夏 ~デート~ ②
お盆には実家に帰る。何かお土産でも買って行こうか、と手を頬に当てて悩みながら売店を何週もした。正直に言ってしまうと、売店で打っているものはどこで買っても代わり映えのしないものばかりだった。これなら、家の近所で買っても同じではないだろうか?
そこで、私はふと思い出す。この前紀一郎さんが買ってきてくれたお土産のバウムクーヘンは美味しかった。紀一郎さんにお願いしてそのお店に連れて行ってもらおうかと顔をあげると、小さな袋を持った紀一郎さんが私を呼んだ。
「紀一郎さん、もう買ったんですか? 早いですね」
「ええ。はい、桐子さん」
「……なんですか?」
紀一郎さんは二つ持っている袋のうち、一つを私に手渡した。紀一郎さんはニコニコと笑い、私に開けるように促した。袋が破けないように、丁寧にテープを剥がして、中身を見る。
「クラゲ?」
中にはクラゲのマスコットがついたストラップが入っている。透けたクリアブルーがとても涼しげだ。
「僕の分も買いました、ほら」
紀一郎さんの手には、まったく同じストラップがあった。『おそろい』と紀一郎さんは付け足す。
「桐子さんとお揃いになるの、僕が待ちきれなっちゃいました」
「でも、誰かに見られたら」
「大丈夫、こんな量産品、誰もただの偶然としか思いませんって」
確かに、どこの水族館にも置いてありそうなストラップだ。
「……大切にします」
「うん、僕も大切にします」
「そうだ、紀一郎さん」
「ん? 何ですか?」
「あの、この前紀一郎さんが買ってきてくれたバウムクーヘン、あれ実家に買っていきたいなって思ったんですけど」
「ああ、その店ならここから近いですけど……行きましょうか?」
「はい、連れていってください」
紀一郎さんは、また私の手を取った、次は深く指を絡ませて。私も強く繋がれた手を握った。
◇◇◇
夕日が水平線に引っ張られているように、ゆっくりと日は暮れていく。オレンジ色に照らされている波も、同じようにゆっくりと揺れていた。
バウムクーヘンは、箱に入った少し大きいものと、小さい小分けされたものをそれぞれ買った。お盆のお供えにするならきっと小分けされている方がいいに違いない。
買い終わって財布をカバンに閉まっていると、紀一郎さんは『海でも見に行きません?』と私に聞いた。
「海ですか?」
「ホテルのチェックインまで少し時間もありますし。せっかく海の近くまで来たんだから」
「いいですね、海」
「それじゃあ、いきましょうか」
また、紀一郎さんは私の手を取った。暑い日に水を飲むように、いとも自然な手つきで私の指に紀一郎さんのそれを絡ませた。その度に、私の胸は弾む。
そういうわけで、私たちは海に来ていた。砂浜についた時、紀一郎さんは靴と靴下を脱いでいた。なので、私もそれに倣ってサンダルを脱ぐ。砂を踏むと、まだ昼間の太陽が残っていたみたいで、少し熱い。しかし、それは不快なものではなく、紀一郎さんと夏を楽しんでいるみたいでなんだか楽しいな温度だった。
紀一郎さんは、波打ち際まで足を進めていた。
「どうですか? 海、気持ちいですか?」
「ぬるいです」
「ぬるいですか」
「でも、心地いい」
紀一郎さんはまっすぐ夕日を見ている。私は、どうしても目の奥が焼ける気配を感じてしまうのがどうしても苦手で、夕焼けからはすぐ目をそらしてしまう。
「子どものころ、家で金魚を買ってたんです」
そのきれいな赤を見ていたら、胸の奥にしまい込んでいた思い出がゆっくりと目を覚ましたのか……とつとつと紀一郎さんが話し始めた。
「金魚?」
「ええ、赤い尾ひれの金魚。でも、僕が小学校に上がるころ死んでしまって。夜になってから、父と懐中電灯の明かりを頼りに庭に穴を掘って埋めました。その後、泣きながらアイスキャンディーを食べて。あれ、棒に刺さっているじゃないですか」
「はい」
私は、涙を流してアイスキャディーを食べる紀一郎さんを思い浮かべようとしたが、できなかった。薄暗い照明の下、私の上で真剣な瞳を潤ませる紀一郎さんがそれを邪魔したのだ。
「その棒を墓標にしようと思いつきました。懐中電灯片手に、僕はまた庭に出ました。けれど、どこに埋めたか思い出せなくなってしまって、僕は諦めて棒も捨てました。それからは、たまにこうやって金魚の事を思い出すだけです」
「金魚」
私は声に出さないように、もう一度口の中で『金魚』と繰り返す。紀一郎さんに忘れられた金魚と自分自身を重ならないように、『金魚』と言った。
「どうして、急にそんな話を?」
「おセンチなんです、夕日を見たから」
「夕日のせいですか?」
「どうやら、僕のDNAにも『老い』とか『死』のイメージが張り付いているみたいです。夕日に」
私は目を逸らさないように、夕日を見た。ちかちかと眩しいが、その光は海にかき消され始めていた。
「そういえば、よくビートルズのカセットテープを聞いてました。子どもの頃。桐子さんにとっては、カセットテープなんて旧石器時代の遺物のような物で、ピンと来ないでしょうけど」
私は紀一郎さんの言葉を遮らないように、静かに首を振った。両親がしょっちゅうラジカセで聞いていたから私だってそれくらい知っている。
「何度も、聞いては引っくり返してを繰り返していたんですけど、ある日プレーヤーの方が壊れてしまって。テープが絡まってしまったんですよ。懸命に直してはみたのですが、僕のやり方が下手くそだったのか、テープが伸びて、妖怪は歌ったような曲になってしまって……箪笥の奥にしまい込んだんです。テープ、どこに行ったんだろう」
「紀一郎さん」
「何でしょう?」
「どうして、急に、そんな話ばっかり」
私は紀一郎さんの手を取る、紀一郎さんの動作よりもぎこちないものだった。
「だから、おセンチなんです」
「もう。感傷に浸る年じゃないんだから」
「だからです。この年になると、どうしても『死』のイメージはリアリティを増す」
「……紀一郎さんも、死ぬんですよね、いつか」
「ええ、いつか。間違いなく、桐子さんより先に」
「……私の方が先かもしれませんよ、人生、何が起こるか分からないから」
「それは、悲しい。僕よりも若い人が先に逝くのは、悲しい」
紀一郎さんは、私の手を握り返す。足首の骨を、押し寄せてくる波が擽った。
「僕も、金魚やカセットみたいに、きっと忘れられていくのだろうなあ」
「私は忘れませんよ」
「それは、頼もしい。けれど、人は忘れる生き物だ。もちろん、桐子さんを信じていない訳じゃないですよ」
「分かってますよ、そんな事。紀一郎さん、マリモって知ってます?」
「……はい、それが?」
私はまた、子どもの頃の自分に思いを馳せる。麦わら帽子をかぶり、ワンピースを着た、どこにでもいる普通の子どもだった。あの頃の私は、確実に。
「……本当に小さかった時、家族で北海道に旅行に行ったんです。その時、マリモを見て。私その時の事をよく覚えてて……マリモも、死ぬんですよ。知ってました?」
「死ぬ?」
「大きくなりすぎると、中心に空洞ができるんです。その空洞が原因で、あの丸い形が崩壊して、かけていってしまうんです」
私は展示ケースに手をぴったりくっつけて、その死んだマリモを見ていた。マリモはぼっかりと大きな口を開けたまま、ゆらゆらと揺れていた。
「でも、それがマリモの『終わり』じゃなくて……かけらはまた湖の中をさまよって、形を作っていく。私、死ぬってそういうことだと思い、ます」
頬に、紀一郎さんの視線を感じていた。じっと、私の言葉を引き出すいつも通りの目をしているに違いない。
「死んでも、言葉や考え方は誰かの一部になってて……上手く言えないんですけど、誰かの中で生きるって、そういうことだと思います。
特に、紀一郎さんは先生だから紀一郎さんが講義で言った言葉や考え方は、誰か学生の中で染みついて、それがまた、誰かに伝わっていく。それが紀一郎さんのモノって誰も知らなくても」
大きな波が立った。波は私たちの膝近くまで立ち、足の砂をさらっていく。海に引っ張られていくような感触に、私は少しだけ怯えた。紀一郎さんの横顔を見ると、引いていく波を懐かしむように見ていた。
「紀一郎さん?」
「うれしいなあ」
「……何がですか?」
「桐子さんと、考え方も違っていて、嬉しい」
「……何でですか? ふつう、逆じゃないですか?」
「ううん」
紀一郎さんははっきりと首を振った。
「僕と桐子さんは違うことを考えている人間なのに、こうやって惹かれあっているのが嬉しくて仕方がない」
頬が、カッと熱くなるのを感じた。簡単な言葉で好意を伝えられるよりも、ずしんと頭を強く打って目の前がくらくらした。私はそれを気取られないように、『もう、行きましょう』と紀一郎さんに言った。
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