サクラ

nobuotto

第1話

 最終実験の準備ができた僕は研究室の仮眠室でひと眠りすることにした。

 遺伝子編集技術も自分が学生だった頃に比べれば格段に進歩して楽にはなった。しかし、今でも神経をつかう匠の作業である。そのうえ、編集した遺伝子が期待通りの結果を出してくれるわけでもない。生物は複雑であり対象遺伝子の編集が成功しても予想もしない結果となることが多い。同じ遺伝子でも未知の環境要因が影響して全く異なる結果になってしまう。

 理論的に選定した対象遺伝子が間違っていた場合は、その原因を分析してまた対象遺伝子を編集して成長を見守り続ける。この繰り返しを延々と行う。世の人々は最先端の研究分野のエリート研究者と僕のことを言っているが、実際は肉体労働、それもかなりブラックな肉体労働の世界なのである。

 今回の国家プロジェクトの予算は高額であった。しかし、2年間で必ず成功させなくてはいけないという厳しい条件がついていた。

 この2年、チーム全員寝る時間も削って研究に打ち込んできた。何度も失敗して少しづつ少しづつ改良を重ねやっと成功の目処が立ってきた。一昔前ならとてもこの短期間で成功することはできない。僕達も努力を惜しまなかったが、まさに、人類の叡智、これまで多くの研究者、人類が積み上げてきた研究成果があってから僕達の成功もある。

 人類の科学に対する誠実で謙虚な歴史を受け継いで僕達も生きている。

 そんなことをうつらうつら考えながら僕は眠りについた。

***

 春になった。

 僕達の新種のサクラも満開の花を咲かせた。見た目にはこれまでのサクラとなんら変わらないサクラである。

 そして2週間後に一斉にその花は散っていった。予想以上の見事な散り具合に僕達は歓喜した。

 実験結果を見に来た教授に僕は告げた。

「成功です。詳しくは記録ビデオを見て頂くとして2週間弱で満開のサクラの花は綺麗さっぱり落ちました」

 教授も満足そうである。

「いい散り方ですね。これで新種の株ができました。最終段階へ進みましょう。本株の日本各地への配送を早急に行って下さい。何度も言いますが極秘でお願いしますね」

 極秘とされている研究に対して僕レベルの研究者が疑問を挟むことはできない。まずは成果を出してと思いひたすら研究に打ち込んできた。そして、やっと満足な結果を出すことができた。

 僕はこの2年抑えてきた疑問を教授にぶつけた。

「教授。遺伝子編集技術もない時代に何十年もかけて、一年中咲き続けるサクラを作り出したというのに、なぜまたこんなサクラを政府は作ろうと思ったのでしょうか。これまでの先人の苦労はなんだったのかと正直思います」

「過去のサクラの遺伝子と同等の品種を再現するという研究、それ自体は応用範囲も広い研究です。それはそれでいいのです。それはそれでいいのですが」

 花が散って裸の巨木となったサクラを見上げて教授は静かに話しを続けた。

「ここだけの話しとして下さい。政府の目的はサクラを象徴として使いたいからでしょう。こんなご時世ですからね」

「象徴というと」

「君たちも知っているとは思いますが、昔日本ではサクラは意味を持っていました。潔く散る。これが日本人らしいという意味を表していました。どんな環境でも、美しく咲いて潔く散る。そうした象徴をまた作るのが目的でしょう」

 教授の話しを僕は理解できずにいた。

 その時、空襲警報が鳴り渡った。

 最重要保護地域である拠点大学を防御用ドームが包み込んでいく。

 僕達と教授は緊急時マニュアルに従って大学地下のシェルターに急いで走っていった。   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サクラ nobuotto @nobuotto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る