3:お姉さんのお仕事です

 さて、二人でアニメを見終わると、時刻は午後五時頃だった。


 考えてみれば、けっこう早い時間帯から美織さんの部屋にお邪魔しているんだよな。

 今夜は泊まっていくんだから、夕食を外で済ませたあとでも良かったかもしれない……

 なんて思ったんだけど、お姉さんの意向は異なるみたいだった。


 つまり、あえて僕を陽が沈む前に自宅へ連れてきて、手料理を振る舞う算段だったらしい。

 この外泊ではおそらく、地味に「疑似的な同棲状態を体験させる」意図があるからだろう。


「じゃあ、そろそろ晩ご飯の準備に取り掛かろうかなっ」


 美織さんは、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせた。

 キッチンに立つと、冷蔵庫の食材を確認して意気込む。

 ちなみにエプロン姿が、抱き締めたくなるほど可愛い。


「今夜はお姉さんが、美味しいご馳走作ってあげるね?」


 僕も何か手伝いましょうか――

 と思わず言い掛けたけど、寸前のところで口を噤んだ。

 美織さんは、妙なやる気を全身にみなぎらせていたからだ。


 これはもしかして……お姉さんは、僕のために張り切ってくれているのでは? 

 自惚うぬぼれが許されるのなら、充分にあり得そうなことだし、素直に嬉しかった。

 だとしたら、ここで余計な手出しをして、水を差すべきじゃないだろう。

 今日は大人しくご馳走になり、「美味しいです」と感謝さえすればいい。


 ……ただそうすると、ちょっぴり困ってしまう点もある。

 美織さんが料理しているあいだ、僕は手持ち無沙汰になることだ。

 初めて訪ねた女性の部屋で、これはわりと厳しい状態だと思う。


 こんなときに物慣れた男性なら、いったいどうするんだろう。

 例えば、テレビを眺めつつ、お姉さんとダイニングカウンター越しに会話するとか? 

 しかし僕ごときの話術じゃ、いったいどこまで気の利いたやり取りを続けられるやら。

 ああ、重ね重ね、自分の恋愛経験値の低さが恨めしい――……



 などと、一人で密かに嘆いていたら。

 調理台に肉や野菜を並べながら、美織さんが話し掛けてきた。


「料理が完成するまで退屈だったら、裕介くんはゲームでもして待っててくれるかな?」


 思い掛けない選択肢を、にわかに提示されたようだ。


「スマホ以外でゲームが遊びたいなら、リビングのテレビに据置機すえおききもつながってるから」


 そう言えば、美織さんはけっこうゲーム好きでもあるんだよな。

 短文投稿サイトツイッターでは、頻繁にソーシャルゲームのスクリーンショットをツイートしている。

 たまに据置ゲーム機の新作ソフトなんかも、パッケージ画像付きで購入報告していたっけ。


「ゲームソフトは、隣の部屋の棚に並べてあるし。好きなものを選んで遊ぶといいよー」


「……えっと。僕が勝手に他の部屋へ立ち入ったりしちゃって、かまわないんですか?」


 念のため、お姉さんの勧めに従う前に確認を求めた。

 故意に家探しするつもりなんてないけど、偶然意図せぬものが目に入ることはあり得る。

 その場合、結果的にプライバシーを侵害し、美織さんを傷付けたりしないだろうか……

 くどいようだが、初めて訪れた女性の住まいだし、僕は少し心配になってしまった。


「あはは。別に気にしなくて大丈夫だよ、裕介くんはそんなこと……」


 だが、美織さんはキッチンで調理を続けながら、大らかに笑う。


「どうせ二人で暮らしはじめたら、それが当たり前になるんだろうし」


 いずれ同棲することは、すでに確定事項らしい。

 とはいえ、その観点から言えばもっともな指摘ではある。

 裏を返すと、美織さんには見られて困るような所持品はなく、だから同棲にも前向きになれるのかもしれない。



 まあ何にしろ、このままじゃ所在ないし、ゲームで遊ぶことにする。

 それにどうせだから、大画面で据置機のやつがプレイしたくなった。

 美織さんのお墨付きも得たので、隣の部屋をのぞかせてもらおう。


 ダイニングカウンターの前を横切って、リビングを奥へ移動する。

 観葉植物の傍にあるドアを潜り、その先にある一室へ踏み込んだ。


 ……と、思わず両目を見開いてしまう。


「――こっ、これは相当なものだな……」


 僕は、室内の真ん中まで進むと、周囲をぐるりと見回した。

 正方形に近い形状の部屋は、リビングほどじゃないものの、けっこう広い。

 ドアや窓がある箇所を除き、四方の壁際には概ね書棚や収納が設置されていて――

 そこには、おびただしい冊数の書籍(大半は漫画や画集)、及びBDやゲームソフトのパッケージ類が並んでいた。ていうかどれも大量すぎて、もはや建築構造上の影響が懸念される。


 ただし部屋の奥まった一隅いちぐうは例外で、棚の代わりに作業机が設えられていた。

 何やら天板上には、液晶モニタを斜めに傾けたような機材が乗っている……

 あれは、たぶん「液晶タブレット」とかいう、PCの出入力一体型デバイスじゃなかろうか。

 ペンタイプのマウスで、画面上に絵や文字を直接描き(書き)込むことができる、ってやつ。

 よく見ると、傍らにタワー型PC筐体きょうたいなども置いてある。間違いないだろう。


「……ここは、美織さんの趣味の部屋か何かだろうか」


 僕は、ひとちて、ちょっと考え込んだ。

 まったくもって、何というサブカルチャールーム(?)か。驚嘆きょうたんせざるを得ない光景だ。

 もちろん世間は広いから、もっと特殊な部屋が自宅にある人も、沢山居るんだろうけど。

 でも、僕がじかに見たことのある場所に限ると、こんな居住空間は他に知らない。


 ――おっと。それはさておき、ゲームソフトを取りに来たんだった。


 ゲームパッケージが並ぶ棚の前に立って、目ぼしいものがないか探す。

 色々な機種のタイトルが、様々なジャンルに渡って、ずらりと取りそろえられていた。

 主に最近人気のソフトが中心だが、これだけ色々並んでいると目移りしてしまうな。


 ……よし、これにしておこう。

 世界的な人気を誇る、定番格闘ゲームのシリーズ最新作だ。



 パッケージを手に取ると、そそくさとリビングへ引き返す。

 キッチンでは、美織さんがフライパンで野菜を炒めていた。


「裕介くんにも、何かちゃんと気に入ってもらえるゲームがあったかな?」


「はい。――これ、以前にゲームセンターでもプレイしたことがあるんで」


 笑顔でたずねられたので、格闘ゲームのパッケージを軽く掲げてみせる。

 美織さんは「そう、よかった」とつぶやき、緩やかな所作でうなずいた。

 そうして、調理中の食材に気を配りつつ、やり取りを続ける。


「ごちゃごちゃしていて、どこに何があるかわかりにくい部屋だったでしょう?」


「いえ、そんなことは……。何と言うか、多少圧倒されるものはありましたけど」


「圧倒されるって、部屋の中に漫画の本やBDが色々置いてあることが?」


「それとゲームも。あんなに沢山ある部屋は、一般家庭で初めて見ました」


「あはは。でも、あの程度じゃまだ、それほど大したことないと思うけど」


「あの物量で大したことないって……。どんな部屋に住んでる人と比べて言ってるんですか」


「うーん。そこはやっぱり、純粋に趣味で蒐集しゅうしゅうしているような人には勝てないというか――」


 何気ない会話のつもりだったけど、僕は不意に奇妙な引っ掛かりを覚えた。

 二人が交わす言葉の根底には、前提となる認識のがあるみたいだった。

 果たして違和感の正しさは、すぐに美織さんの一言で証明される。


「ここの隣室は、仕事場と資料室も兼ねた中途半端な部屋だから」


 僕は、頭の中を整理する必要に迫られた。


 あの隣室は「仕事場と資料室も兼ねている」……

 言い換えると、単なる趣味のものを集めただけの部屋じゃない、ってことだ。

 でもって美織さんの仕事にとっては、本やBDも資料に属すものなんだろう。


「……あそこって仕事場なんですか?」


「うん、そうだよ。あんな部屋だけど」


「美織さんの職業って、たしかデザイナーさん……でしたよね?」


「えっ? ――まあ、たしかに広義のデザイナーだとは思うけど」


 たしかめるように訊くと、美織さんはきょとんとした面持ちで答えた。


「キャラクターデザイン関係の発注なら、仕事で頻繁に請けるし」


 僕は、自分が次に何を言うべきかで迷って、ちょっと言葉に詰まってしまった。

 その有様を見て、ようやくお姉さんもやり取りに微妙な齟齬そごを察知したらしい。

 うっかりしていた、とでも言いたげに苦笑いを浮かべる。


「……もしかして私の仕事のこと、まだ裕介くんにちゃんと話してなかったっけ?」


 美織さんは、いったん調理する手を止めて、キッチンを離れた。

 リビングのチェストへ歩み寄り、革製のケースを抽斗ひきだしから取り出す。

 手のひらに乗るサイズ感で、それがすぐに名刺入れだとわかった。

 お姉さんは、ケースの内側から紙片を一枚引き抜き、僕に手渡す。


   ______________

  |              |

  | イラストレイター     |

  |     花江美織     |

  |   (PN.美森はな江) |

  |              |

    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 名刺に印刷された文字を、つい僕は二度見した。


「美織さんのお仕事って、イラストレイターだったんですか」


「あのね、だましたりするつもりじゃなかったんだよ裕介くん」


 美織さんは、少しが悪そうに言い訳する。


「普段は『イラストを描くのが仕事』だって、人前だと言いづらくて」


「なるほど……。それは何となくだけど、わかるような気がします」


 仮に自分もイラストレイターだったら、やはり安易に仕事を吹聴しないかもしれない。

 正直に話したせいで「どんなイラストを描くんですか?」なんて質問されたら、いちいち回答するのも面倒臭そうだもんな。


 世の中には、漫画と言えば週刊連載の少年漫画しか知らない人だって多い。

 ライトノベルの表紙や挿絵さしえなどに対しては、性的な表現が氾濫はんらんしている、というような偏見を持った人も居るからなあ。


「だから、オフ会みたいな場所で自己紹介するときにも、職業は大抵デザイナーだって言うことにしてるの。一応、今言ったようなキャラデザの依頼だとか、それっぽい仕事を持ち掛けられる機会もないわけじゃないし」


 僕は「なるほど」と繰り返しつつ、お姉さんにうなずいてみせる。

 それから、あとひとつ気になった点を、付け足すようにたずねた。


「日頃から短文投稿サイトツイッターで、僕とアニメやゲームの話題をやり取りしているアカウントは――やっぱり、プライベートで使用しているものなんですか?」


 短文投稿サイトツイッターの相互フォローしているアカウントでは、美織さんは「mimikoミミコ」というユーザーネームを名乗っている。

 トップページのプロフィール欄にも、職業に関する言及は一切存在しない。

 お姉さんの仕事について、これまで僕が詳しく知らなかった要因のひとつだ――

 と言っても、Web上で安易に個人情報を記載しないのは、ごく常識的なことだが。


「うん。いつも君と返信を送り合っているのは、個人的なオタク活動専用アカウントっていうか……。偽名の裏アカってやつだよね、こっそりアニメ実況したりするのに使ってるんだけど」


 美織さんは、しおらしく首肯する。

「裏アカ」っていうのは、「裏アカウント」の略称。正規のHNハンドルネームで公開しているものとは別の、素性を隠して密かに使用しているアカウントのことだよな。


「ちゃんと正式な『美森みもりはな』名義のアカウントもあるんだけどね。あっちは仕事で付き合いのある人にも見られてるし、あまり好きなことばかりツイートできる場所じゃないんだ」


 そ、そういうことだったのか……。

 僕は事情を知らないまま、美織さんがmimiko名義で登録していたアカウントを、漠然ばくぜんと似た趣味のユーザーだからってフォローしていたんだな。

 ていうか、裏アカを通じて接点を持ったフォロワーで、おそらく「花江美織=美森はな江」という真相を知る人間自体が多くあるまい。ひょっとしたら、僕だけという可能性だってある。


 まあ何にしろ、またひとつ美織さんの素顔を知ることができたらしい。

 隣室に液晶タブレットが置いてあったことも、イラストレイターなら納得だ。……いや、別に絵を描くのが好きなら、アマチュアでもああいう機材を持ってる人は多いんだろうけど。



「――今まで隠すような真似してて、本当にごめんね裕介くん」


 美織さんは、ちょっともじもじして、こちらの顔色を窺うように謝ってきた。


「絵を描くことが仕事のお姉さんでも、同棲してくれるかな?」


「どうして基準が常に同棲できるかどうかなんですか」


「えっ。やっぱり私じゃ同棲してもらえないんだ……」


「そうは言ってませんけど! まずちゃんと恋人同士になってからでしょう!」


「あ、ごめん。そうだね、今夜はそのために泊まりに来てもらったんだもんね」


 お互い両想いだと確認した初日から、いきなり相手の部屋に外泊するのは、たぶん「ちゃんと恋人同士になる」過程としては一般的じゃないでしょう……

 とは思うものの、あまり僕も強くツッコミ入れられる立場ではない。

 何だかんだと誘いに乗ってしまって、今ここに居ることは事実だし。


「いずれにしろ、美織さんがイラストレイターだからって、急に嫌いになったりしませんよ」


 僕は、故意に咳払せきばらいしてみせてから、気を取り直して言った。


「むしろ、とても素敵だと思います。絵を描くことが好きだから、仕事にしたんでしょう?」


「うん、それはもちろん。……あはは。裕介くんにそう言ってもらえると、凄く嬉しい……」


 美織さんは、柔和な微笑を浮かべつつ、夕食の用意を続けるためにキッチンへ戻っていく。

 ちょっぴり慌てふためく姿には、そこはかとなく安堵や気恥ずかしさの感情が窺い知れた。



 うーん、それにしても美人な上に絵を描く才能まであるなんて。

 こんなに魅力的な女性と、本当に僕が恋人になってもいいんだろうか? 

 おまけにいずれは同棲して、働かなくても扶養してくれるって言うし。


 正直、何もかも作り話みたいで、現実感が薄くなってきた……。

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