19片鱗
大小様々な平屋建ての木造建築が、しかしきちんと碁盤の目のように並んでいる。
道は舗装されておらず、土のままだ。しかし車が3台余裕で通れそうなほど道幅は広い。
そんな道のど真ん中を俺と焔、そして先導するように硯月が歩いていた。
道を挟む建物は江戸時代を思わせる建築様式で、見覚えがあるのだが、人間など俺以外誰も歩いていない。
代わりに人間のように二足歩行している狸のような生き物や、猫のような生き物、その他説明できない生物たちが好き勝手に往来していた。
ここはどうやら妖の住む世界らしい。
「硯月。今すぐ俺を人間界へ帰せ」
十分な時間をかけてあり得ない現実を飲み込んだ俺は、機嫌がよさそうに歩みを進めている硯月を追いかけながら、努めて低い声を出した。
俺なりの精一杯の怖い声だ。
だが硯月には効果がないようで、その足が止まる気配はない。
「ははは、そう焦るな。せっかく妖の世界へ来たのだぞ?もっと楽しんだらどうだ」
「どこをどう楽しめってんだ!恐ろしさしかないわ!」
「そうか?焔は楽しそうだがなあ」
「はあ?んなわけ――」
言われて隣を歩く焔を見上げれば、焔はその瞳をおやつを前にした犬のようにキラキラと輝かせていた。
「お前状況わかってんのかよ。そんな楽しそうにしやがって……」
「あ?久しぶりに来たんだからしょうがないだろ。俺は人間界で修業していてここ数十年こっちには来られなかったからな」
「そーですかー」
しょせん焔も妖だ。
俺が今どんな気持ちでいるかなんて理解できるはずもない。
逆の立場になって考えてくれと言いかけて、こいつらはたとえ四方を大勢の人間に囲まれても動揺しないだろうという考えに至り、結局俺はそれ以上何かを言い返さなかった。
「もういいよ。どうせ俺は硯月の力がなきゃ人間界へ戻れないんだ。まさか俺をここで殺そうってわけでもなさそうだし、大人しくついていきますよー」
「はっはっはっ。直哉は物騒なことを言うな。安心せい。ここに連れてきたのは顔合わせのためだ」
「顔合わせ?誰と?なんの?」
首をひねる俺に焔が「妖界でお前が顔合わせするのは竹千代しかいないだろう」と冷静に告げる。
「竹千代ってもう一人の妖王候補の?……帰る」
「こらこら。一人でどこへ行く」
さっと踵を返した俺を、まるで背後に目があるかのように察知した硯月が素早い動きで俺の襟元を掴んだ。
不意打ちを食らって首が締まった俺から「ぐえっ」とカエルのような声が漏れると、さっと硯月の手が離れる。
その瞬間に俺は硯月の方を振り返り、その胸倉に掴みかかった。
「ふざけるな!勝手に王候補にされて、勝手にここに連れてこられて。お前ちっとも俺のいう事聞いてないな。俺は王になんてならねえって言ってんだろ。王はその竹千代でいいから、俺をさっさと人間界へ帰せ!」
ザッ。
土を踏む音が大きく響き、辺りを静寂が包み込む。
「なんだ?」
唐突な静寂に硯月から手を離して周りを見渡すと、先ほどまで自由に往来していた妖たちが動きを止め、みんながこちらを凝視していた。
そして一拍後にザワザワとした喧騒が広がっていく。
「おい、今あいつなんて言った?王候補?」
「ああ。じゃああいつがもう一人の王候補……」
「てことはあいつ、人間だろ」
ちらほらとそんな言葉が聞こえ、通りを包んでいた明るく活気のある空気は冬のように芯から身を凍えさせるような寒々としたものへと変わっていた。
妖たちが俺を見る目は完全に捕食者のそれだ。
反射的に後ずさる俺の肩を焔が左手で抱き寄せてかばう。右手は刀の柄に添えられ、いつでも抜ける体勢を取っていた。
ピンと空気が張り詰めたその場で、誰も動こうとはしない。
誰かが動けば、すぐにここは混乱の場に変わるだろう。
しかしそんな張り詰めた空間の中でただ一人、硯月だけは相変わらずその口元に微笑を刻んでいた。
「皆の者。わかっていると思うが、こやつは私の石が選んだ候補。私も気に入っているのでな。――あまり、怖がらせないでもらえるか」
ぞっ。
硯月の目が一瞬、海の底のような深い闇を宿した。
息をするのでさえ憚れるような重い空気がのしかかる。
気づけば、俺の身体は小刻みに震えていた。
周りの妖たちも恐怖に目を見開いているように見える。
「……っ、硯月さま。殺気を鎮めてください。直哉も怯えています」
「おっと。私としたことが。すまなかったな直哉。目的の場所はすぐそこだ。さあ、行こうか」
硯月がニコリといつものように微笑む。
その表情からは一切の冷たさは消えていた。
俺もようやく息ができるようになり、乱れた呼吸を落ち着かせようと密かに深呼吸をする。
そして歩き出した硯月の後を焔と共に追いかけた。
もうすっかり逆らう気力は無くなっている。
(さっきのが硯月の殺気?嘘だろ……あの雰囲気、まるでレベルが違う)
今まで出会ったどの妖よりもやばい感じがした。
もしかしたらあれが本来の硯月なのではないか。
今までは自由で能天気な妖という認識だったが、やはり妖たちから「様」と敬称をつけられるだけの力のある妖なのだ。
先程の殺気だけで身体が震えた。
本気を出されたら俺なんて一瞬で殺されてしまうだろう。
じわじわと目の前を歩く硯月への恐怖が湧き上がってくる。
そんな俺の怯えを感じ取ったのか、硯月が足を止めて振り返った。
「そこまで怯えられると悲しいぞ。私はただお主を守りたかっただけだ」
その顔はどこか悲しそうに歪められていて、俺はますますこの硯月という男がわからなくなった。
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