23迷いの末に

 あの日から、俺は大杉神社に近寄ることをやめた。

 そんな俺のもとに一度だけ硯月と焔がやってきたが、「もう来ないでくれ」と突き放した。

 

 二人の顔は見られなかった。

 だって、もし悲しそうな顔をされたら決意が鈍りそうだったから。

 

(今度こそ完全に、決別しないといけないんだ)


 そう自分に言い聞かせながら、手に持ったビニール袋をぎゅっと握りしめた。

 中身は自分のアイスと、母親に頼まれた夕食の食材だ。

 本当は自分のアイスだけを買って帰るつもりだったのだが、出かけるときに母親に見つかってしまい、正直に商店街へ行くことを打ち明けたばっかりに用事を申し付けられてしまったのだ。

 行く場所は同じなので構わないのだけど、いかんせん重い。

 商店街から家までの距離は近いというわけでもないため、行儀は悪いがアイスを食べて帰ろうか悩む。


 今日も外は暑い。

 この暑さでは家に帰るまでにアイスが溶けてしまうかもしれない。


(それは困るな)


 悩んだ末に俺はビニール袋から自分のアイスを取り出し、袋から出すとそのままかじりついた。

 冷たい氷の感触が歯と舌に伝わり、身体を冷やす。


(ああ、うめー)


 逆に外で食べた方がおいしいかもしれない。

 俺は他人からどう見えるかを気にするのはやめ、片手に持ったアイスに時折かじりつきながら歩みを進める。


(このまま行くと神社の前に出るな)


 少し遠回りになるが、住宅街の奥へと進み、神社の裏を抜けて、いつもの田んぼ道へと出る。

 ちょうどそこは田んぼと住宅街を仕切るように農業用の水路、といっても小さなもの、が流れていた。

 俺でも一歩で跨げるようなその水路に目をやって、俺はすぐに視線をそらして歩き出す。


 水路のこちら側、住宅街の方に、全長20センチほどの小さな人が立っていたのだ。

 正確には人型の妖なのだろう。

 

 もう一度、視線に気づかれない程度に確認する。


 やはりいた。

 その人型はあたふたと左右を見渡しながら時折身を乗り出して、用水路の向こうを見ていた。


(一体何をしようとしてるんだ?)


 小さく首をひねり、その人型から用水路の向こう側へ目を向ける。

 そこには田んぼの稲に隠れるようにして同じような人型がちらちらと顔を覗かせていた。

 それも、3匹。

 その中の1匹は一回り大きい人型だ。

 中でもその大きなやつが1匹取り残された妖を心配そうに見ている気がした。


(もしかしてあいつだけ渡れなかったのか?)


 手を貸してやらなければ。

 そんな意思が働いて俺は足を止め、はたと気づく。


(いやいや、もう妖と関わらないって決めただろ)


 助けてあげたい気持ちはあったが、ここで助けたら今までの努力は水の泡だ。

 俺は少しの罪悪感を抱きながら、それでも一歩を前に踏み出した。


 アイスにかじりつき、今見た光景を必死に記憶から追い出そうとする。

 それでもあの光景は頭から離れることはなかった。


 その時、不意にT字路から一人の男が曲がってきた。


(あいつ……)


 栗色の髪に銀縁の薄いフレームがついた眼鏡をかけている。

 目は穏やかに細められているが、決して人当たりの良い笑みではない。

 そこに先入観があることは認めるが、仕方がない。


 角を曲がり、俺の前で足を止めた男は、あの日大杉神社で妖狩りをした人物で間違いないのだから。


「こんにちは。また、お会いしましたね」

「お前が大杉神社で妖を狩った、野崎だな」

「ええ。それはあそこにいた硯月という石守にでも聞いたのですか。妖には関わらなない方がいいと……いえ、これ以上はいう必要はありませんね。あなたはどうやらもう妖と関わる事をやめたようですから」


 そういって野崎はちらりと俺の背後に視線を向けた。

 どうやら先ほどの逡巡を見られていたらしい。

 知らぬ間に見張られるような行動をされていたことに不快感が募った。


「どういうつもりだ。俺はこの前初めてあんたに会った。それなのにどうしてわざわざ忠告みたいなことを言う」

「俺はただ見える者の先輩として忠告したにすぎませんよ。妖と関わらなければ、心を寄せなければ、無駄な争いに巻き込まれることもないですからね」


 野崎が目を伏せながらそう告げる。

 それは俺自身も身を持って体験した事だ。

 だがその表情や言い方からするに、まるで野崎もそんな状況を体験しているかのようだ。


 しかし野崎が悲しそうな顔をしたのは一瞬で、すぐに人当たりの良い笑みを浮かべて「しかし間に合ってよかった」と言葉を続ける。


「どうやら近々、妖たちにとって大きなイベントが始めりそうなのでね。今妖たちとの決別を決断しなければ巻き込まれていたかもしれませんよ」

「それって……」


(まさか次の妖王を決める選挙のことか?)


 それは妖たちしか知らない情報ではなかったのか。

 俺はその問題の中心にいるから知っていたが、では野崎はどこからその情報を得たのか。


 じわじわと言葉にできない嫌な感じが胸に広がっていく。

 野崎は危険だと、何かが告げていた。


 言葉に詰まる俺を訝し気に見つめた野崎は、優しく目元を細めて「もしかして何か知っているのですか」と問いかける。


「な、なにが?」

「妖の一大イベントについてですよ。もし知っているのなら同じ力を持つ者として教えてもらいたいのですがね。そう、例えば獅子の妖――竹千代について」

「――っ!」


(やっぱり妖王についてバレてる!)


 ということはもしかして俺についても知っているのだろうか。

 目的はわからないが、野崎が王候補について探りを入れているのなら俺について知っている可能性も高い。

 そして俺にタイミングよく接触してきたのも。


(野崎は妖王候補に何をしようとしているんだ)


 全身を緊張が包み込む。


 絶対にバレてはいけない。

 竹千代についても話してはいけない。


 不自然にならないようにできるだけ自然に、俺は視線を下に向ける。

 そしてなんとか「俺は何も知らない」という言葉を絞り出した。


「……そうですか。それならばいいのです。今言ったことは忘れてください。そしてできるなら別の世界があるという事も忘れる事ですね」


 それでは。とあっけなく野崎が去っていく。

 しかし俺は心臓の高鳴りが止まらず、わずかな息苦しさを覚えていた。

 乱れた呼吸を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。


(最後の言葉、どういう意味だ……)


 別の世界。

 それは妖が見える、妖が存在しているということを差して言ったのか。

 それとも実際に妖の世界を差して言ったのだろうか。


 後者だとすればまずい。

 野崎は俺が妖界へ行ったことを知っているという事になるからだ。

 

 一体野崎はどこまで知っていて、何をしようとしているのか。

 今の俺には知る事は出来ないが、大杉神社の裏で妖を狩っていたことを考えると、妖たちにとっては良くないことを企んでいることは間違いなさそうだ。


 脳裏にシンと静まり返った美上川が過った。


 あんな悲しい事にだけにはなって欲しくない。

 そう思った瞬間、俺は踵を返し歩き出していた。


 そこには相変わらず用水路を渡れずに困っている人型がいた。

 その背後に立てば、その人型も、稲の間からこちらを窺っていた人型も急に慌て出す。


 俺が見えているという事に気付いたらしい。

 パニックになって右往左往する、こちら側の人型をさっと捕まえるとそのまま用水路の向こう側へと離す。

 

 あっけに取られている彼らにかまわず、俺は家に向けて歩き出した。


(すっかりアイスとけちまったな)


 溶けて小さくなった最後のひとかけらにかじりつくと、木の棒の味が口の中に広がる。

 それをビニール袋に入れていたアイスの袋に放り込む。

 これなら食材がベトベトになることもないだろう。


 その時背後に風が吹いた。

 同時に「関わりたくないと言っていたのに、何故助けたのだ?」という心底嬉しそうな硯月の声が届く。

 それにため息をついて俺は足を止め、振り返った。


 声の印象と違わずニヤニヤと嬉しそうに笑う硯月の横には、わずかに口元を緩めた焔がいる。


「妖と関わりたくないのは今でも同じだ。でも、河童たちと過ごした時間を忘れるなんて出来ないし、なんだかんだ、楽しかったからな。違う妖でも困ってたら見過ごせないってだけだ。見過ごしたら罪悪感湧くんだよ」

「はは、そうかそうか。やはりお主は良いやつだな」

「なにが良いやつだ。そんなんじゃねーっての」


 何故だか少し気恥ずかしい。


 俺は硯月から逃げるように再び背を向けて歩き出した。

 背後で焔が「素直じゃないな」と笑っている。


(もうそれ以上何も言うなって……)


 大したことはしていないのに「よくやった」と頭を撫でまわされているような感覚。

 小学生ならば素直に喜んだのかもしれないが、高校生の俺にはきついものがあった。


(もうしばらく神社に近づくのはやめておこう)


 しかし足を速めた俺を追ってくる気配がする。

 振り返ればやはり硯月と焔がついて来ていた。


「なんでついてくるんだ!」

「良いではないか。久しぶりに親睦を深めよう、直哉」

「断る!俺は買い物頼まれんの」

「ではその荷物を家に届けて、そのあと茶でもせぬか?」

「しない」

「まあまあ直哉。これでも硯月さまは落ち込んでいたのだぞ。それくらい付き合っても罰は当たらんだろう」

「そういう問題じゃねえ――」

「大変でございます!!」

「は?」


 突然硯月で、焔でもない声が会話に割り込んで来た。

 それも上の方から。

 見上げれば背中に羽根の生えたドジョウのような生き物が舞い降りてきていた。

 それは俺たちの目線の位置で止まると、もう一度「大変でございます!」と繰り返した。


「おや、これは珍しい。空魚ではないか。なにが大変なのだ?」

「そ、それが!竹千代様が人間に捕らえられてしまったのでございます!」

「なんだと?」


 一瞬で険しい表情に変化した硯月と焔の声が重なった。


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