夏 ~デート~ ④
髪の毛をしっかりと乾かして、歯を磨いてから、シャワールームを出た。紀一郎さんは窓際に置いてある椅子に座って、静かに缶ビールに直接口をつけて飲んでいる。シャワーの音を聞かれたかと思うと、なぜだか、少し恥ずかしい気持ちになった。
「どうしたんですか?それ」
それに気づかれないように、私は紀一郎さんに聞く。
「廊下の自動販売機に行って、買ってきました。桐子さんの分もあるけど、飲みますか?」
「私はいいです、さっき結構飲んだから」
「そうですか?」
私がベッドの端に座ると、紀一郎さんはビールを一気に飲むように、呷った。
そして、それを見てハラハラと心配している私をよそに、紀一郎さんはゆっくりと立ち上がって、私の右隣にぴったりと座る。左腕を腰に回して、右手を私の右手の上に包み込むように置いた。
薄い浴衣越しに、紀一郎さんの体温がじわじわと伝わる。
「今日は……」
「ん?」
「ずいぶん、手つなぎますね。紀一郎さん」
「ああ」
紀一郎さんの腕が、腰から離れる。一気に温かな体温を失い、すこし肌寒くなった。
紀一郎さんは、今度は両手で、私の右手を取る。
「こんなこと、普段は出来ないでしょう? ……折角だから、今のうちにたくさんしておきたかったんです」
「それが、手を繋ぐ?」
「はい……。桐子さんも、まんざらじゃないようですし」
「……そうですけど」
そのまま右手を持ち上げて、紀一郎さんは私の手の甲にキスをした。そして、指の一本一本、まるで労わるように、でも、リップ音を立てて私の体に火をともすかのように、その熱くなった唇でキスをしていく。
右手を終えたら、次は左手。左手の薬指は、他の指よりもさらに丁寧に口づけている。
左手を終えたら、額にキスをして私を抱き寄せた。
「デート、楽しかった?」
「はい、とっても」
「僕もです、とっても楽しかった」
「ねえ、紀一郎さん」
「何ですか?」
「また、来たいです……水族館」
「そうですね、また来ましょう。来年でも再来年でも、その先でも」
その先でも、という言葉を聞いて、私の体を強張った。もちろん、紀一郎さんはそれに気づいているのか、私の背中を優しく撫でる。
紀一郎さんは何も聞いてこないし、私も何も言わなかった。
「桐子さん」
「なんですか?」
紀一郎さんは私から離れて、真っ直ぐ私の目を見据えた。真っ黒の瞳の中心に、私が映っている。
「もう、電気消してもいいですよね?」
私が彼の瞳を見つめながらゆっくり頷くと、紀一郎さんは微笑み、立ち上がってスイッチを切りに行った。ふっと、すぐに狭い室内は暗くなって、私と紀一郎さんの熱っぽい呼吸だけが明かりの代わりに部屋に満ちる。
紀一郎さんの気配を感じた方に顔をあげると、まるで噛みつかれるようなキスをされた。
舌先を少し出すと、紀一郎さんのそれがまるでツタの様に絡みついてきた。ビールの苦々しさと、麻酔みたいな紀一郎さんの呼吸を感じながら、いつもより少し広いベッドに傾れ込む。
全部飲みこんでいってしまうようなキスに、息が苦しくなって、紀一郎さんの胸をとんとんと叩く。紀一郎さんが離れていった時、すっと何かが反射して煌めいていた。
布が擦れる音が聞こえてすぐに、紀一郎さんはまた私に覆いかぶさってきた。襟元を少し寛げて、鎖骨に、ちゅ、と音を立てながらキスをしていく。それはどんどん首筋を伝い、耳にまで上がってくる。
紀一郎さんは、私の耳に触れるのが好きだ。こういう時は、特に。
耳に息がかかる程、紀一郎さんの唇が近づいてくる。耐えきれなくなって声を漏らすと、紀一郎さんの掌が私の口元を覆った。
「……声」
「……え?」
「桐子さんの可愛い声、聞きたいのは山々ですけど……このホテル、壁薄いので。我慢、できます?」
私はおずおずと頷いた。紀一郎さんはその気配を感じて安心したのか、手を放してもう一度深く交わるようなキスをした。
まるで物語の終わりを知らせるようなキスだった。
お互いの舌を混ぜ合わせている間に、紀一郎さんは私の浴衣の帯をほどいていた。裾から手を差し込み、ゆっくりと素肌を手のひらで撫でていく。くすぐったくて身をよじると、紀一郎さんは私の耳にキスをした。
そして、耳たぶを柔らかく食む。熱い呼吸が敏感になった耳に当たり、その度に私は体を揺らす。
紀一郎さんは丁寧に、私の浴衣をはだける。私は素肌を、すべてを、紀一郎さんに曝け出していた。何度も体を重ねたのに、その度に恥ずかしくて仕方がない。
紀一郎さんもそれを見抜いていて、私の体を、舐めるようにじっくりと見るのだ。
「……見てるだけなのに」
「……え?」
「ここ、もう硬くなってますよ?」
紀一郎さんの指先が、胸の頂に触れた。ピリピリとした電気のような快感が、頭の中を縦横無尽に走り回る。
紀一郎さんは指先で触れるだけだった、胸の頂、柔らかな双丘……首、耳。焦れた私が腰を揺らすと、紀一郎さんが薄く笑った。
「触ってほしい?」
その言葉に、私は何度も頷く。しかし、紀一郎さんはそれでは満足していない様子だった。
「どこ?」
「え……?」
「どこを、触ってほしいの?」
紀一郎さんの手が、私の体から離れていく。私は慌ててその手を掴み……自分の胸に誘った。
「……っここ、触ってください」
「触るだけ?」
「いつもみたいに……」
その言葉では、紀一郎さんは満足していない様子だった。羞恥を煽られ続ける私は、早く紀一郎さんの与える快楽の海に溺れたかった。
「指でつまんで……キスして、ください」
「……可愛い言い方」
紀一郎さんは両手で、私の双丘を柔らかく揉みしだく。私が細く長く息を漏らすと、紀一郎さんは熱をこもった目で私を見つめていた・
「桐子さん……」
「ん、あ……はい……」
「今日、我慢できそうにないです……」
そういって、紀一郎さんは私の尖った胸の頂をきゅっと摘まんだ。私は声を漏らさないように、唇を噛みながらその刺激に翻弄されていた。
窓の向こうから、夜が更けていく音が聞こえてきた。紀一郎さんを見上げると、そこにだけさっき見た夕方の太陽のような明かりが見えた気がした。
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