうとしてるんだよね。ほら、月刊誌の漫画連載でアシスタントしているやつでさ――」


 ゲンさんの友達だというセミプロさんのことは知らなかったけど、月刊誌の漫画連載については聞き覚えがあった。

 その作者である漫画家さんと、私は個人的に面識があったからだ。SNSで公開したイラストをきっかけに知り合って、昨年末のコミロケじゃ向こうから挨拶に来てくれたんだよね。

 私が先日イラストコンテストで受賞した際にも、お祝いのメッセージを寄せてくれた。

 そっか、あの人のアシスタントさんって、ゲンさんの友達なのか……。世間は狭いね。


「で、そいつが合同誌に参加してくれる同人作家を集めてるわけ。そこで皐月ちゃんにも、この機会に一、二枚、寄稿してもらいたいんだ。君にとっても悪くない話だと思うが、どうだい?」


「へーそうですかー。でもそれって、わたしが†幻魔†さんにお礼したことになるんですか?」


 合同誌参加を打診され、皐月ちゃんは至極当然の疑問を訊き返す。

 ゲンさんは、相変わらず愉快そうに笑うと、自らの考えを語った。


「ハハハ、もちろんさ! 合同誌を企画している友達からすれば、他ならぬオレが君との渡りを付けた、ってことになるんだからね。あいつに恩を売り付けるのは、巡り巡ってオレの利益さ」



 それにしても、さっきから気になって仕方ないことがある。


 ――いったい、この? 


 各所の同人イベントに関わっている知り合いが沢山居るらしい、というのはわかった。

 そのなかには貴重な同人誌を融通してくれる知人が居るらしい、というのもわかった。

 合同誌を企画編集しているセミプロ漫画家の友達が居るらしい、というのもわかった。

 つまり色々な知り合いが居て、そこにどういう人が含まれているかは、多少わかった。


 じゃあゲンさん当人は、絵を描いたり、文章をつづったり、動画編集したり、作詞作曲したり、イベント開催したり、あるいは創作物のプロモーションを手掛けたりしているんだろうか? 

 ここまでの話を聞く限りだと、この人自身が創作活動のフィールドでどういうことをしているのかは、まるっきり伝わってこないんだよね。

 このイベントにも、純粋な作品のファンとして参加しているようには見えないし……。



 私は、ついゲンさんの顔を、じろじろ眼差してしまう。

 すると、思い掛けなくゲンさんがこちらを振り返った。

 私が注いだ怪訝な視線に気が付いたのかもしれない。

 当然の成り行きで、互いの目と目が合う。いけない。

 慌てて目線を逸らそうとしたものの、手遅れだった。


「おっと……。皐月ちゃんとの会話に夢中で気付かなかったけど、今日は売り子さんがスペースで頒布作業を手伝っていたんだな。――たぶん君って、オレとは初対面だよね?」


 ゲンさんは、こちらを物珍しそうに見て、問い掛けてきた。

 どんなふうに返事すべきか迷って、私は少しだけ口を噤んだ。

 あまり無用に関わりたくない人だ、と直感的に思ったからだ。

 この日のイベントが終われば、二度と顔を合わせる機会もないと思う――

 きっと普段通り、私がマイナーなRPGジャンルで活動しているぶんには。


 けれど、そんなことをこっそり頭の中で考えていたら。

 皐月ちゃんが余計な気を利かせて、私を紹介しようとした。


「ああ、えっとですねー。こちらは笠美の先輩で、花江み――」


「私は、紗月セナさんの友達で、売り子に呼ばれてきた者です」


 だから急いで、それを私自身がぞんざいな自己紹介でさえぎる。

 ゲンさんは、愛想笑いを浮かべて「ははあ、これはどうも」と短く応じた。

 すぐに私に対する興味を失った様子で、それ以上は素性を詮索しなかった。

 どうせ売り子ごとき、取るに足りない雑魚ザコキャラだと思ったのかもしれない。



 その後もしばらく、ゲンさんはサークルスペースの前に居座り続けた。

 時折、無駄にチャラい身振りを交えながら、早口かつ多弁にしゃべりたいことをしゃべる。

 立て板に水で披露される自慢話らしきものを、しかし皐月ちゃんも終始笑顔で聞いていた。

 いやもう、私は単に隣で眺めていただけなんだけど、ある意味じゃ強烈な体験だよねこれ。

 皐月ちゃんもゲンさんも、まったく自分のスタイルを崩さないし。


 ようやくゲンさんの饒舌じょうぜつが収まった頃には、午後二時半近くになっていた。

 さっき帰宅の機会を逃してから、結局この場にずるずる留まってしまった。


「――それじゃあ、ちゃんと友達のセミプロ作家には、皐月ちゃんのことを紹介しておくから。まァオレぐらいになると、その程度はどうってことないからね、ハハハ……!」


 満足そうに会話をくくると、ゲンさんはサークルスペースの前を離れていく。

 陽気な後ろ姿が場外へ消えるのを見届けた途端、私は自然と溜め息が漏れ出た。

 予期せず濃い目の人物と接したせいで、色々と消耗してしまった感が否めない。


 正直言って同人誌の頒布作業より、挨拶に来たゲンさんの話を聞く方が疲れた……。




     〇  〇  〇




 サークルスペースの撤収作業を手伝ってから、笠霧コミュニティセンターをあとにする。

 すでに時刻は午後三時過ぎ。何だかんだと、イベント終了まで会場で過ごしてしまった。


 電車で笠霧市中心部に到着したら、構内を出て目の前の車道を渡る。

 駅前を雑居ビルまで移動し、一階にあるバーガーショップへ入った。

 何しろ私も皐月ちゃんも、まだ昼食を済ませていない。そこでささやかなイベントの打ち上げを兼ねて、帰宅前に立ち寄っておくことにしたわけだね。


 二人で順にセットメニューを注文し、空いている席を探す。

 窓際に位置するテーブルに決めて、差し向かいで腰掛けた。



「ねぇ皐月ちゃん。今更訊くけど、さっきの†幻魔†さんっていうのはどういう人なの」


 チーズバーガーをひと口齧ってから、私は率直に質問した。

 それは本日の同人誌即売会において、最大の疑問点だった。


 皐月ちゃんは、抹茶シェイクをストローで吸い上げながら、きょとんとした表情を浮かべる。


「†幻魔†さんですか。笠霧市内の家電量販店で働いている、普通の社会人さんですよ」


 けれど得られた回答は、期待していたものと微妙に要点がズレていた。

 うーん、少し訊き方が悪かったかな。そういうことではなくてですね。


「随分と親しげだったから、あの人も何かしら創作活動しているのかと思ったんだけど」


「いえ。絵を描いたり文章を綴ったりとか、特にそういうことは何もしてないはずです」


 私見を交えて問い直すと、次は意図に沿った答えが返ってきた。

 いったんストローから唇を離し、皐月ちゃんはテーブルの上に頬杖を付く。

 そうして、窓から外の街並みを眺めつつ、古い記憶を手繰るように続けた。


「最初に知り合ったのは、SNSがきっかけだったんですよ。わたしのページに†幻魔†さんが書き込みして。それに何度か返信したら、そのうち今日みたいなイベントで会うようになって。……で、いつの間にか、凄く親しげに声を掛けられるようになっちゃったんですよねー」

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