夏 ~Re:Happy Birth Day ~ ⑤


◇◇◇


 じりじりと夏が近づいてくるのを感じていた。目覚まし時計が鳴るよりも先に、暑さを感じて目を覚ます。それでもしぶとく目覚まし時計が鳴るのを待ってから私は動き出す。よくある、夏の朝だ。

唯一、ある事を除けば。



「トーコ、ハピバ~」


「あ、ありがとう」



 食堂で待ち合わせをしていたエリサが、いつもの「おはよう」よりも先に明るい声で私を出迎えた。

 今日は、私の誕生日。21歳になる、目の前にいるエリサはまだ誕生日が来ていないから19歳。二つも年が離れてしまった時、やはり「1学年」の差を大きく感じてしまう。



「はい、これ。私からのプレゼント」



 エリサはカバンの中から丁寧にラッピングされた青い袋を取り出す。まめなところがあるエリサは、こういうイベントごとは絶対に欠かさない。



「わざわざありがとう」


「友達だもん。良いってことよ」


「うれしい。何かな?」



 リボンを丁寧に外して、袋の口から私は中身を見た。紅茶の詰め合わせのようだ。



「ケーキ買ってさ、彼氏と飲んでよ」


「うん、そうする」


「今日、会うんでしょ? デートでもするの?」


「……残念なことに、相手、今日仕事なんだよね」


「あら~、残念だね。トーコもトーコの彼氏も」



 エリサは眉を下げた。


 紀一郎さんも、同じように眉を下げていたことを思い出す。彼に私の誕生日に仕事が入ってしまったと言われたのは数日前、プレゼミの申請をしてきた日の夜の事だ。




「……出張、ですか?」


「はい。隣の県で、大学説明会があるので行って来いと言われました。入試課の人に」


「それは、重要ですね」


「そうなんですけどね。別に、桐子さんの誕生日にやらなくたって」



 紀一郎さんは、私の肩に頭を置いた。まるで甘える子どものようだ、私はその大きな子どもの頭を撫でる。シャンプーしたばかりの紀一郎さんの髪は、いつもよりふわふわとしていて、柔らかい。



「それも紀一郎さんの仕事ですから、諦めてください」


「桐子さん冷たい。自分の誕生日なのに、僕がいなくてもいいんですか?」


「仕方ないですからね」


「『仕事と私、どっちが大事なの?』って言わないんですね」


「言わないですよ、そんなこと」



 紀一郎さんは口をへの字に曲げる。



「そうしていると、本当に紀一郎さん、子どもみたいですよ」


「……桐子さんが大人すぎるんですよ」



 その言葉を聞いて、私は笑った。20も離れている年の差が、まるでなくなってしまったような錯覚を感じたのだ。



「社会人と付き合うって、大変だね」


「そう?」


「だって、学生同士だったらまだ時間の融通きくし。私、誕生日に彼氏に会えないってことないもん」


「ふーん」


「そうだよー。トーコ、さみしくないの?」



 私は首を横にふる。


 もし私が寂しいと言っても、紀一郎さんは仕事を投げ出したりしない、そんなことは地球が太陽の周りを回っている事よりも明白だった。

 それに、私はとうの昔、紀一郎さんとお付き合いすることを決めた日に、そんな事すべて諦めている。大事な日に会えないかもしれないことも、いざという時に私を選ばないかもしれないということも。


 諦めることに慣れている。叔父さんに、以前そう言われたことがあった。


 諦めることは、我慢することと似ているようで、全く違う。

 

 諦めるということは、目の前にあるものに目をつぶり、最初から『そんなものはなかった』と思い込むことだ。思い込むほどに、喉から手が出る程欲しかったものは、靄に包まれて、やがて消えていってしまう。


 それでも、この前叔父さんのバーで誕生日を祝うカップルのお客さんが来た日から、あんな風に祝ってくれたらもう天にも昇るような気持ちになるんだろうな、と心の片隅で羨ましく思ったりしていた。



「トーコ、大人ぁ~」


「それ言われた」


「でしょ~」



 そう言って、私たちは顔を見合わせて笑った。



「……おっす」


「うわっ! 徳永じゃん、びっくりさせないでよ!」



 三竹くんと違って、徳永くんにはあまり存在感がない気がする。実際、そっとやってきた彼には声をかけられるまで近づいてきていることに気づかなかった。



「あれ? 三竹は? いっつも一緒にいるのに」


「あいつ? 自主休講。昨日バイトで遅かったんだって」


「ふーん、残念だったね。今日トーコ誕生日だったのに、ポイント稼げるチャンスをふいにしちゃってさ」



 こんなことでポイント加算したところで、彼にあまりメリットはない気がする。



「そうなんだ、おめでとう若村」


「う、うん。ありがとう」


「三竹には明日教えるわ。ところで、プレゼミどこにした?」


「徳永は?」


「俺? 戸崎先生んとこ。でも少ないみたいで、誰も知り合いいないんだよ」



 私とエリサは顔を見合わせる。



「私、戸崎先生のゼミにしたよ」


「まじで? 志麻先生のとこじゃなくて?」


「うん。志麻先生の専門と、私のやりたいこと違うし」

 

「ふーん、でも良かったわ。知り合いいて」


「私こそ、よろしくね」



 徳永くんは私に向かって手を差し出す。私は分からなくてきょとんと首を傾げるが、すぐに気づいて指先だけ軽く握るように握手をした。



「でも、三竹はさらに残念だな。若村も基礎ゼミの時に志麻先生のとこだったから、絶対に志麻ゼミ選ぶって張り切って提出してたのに」


「うぇ~、アイツも志麻ゼミかよ」


「賑やかでいいんじゃないか? そうだ、若村、これ」



 徳永くんはカバンの中から、まだ封があけられていないチョコの箱を取り出した。



「おめでとう、誕生日」


「うん、ありがとう」



 私はそれを受け取る。あまり食べることのない、カカオ99%のチョコレート。そのチョイスが、何だか徳永くんらしい気がした。


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