love letter
love letter ①
「あれ、トーコって民間受けないの?」
あれから、瞬く間に時間が過ぎていった。私たちは大学三年生に無事進級、難しくなってきた専門科目とゼミ、そして来る就職活動と卒業論文の作成。私たちはどんどんと忙しくなっていく。
「いや、一応受けるけど。でも公務員一本かな」
「ふーん。どこ? 地元帰るの?」
「悩み中。地元も受けるけど……本命はここの市」
エリサは私がカバンから出していた公務員講座のテキストを見ながら、「難しそう」と笑った。
「でも、トーコがこっちに残るならいいかも。いつでも飲み友達いるってことだし」
「エリサも?」
「うん。出来たらだけど……あんまりわがまま言ってられないかな?」
こればかりは、自分で決めるわけではないから難しい。エリサは小さく笑ってから、席を立とうとする。
「トーコはこれからどうするの? 授業?」
「夜から公務員の講座あるから……それまで図書館で勉強してるつもり」
「大変だね。じゃ、私もう行くわ」
エリサを見送って、私も席を立つ。オレンジ色の夕日が、図書館を照らしていた。それを見るたびに、私の胸がきゅんと甘く弾む。私の足は自習室ではなく、真っ先に日本古典の棚に向かった。誰も借りる気配がない源氏物語の第二集を手に取り、ゆっくりと開く。
「……あった」
薄紫色の付箋に、細い見慣れた文字。
あれ以来、私たちはこうして昔の人たちの恋文を借りて、こっそりとその甘い言葉を交換し合っている。それは毎日あるわけではない、一週間に一度の時もあるし、ひと月以上間が空いた時もある。待たされた時の喜びはひとしおで、紀一郎さんは私が焦れているのを楽しんでいるのかもしれない。
私はゆっくりとその付箋をはがしてその言葉を読んだ。
――君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな
『あなたのためならば、たとえ捨てても惜しくはないと思っていた命だけれど、あなたに逢った今となっては長生きをしたいと思うようになったよ』
頬のゆるみを隠すことなく、私はその付箋を手帳の中に挟んだ。紀一郎さんからもらったラブレターで、手帳はどんどん厚くなっていく。それを大事にカバンに仕舞って私はそこを離れた、頭の中では、何て返そうかという事しか考えていない。
◇◇◇
「勉強、順調なのか?」
「まあ、そこそこ」
忙しくなるにつれて、私は叔父さんのバーでバイトをする日も少なくなった。今では週に、1回出勤できればいい方だ。叔父さんもそれは理解してくれて、すぐに違うバイトの人を雇っていた。同じ大学同じ学科で、一つ学年が下の男の子。私と彼はシフトが重なるときはない。そして、その彼はプレゼミは紀一郎さんのところを選ぶそうだ。
「あの男の、何が良いんだろうな」
トーコを振った男なのに、と叔父さんは続ける。叔父さんはもう紀一郎さんの事をそういうマイナスな評価しかしない。こればっかりは仕方がない。私がまだ彼と『続いている』ことを知ったら、どれほど驚くだろう。
私はこの秘密のやり取りをする関係が気に入っていた。それでも、毎日のように寂しく思う。彼と歩いた道を一人で歩き、彼と眺めた月を一人で見る。彼と一緒になって眠ったベッドで、一人で寝る。彼から離れた今となっては、紀一郎さんの体温を思い出すことすら難しい。だから、私は毎晩のように念じていた。
どうか、彼の夢を見れますように、と。二人で過ごしていた時を、もう一度と。
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