第10話 ここは夢じゃない

 パン! 

 

 噛まれて割れたのは、体につけてた浮き輪だ。

 運良く、俺はやられてなかった。


 ただ手にスリ傷を負い、少し血が流れる。


 破裂音にひるんだ奴は、急反転して離れていく。驚いて警戒したのだろう。

 だが、俺を仕留めるのをあきらめた様子はなかった。


 かなり距離を取ってから、こっちを向く。


 俺は奴の狙いに気づいてしまい、青ざめる。


「どうやら牙じゃなくて、俺を体当たりで殺す気らしい……」

 

 噛みつき攻撃が不発に終わったので、殺人手段を切り替えたわけだ。

 あの巨体にぶつかってこられたら、即死だろう。まず助からない。


 俺に反撃手段はなく、涙がでてきた。マジ悲しい、悔しさもある。


「ああ、なんで俺がこんな目に!」


 と不運をなげき、アホな現実逃避を始めてしまう。


「これは夢だ! そうだ、そうに違いない! もうすぐ夢から覚めて、叔父さんと山彦と一緒に朝飯を食うんだ。あとはバイトに行って働いて……」


 化け魚は泳ぎ出す。


 よーい、ドン! でスタートを切ったようだ。


 ゴールは俺かよ……こっちくんじゃねー!


「それか、アレだろ? アレ! ここは異世界というやつで、神様がチートスキルをくれるはず……も、もしくは化け魚にやられても、死に戻りできるんだろ? ループもの…………」

 

 迫りくる化け魚は本物で、夢でも何でもない。死は間近にある。


 ここにきて、別の俺がささやく。


(夢? チート? 誰がそんなことを言った? 目を覚ませ! ここは『なろう』じゃない!)


 そうだ! 手傷の痛みも空腹も本物だ。


 俺は死んで転生したわけじゃなかった。


 定番のトラックに、かれたわけでもない!


「おりゃ――――――――! 死んでたまるか――――――――!」


 自分でも信じられないほどの力を発揮し、俺は化け魚から泳いで逃げる。

 これならオリンピックで、金メダルがとれたかもしれん。


 火事場のなんとかだー! 奴も舌を巻いてるだろう。


 気づいたときには、浅瀬までたどり着いていた。


 化け魚は追ってこない。流石に陸地は分かるのだろう。

 打ち上げられた魚は、身動きがとれなくなるからな。


「はあ……はあ……ぜえ……ぜえ……」


 文字通り最後の力を振り絞り、俺は陸地に上がってつんのめる。

 そのまま目をつむり、少し休んでから仰向けになった。


「海彦はスキル、九死に一生を得た。火事場の馬鹿力を得た……」

 

 一人でぼやいてみたが、ステータス表示はでてこない。


 やはり、ゲームの世界でもないようだ。


 ひとまず助かったものの、今度は空腹で死にそうだ。

 水は飲んだが、必死で泳いだせいで体力が限界に近い。


 ……もう倒れそうだ。


「うー、近くに民家は……ない。誰かいませんかー! 飯くださーい!」


 か細い声で助けを求めたが、周りには木々があるだけで人気はない。


 俺は食い物を探すべく、彼方此方あちこちに目を向けると、湖に小舟が浮いてるのに気づいた。


 木製で塗装はされておらず古くさい。俺からの距離は少し遠い。


「あれは! 人が乗ってる。おーい!」


「……失敗した……戻ってきてしまった。私のバカ!」


 風に乗って声が聞こえてきたが、何を言っているかは分からない。

 声で女だとは分かる。俺の声は届いてないようだった。


 小舟に化け魚が近寄っていく。


「まずい! 奴だ。逃げろ――――!」


「こうなったら、私の力で倒してやるわ! 女神ヘカテーよ! 我に力を与えたまえ!」


 警告をした俺は目を丸くする。女の体に光る何かが集まっていく。


 後で知ったが、精霊魔法とやらを、初めて目の当たりにした瞬間だった。


 化け魚はジャンプして、女に襲いかかる!


「ナイアスの守り!」


 化け魚は見えない壁にぶつかり、弾き返される。


「おおっ!」


 ガンと派手な音を立てたので、ダメージはあっただろう。

 小舟から離れて、水の中に潜りこんでしまう。


「すげー!」


「何度でも跳ね返して、水に叩きつけてやるわ!」


 これならいけるかなと思った矢先、小舟が吹っ飛んで、木っ端みじんになる。

 女は悲鳴を上げて、空中に投げ出された。


「キャ――――!」


「ちっ! 小舟の真下から体当たりしやがった。化け物め!」


 小舟までは、魔法で守ってなかったようだ。

 戦法を変えてくる奴は、相当頭がいい。


 女は頭から湖に落っこちて、水しぶきを上げた……しばらく時間が経つ。


 …………浮かんでこない。


「ああ、もう! 俺はヘトヘトだっつうの――!」

 

 体が勝手に動き、俺は湖に飛び込む。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る