20:三月ウサギと帽子屋のお茶会

『はぴめろ!』Only同人誌即売会「三月ウサギと帽子屋のお茶会」。

 開催場所・笠霧コミュニティセンター四階第三会議室、募集SPスペース五〇。

 開催日時は、六月二六日(日曜日)の午前一〇時半から午後三時まで――


 それが皐月ちゃんの参加するイベントだった。

 当日はJR笠霧駅前で待ち合わせして、電車で那塚なつか陸上競技場まで移動する。

 そこから市道沿いに歩き、笠霧西区役所の前を横切れば、目的地に到着だよ。


 私と皐月ちゃんは出展側だから、入場許可証で一般参加者より先に会場入りする。

 第三会議室の内部では、複数の長机が平行な列を成し、等間隔で並べられていた。

 今日のイベントでは、そのうちの一箇所が私たちの展示場所になる。

 割り当てられた位置に着くと、早速二人で出展準備に取り掛かった。



「……ねぇ皐月ちゃん。凄く今更なことを訊くんだけど」


 私は、長机の上に敷布を広げながら、何となく気になることをたずねた。


「今日のイベントって、私が手伝う必要があるぐらい盛況になりそうなの?」


 わりと根本的で、かつ実際的な問題だと思う。

 笠霧市は関東圏だけど、はっきり言って典型的な地方都市だ。

 隣県の星澄市とかの方が東京にも近く、余程都会なんだよね。

 そんな地域で開催される、募集SP五〇程度でオンリージャンルの小規模イベント。

 ひょっとすると、全然一般参加者が来場しない可能性もあるんじゃないかなあ……。


 だとしたら、充分一人でも同人誌が頒布できるかもしれない。

 私がわざわざ売り子に駆り出されなくても、人手は足りるのでは? 

 なんて思ったんだけど、皐月ちゃんの意図は異なるみたいだった。


「本を欲しがる参加者が少なかったとしても、わたしの知り合いは何人か来る予定ですから」


 後輩美大生は、搬入した新刊をあらためながら返事する。


「わたしが知り合いに挨拶しているあいだは、他の参加者に応対する売り子が必要なんです」


 ほほう、そう来ましたか。

 たしかに即売会では、友人知人に挨拶するのも欠かせない。

 でも、だったら私以外の人間が売り子でも良かったはず。


「それじゃあ、私の代わりにあやちゃんとかを呼ぼうとは思わなかったの?」


 彩ちゃんは、笠霧美術大学美術学部油絵学科の二年生で、同じ漫研のメンバーだ。

 皐月ちゃんとは同学年で、仲も悪くない。少し天然なところがあるけど、明るくて美人だし、むしろ私なんかより断然売り子向きなんじゃないかなー。


「あの子なら、今日は都内までイベントに参加するために遠征してますよ」


 皐月ちゃんは、同人誌をダンボール箱から取り出して言った。

 在庫の数量を確認しつつ、長机の上へ二〇冊ほどそろえて積む。


「女性向けの大規模即売会と、地味に開催日が被ってるんですよ今日って」


 うーん、なるほどねぇ……。

 彩ちゃんは彩ちゃんで、彼女自身の個人サークルでの活動があるわけね。

 あの子って、笠美カサビの現役漫研メンバーの中じゃ、いまや一番有名な同人作家だもんなあ。

 頒布実績からすると、遠からず都内のイベントでも大手サークルに格付けされそうだし。

 ただし高校美術の教職課程を履修していて、専業絵描きになるつもりはないらしいけど。




     〇  〇  〇




 所定の時刻が過ぎて、同人誌即売会「三月ウサギと帽子屋のお茶会」がはじまった。

 まばらな拍手があちこちで鳴り、同時に一般参加者が次々と会議室へ入場してくる。


 私は、イベント開始からほどなくして、自分の認識に誤りがあったことを理解した。

 この日の即売会は、想像よりも遥かに来場者が多くて、盛り上がっていたんだよね。

 コミュニティセンター四階の会議室は、会場として決して広くない。

 にもかかわらず、人口密度はかなり高く、周囲が熱気に満ちていた。


 ――こっ、これが人気作品のジャンル効果か~……!! 


 流行トレンドに乗ることのを改めて見せ付けられ、やや怯んでしまった。


 もちろん、都内の大規模即売会に比べれば、ちっとも大した来場者数じゃないとは思う。

 夏冬年二回のコミックロケーション(通称コミロケ)なんか、尋常な人混みじゃないし。

 でも笠霧市という地方都市で開催される小規模即売会としては、明らかに凄い混雑だよ。

 明確な男性向け作品のオンリーイベントなのも、ファンの人には足が運びやすいのかも。

 私が普段活動しているマイナーRPGジャンルでは、到底遭遇できない光景だなあ……。



 そんなわけで皐月ちゃんの新刊同人誌も、相当な勢いで他の人の手に渡っていく。

 開場してからサークルスペースの前には、常時三、四人の人だかりができていた。

 ちいさな列らしきものが形成される時間帯もあって、売り子の仕事がけっこう忙しい。

 慌ただしく過ごしていたら、正午を迎える少し前に搬入した新刊は在庫が底を突いた。


「ローカルな即売会の成果としては、今日の頒布部数はまずまずですね」


 皐月ちゃんは、最後の一冊を頒布し終えると、いかにも満足そうな口振りで言った。

 長机の上には、現在「新刊完売」という紙を貼ったコルクボードが立て掛けてある。

 ただし即売会の終了時刻までは余裕があるので、まだ撤収準備には取り掛からない。


「このまま年内は『はぴめろ!』一本でいけそうな気がしてきましたよ」


 ははあ、さようでございますか。よかったね皐月ちゃん。

 私は、適当に相槌を打ちつつ、聞くともなしに話を聞く。

 ひょっとして頒布状況が低調だったら、夏までに皐月ちゃんは同人活動のジャンル移動を検討していたのかなあ、とか考えながら。



 ……女の子の皐月ちゃんが二次創作において、あえて男性向けジャンルを中心に活動している背景には、いくつか理由があるんだよね。


 ひとつは、皐月ちゃんが描く絵柄に美少女系作品との親和性があること。

 本人によると、元々「子供の頃から少女漫画に影響を受けてきた」そうで、基本的に画風自体が「可愛い系」なんだよね。実は案外、女の子キャラを描くのが得意だから男性向けジャンルで活動している、という女性同人作家は多いと思う。


 もうひとつは、男性向け作品での同人活動だと、しがらみが少ないこと。

 女性向けジャンルの界隈は、良くも悪くも作品やキャラクターに対するファンの執着が強く、しかも長期に渡って持続する場合が多い。それがしばしば、カップリングや攻め受けを巡る対立とか、公式との解釈違い論争、ジャンル移動に関する批難につながったりするからなあ。

 もはや外野の一般人には理解不能な次元でギスギスしていて、ちょくちょく面倒臭い。

 常に流行を読みつつ本作りする皐月ちゃんにとっても、その辺りは厄介なんだろうね。


 それから実はあとひとつ、大きな理由があるんだけど――……



「……あっ、あのぅ。すみません」


 同人誌の頒布が終了し、私と皐月ちゃんが幾分まったりしていたところ。

 サークルスペースに不意の来訪者があって、長机越しに話し掛けられた。


 見知らぬ若い男性だ。たぶん私たちと年齢は同じぐらいかな。痩身で背は高い。

 メガネの奥に覗く目とか、落ち着きない挙措からして、やや気弱そうに見える。


「こちらに今、紗月さつきセナさんはいらっしゃいますか」


「あっ、はい。わたしですけど、どちら様でしょう」


 皐月ちゃんがイスから腰を上げて、男性に応対する。

「紗月セナ」というのは、皐月ちゃんのPNペンネームだからだ。


「そ、そうでしたかっ。えっと、ボクはそのぅ――」


 メガネの男性は、ほっとした面持ちでうなずき、たどたどしく名乗った。


「ときどきSNSで、紗月さんのページにコメントさせてもらってる者でして」


「……ああ、そうでしたか! どうもリアルでは初めまして、紗月セナです~」


 僅かに間を挟んでから、皐月ちゃんは華やかな笑顔を咲かせる。

 ほとんど平時は見ることのない、完璧な他所行きの表情だった。

 それから、柔和な甘い声音を作って続ける。


「いつもSNSでは、コメントの書き込みありがとうございます。お会いできて嬉しいです!」


「い、いえ、こちらこそっ。……本当はさっき、開場直後に一度ここを訪ねたんですけど。凄く人が多くて忙しそうだったので――新刊だけ先に買わせて頂いて、辺りが落ち着いて挨拶できる状況になるまでは、会議室の隅で機会を窺っていたんです」


「えっ、そうだったんですか!? 本当にごめんなさい、今まですっかりお待たせしちゃって」


 皐月ちゃんは、大きな瞳を見開き、申し訳なさそうに言った。

 すると酷く慌てふためき、メガネの男性が詫びの言葉を遮る。


「い、いえいえ! そんなふうに紗月さんが謝らないでください、今日はボクが勝手に来ただけですし。あの、それにどうせ、けっこう普段から暇人だし」


「でも、お休みの日にわざわざ即売会まで来て頂いたのに」


 皐月ちゃんが重ねて頭を下げたものの、相手も改めて謝罪の受け入れを固辞した。

 そうして、代わりにわざとらしく咳払いしてから、若干姿勢を正して笑い掛ける。


「とっ、とにかく紗月さんにご挨拶できてよかったです!」


「……そうですか。お知り合いになれて、私も嬉しいです」


 皐月ちゃんは、メガネの男性の顔を覗き込むと、次いで再び笑顔を浮かべた。

 このやり取りを通じ、ささやかながら相手の好意に甘えたような恰好だった。

 メガネ氏は、直後に一瞬、うっと息を詰まらせたような反応を示す。

 それから目線を横へ逸らし、もじもじしながら耳の先を赤く染めた。



 ――おおぅ。皐月ちゃん、また今日もいたいけな男の子で遊んでる……。


 私は、間近で繰り広げられている光景を傍観しつつ、気まずさを押し隠すのに必死だった。

 しおらしく笑い掛ける後輩女子美大生と、いかにも物慣れないオタクのメガネ男子――

 二人の交わす会話を聞いていると、よどんだ感情が胸に湧き上がって、もやもやしてくる。


 そう。これこそ彼女が男性向け作品で二次創作している、三番目の理由。

 皐月ちゃんは、共通の趣味(※主に美少女アニメ)をきっかけにして、色々な男の子と仲良くなるのが大好きなんだよねぇ……。


 私の観測によれば、自分の趣味に肯定的な女性に対して、オタクな男性は好感を抱きやすい。

 ましてや皐月ちゃんみたいに可愛い容姿の女の子なら、高確率でたちまち魅了されてしまう。

 それをこの子は知悉ちしつしていて、これまで少なからぬオタク男子の心をもてあそんできたってわけ。

 で、男性向けジャンルでの活動は、より多くの該当者と知り合うのに都合がいいんだよね。


 色々な男の子たちからちやほやされているときの皐月ちゃんと来たら、本当に生き生きとしていて楽しそうだ。さながら現代のお姫様のようで、リアル逆ハーレム状態。

 こうして次々と男の子が振り向いてくれたら、乙女ゲームの主人公みたいな気分なのかな。

 とはいえ現実の男性は、二次元キャラほどイケメンじゃない場合が圧倒的に多いんだけど。



 ……何はともあれ、そんなことをあれこれと私が考えているあいだにも。

 皐月ちゃんとメガネの男性は『はぴめろ!』に登場するキャラクターのことなどを、和やかな雰囲気で語り合っている。なぜか妙に居たたまれない。

 やがて一頻り談笑すると、メガネ氏は礼儀正しく別れを告げ、イベント会場を立ち去った。


「今の彼は『はぴめろ!』に登場するキャラの中だと、あすぴょんが一番好きなんですって」


 男性の姿が見えなくなってから、皐月ちゃんは半ばひとちるようにつぶやく。


「きっと童貞なんだろうなあ……。もしあんな子と付き合ったら、絶対面倒臭いだけなのに」


 ――お願い止めてあげてよォ!! 二次元ぐらいは夢をみせてあげてぇ!! 


 私は、せつなさのあまり、思わず叫びそうになるのを辛うじて自制した。

 メガネ男性氏、わりといい人っぽかったじゃない! 女性経験の有無は知らないけど! 

 それに私だって、乙女ゲ遊んでるときには「あ~〇〇きゅん好きなんじゃ~」とか言いつつ、こんな男の子は実際にはいないってわかってるし、むしろたまに「自分はどうして顔はいいけどメンタル弱めな男子のカウンセリングみたいな会話するゲーム攻略してるんだろ?」って不意に我に返って、さすがに現実じゃこりゃないわーって思ってるから!(彼氏いない歴イコール年齢なサブカル女子並みの感想)


 いいじゃないメガネ氏があすぴょん好きでも! 黒髪ツインテールで貧乳が好きでも! 

 私も小学生男子の膝小僧とか好きだし! お姉さんが撫でてあげたいってよく思うし! 



 ちなみに皐月ちゃんは、笠霧美術大学へ進学してから現在に至るまで、約一年二ヶ月の期間で五回ほど交際相手が変わっている。

 たしか最後の元彼とは、今年の四月中旬に別れていて、現在は独り身フリーのはずだけどね。


 私が知る限りにおいても、後輩ながら皐月ちゃんは畏怖すべき恋愛遍歴を誇っている。

 漫研の新入部員だった去年の春、同期生の男子から告白されて付き合いはじめたと思ったら、ゴールデンウィークには四年生の先輩と浮気して、泥沼の愛憎劇へ発展したのも記憶に新しい。

 入部一ヶ月足らずにして、男女関係のもつれから漫研を部活サークル崩壊クラッシュの危機に追いやった顛末てんまつは、もはや現役部員のあいだで恐怖の歴史として語り継がれていたりする。


 かくいうわけで、皐月ちゃんはある意味じゃ漫研の生きる伝説なんだよねぇ……。

 ただ、その一件があって以来、漫研の男子に手を出さなくなったのは不幸中の幸いかな。

 代わりに現在じゃ、Web上や同人イベントで男の子を漁りまくってるわけなんだけど。

 さっきのメガネ氏とかも、この子のことを変に勘違いしなきゃいいなあ。

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