第4章 見極める

15華心


「焔あああっ!どこにいるんだ!早く来てくれえええ!!」


放課後。これから家に帰って、昨日通販で買った漫画をゆっくり読もうと決めていた俺は、委員会の仕事で残らなければいけない寛を置いて先に帰路についていた。

 しかし15分で済むというのだから大人しく待っていればよかったかもしれないと後悔しても、もう遅い。


 背後からは荒い鼻息と蹄の地を蹴る荒々しい足音が響いている。

 ちらりと一瞬振り返れば、見かけは完全に牛だが、頭の部分から雄鹿のような立派な角が生えている。そして尻尾は馬のように毛が長い。

 まっすぐにこちらを目指して走ってくるあれは、間違いなく妖だ。

 確実に関わってはいけない類のものだし、言葉を話せないタイプのようなので話し合いで解決できそうにもない。

 どうやら妖王に関して俺を狙っているわけではなさそうだが、だからと言って接触したら命がなさそうだ。


 そんなわけで俺は先日俺を守ると言ってくれた――正確には見張りをしてくれると言っていたが、俺の中では護衛に任命している――焔を呼びながら走り続けているのだが、一向に現れる気配がない。


(どうなってんだ焔!約束が違うぞ!)


 こうなれば絶対的な聖域、大杉神社に逃げ込むしかない。

 あそこの結界をくぐれば、悪しき妖は入ってくることができないからだ。

 

 スピードを上げる努力をしながら、俺は今度から常に運動靴を持ち歩くことを決意した。

 通学用の革靴は走りにくくて仕方がない。

 それでもなんとか大杉神社を囲む木々は見えてきた、あと少しだ。


 鳥居も見えた。


 あと少し。


 あと、少し――!



「グオオッ」

「うわああっ!」


 このままでは間に合わない。

 本能的に感じた俺は、咄嗟にスライディングを決めた。


 ズサアッ!


 肘を擦りむいた気もするが、今はそれよりも背後の妖だ。

 命の危機にある俺は今までにない反射神経で起き上がり、鳥居の外側を確認する。


 視線を向けると、結界にはじかれた妖がスゥッと消えていくところだった。


 完全にその姿が見えなくなったのを確認し、ようやく全身の力が抜けた。

 と、同時に背後から一人分の拍手。


「いやあ、見事な駆け込みであった!さすがに若いな、うん」

「硯月……」


 ニコニコとほほ笑みながら未だ感心したように手を叩き続けている硯月の横では、探し求めていた焔が真面目な顔で「そんなに疲れるなら札を使って追い払った方が楽じゃないか?」と首をひねっている。


 すぐに現れたところを見ると、先ほどの出来事もどこかから見ていたようだ。


「お前ら見てたのかよ。なら、なんで助けてくれねぇの?」


 怒りよりも疲れが勝る。

 俺はがっくりと肩を落としながら、二人に視線も向けることなく問いかけた。


 すると硯月はようやく拍手をやめ、「私は戦闘向きではないからなぁ」と他人事のように笑う。

 

 焔は俺が膝をついた姿勢から、足を伸ばした楽な姿勢に変えて地面に座り込む間に、大きくため息を吐き出していた。

 見上げれば、腕を組んだ仁王立ちの姿勢を保ちながら、呆れたようにこちらを見おろしている。


「あのくらいの小物はひとりで退治してくれ。俺は何でも屋じゃないんだ」

「なんだよ。見張りするって言ったのはお前じゃん」

「あれはお前ひとりでなんとかできると判断した。それだけだ」

「無理だよ。あんな全力で突っ込んでくるやつどうにかできるかっての」

「どうにかしろ」

「お前がどうにかしろ」

「断る」


 頑なに拒否する焔に話が違うだろとさらに追及しようと詰め寄ったところで、「まあまあ」と硯月が二人の胸を押して距離を離した。


「落ち着け、二人とも。……にしても直哉。なぜいつも退治しないで逃げてくるのだ?そういうことをするから面倒が増えるんだぞ」


 結局お前もそっち派か、と内心思いはしたが、硯月も妖なのだ。焔と意見が合って当然だ。

 だからそれについては突っ込まないでおいた。


 ふう……と息を吐き出し、硯月と焔の向こうを少しだけ覗き見る。

 その先には少し困り顔でこちらを遠巻きに眺めている巫女姿の少女や、神主の格好をした男たちがいた。その足元には白い狐も2匹ほど見える。

 彼らは大杉神社に仕えている妖たちだ。


 それを見ると思うのだ。


 妖は悪いやつばかりじゃない。

 先程の妖だって、たまたま俺と目があったから追ってきただけで、その前まではただ田んぼの中の草を食べていただけだ。

 他の人間に対して害を与えているわけでもなかった。だから――。


「別にあいつら悪いことしてねぇしな。無駄に恨み買う方が面倒だろーが」


 そう。札で反撃しない理由は、これ以上面倒事に巻き込まれるのはごめんだという思いもある。

 人間たちに危害を加えないのならば、今回のように襲ってくるのは俺自身が彼らの世界に足を踏み入れてしまったのが悪いのだ。

 妖は妖の世界で、人間は人間の世界で分けて生きて行く方が良い。

 下手に手を出せば自体はややこしくなるだけだろう。

 だから早く王候補も辞退したい。

 この力を封印してしまいたい。


「なあ、硯月。この力を封印する方法――」

「おっと。その話はまた今度だ。お客人が来られたようだからな」

「こら!あからさまな嘘つくんじゃねえ!お前が教えたくないだけなのはわかってんだよ!」

 

 笑顔で誤魔化そうと言う魂胆は丸見えだったので、俺はその城が美しい軍服の様な服の胸元を掴んで揺する。

 それを見た焔が「やめろ!」と血相を変えて瞬時に俺の手を引き離した。


「本当に何かが来ている!しかも、かなり強い妖力だ……!」


 言いながら焔が俺の腕を引いて自身の背後に隠した瞬間、強い風が吹きつけた。

 木の葉や枝などが吹き付けてくるので、とても目を開けられない。

 

 次に目を開けた時には、硯月の後方、5メートルほど先に一人の男が立っていた。


 硯月とは対照的な、太陽の光を写し取ったかのような金髪を腰のあたりまで伸ばしたその男は、服装も硯月とは対照的で、浅黄色の着物に鮮やかな藍色の羽織を肩にかけていた。

 そして腰にはしっかりと刀がさしてある。鞘も白い硯月とは対照的に黒漆が綺麗に光を反射していた。


 背筋を伸ばし、切れ長の金の瞳でこちらを見表情に見つめるその男は、妖に詳しくない俺でもただ者でないことが見て取れた。

 俺の前に立つ焔も警戒してわずかに姿勢を低くしていることから、おそらくその推測は間違っていない。

 俺はそっと手を伸ばし、鞄の中の札の存在を確かめた。


 しかしそんな俺達の姿を見た硯月はこちらを見たまま「はっはっはっ」と楽し気に声を上げている。

 背後の相手も警戒せず笑っているとは、いよいよ硯月はやばいやつだ。


「お前笑ってる場合か!後ろ見ろ!後ろ!」

「なに、そう警戒せずとも良い。――なあ、華心よ」


 そこでようやく硯月が背後を振り返る。

 華心と呼ばれた男は、相変わらず無表情にこちらを見ていた。

 しかし無駄に顔が整っているので、怖さよりも美術館で彫刻を見た時のように魅入られてしまう。


「硯月か。我は王候補の気配をたどってきただけなのだが……いや、そこにお前がいるのは当然だったな」

「はっはっはっ。随分久しいというのにあいさつもなしとは、相変わらずそっけないのぉ」

「あれが、華心様……!」

「え、焔知ってるの?」

「馬鹿!後ろに隠れていろ!忘れたのか?前にお前を襲った爺は華心様の信者だっただろ!」

「あ――」


 言われて思い出した。

 そう言えば自室でおじいさんに襲われた後、硯月がそのようなことを言っていた。


「四大妖のひとりで、王の補佐的立場にあるすごい妖……」

「うむ、よく覚えていたな直哉よ。偉いぞ。ご褒美にもう一つ教えてやろう。華心は妖の中でも特に研ぎ澄まされた気を持っていて、汚れには弱いのだ。ゆえに人間界へ降りてくるなど前代未聞。まあ目的はお主だろうがな」


 目的は、俺。

 その言葉に心臓が大きく脈打った。


(あれ、これもしかしてめちゃくちゃやばい状況じゃね?)


 華心の信者とかいうおじいさんは俺の命を狙ってきたわけだし、その上にいる華心だって当然俺の命を狙っているはずだ。


 一気に緊張感が増した。


 だが俺の警戒心を知ってか知らずか、華心はその場を動く気配はない。


「……先に言っておくが、ここでやりあうつもりはない。我はただ、王補佐として見極めに来ただけだ」

「なるほどな。直に見ぬと身に秘めた力はわからんからのぉ。で、お主の目から見て直哉はどうだ?」

「力はあることは認めよう。だが、感覚も考え方も違う人間には我らの王は務まらない」

「だが、秘石は素質のあるものしか選ばない。四大妖であるお主でもなく、直哉を選んだのだ。私は可能性はあると思っているがな」

「未来への可能性がどれだけあろうとも、王となるものには現時点である程度統治能力が備わっていなければならない。そこにいるのはまだ子供ではないか。とてもその能力があるとは思えぬが、どうなのだ人間よ」

「え!?」


 硯月を見ていた金の瞳が急に俺を映したので、また大きく心臓が跳ねた。

 不意打ちは身体に悪い。


「えっと……王になれるかどうかって話だったよな。それなら俺、降りるつもりだから。俺も妖の王なんてなれると思ってないし」

「そうか。王候補を辞退することは出来ぬが、だがもう一人の王候補は竹千代だ。大人しくしておけば、自然と竹千代が王座に座る事になるはずだ。直接的には痛い目にあうことはないだろう」

「なんか含みのある言い方だな……。念のため聞くけど、竹千代ってどんな妖なんだ?」


 その問いに硯月が「うむ」と頷き、説明してくれた。


「獅子の血を引くだけあって勇敢で正義感が強い妖だ。それゆえに妖から絶大な支持を受けている」

「確か竹千代様は極度の人間嫌いだったと記憶していますが……」


 硯月の説明を受けて焔が不安そうに眉を寄せている。

 しかもとんでもない情報を吐いた。


「人間嫌いって、それやばい臭いしかしないんだけど」

「安心せい。確かに竹千代は人間嫌いで有名だが、争いを好まぬ妖ゆえ、お主に力勝負を挑んでくることはないだろう。のお、華心」

「恐らくな」

「恐らくって言っちゃってるけど!?恐らくってことは不確定要素あるよね!?もしかしたらお前のこと力で叩き潰すかもしれないって含んでるよね!?」

「はっはっはっ。そう慌てるな。可能性は限りなく低い。竹千代は平和主義者だ」

「ああ。今回は平和的かつ迅速に次期王が決定しそうでよかった。我はもう行く」

「え、ちょっと――」


 こちらが別れの挨拶も言わぬ間に、華心はやってきたときと同じように風と共に去っていった。


「あいつ本当に俺のこと見に来ただけなんだな」


(部下は思い切り命狙って来たのに)


「華心自身も無駄な争いは好まぬ妖だからな。それに華心は本当は、私たちに他の王候補が誰かということを教えに来てくれたのだよ。私は自分の石が選んだ王候補しか知る事ができぬからな」

「ふーん。じゃあ硯月みたいに石を守ってる妖がもう1人いるってことか」

「うむ、その通りだ。しかしもう一方の石が竹千代を選んでいたとはな。なかなか手強い相手だぞ、直哉」

「別に平和的に王が決まるならいいんじゃねーの。俺も無駄に怪我とかしたくないし」

「またそんなことを申して。私は直哉が王になってくれたら面白いと思うんだがなぁ」

「硯月さま、面白い面白くないで王を決めないでください」


 焔の言っていることはもっともだと思う。

 それに妖が妖の王になるのなら、それが正しいことだろう。

 華心も言っていたが、妖と人間では考え方が違う。それどころか妖には言葉を介さぬものもいる。そんな世界を人間が統治するなど、絶対に無理だ。


 しかし俺と焔がどれだけ異を唱えようと聞く耳は無いようで、竹千代に勝つためには圧倒的に妖望が足りないなどと訴えてきた。


「なんだよ、妖望って」

「妖たちからの信頼を得る為、そして人気を得る為、もっと妖の役に立たねばならんということだ」

「妖からの信頼とかいらねぇし。俺そろそろ帰るわ」

「ああ、わかった」

「じゃあな」

「待たんか、お主ら!気をきかせてもう依頼主に来てもらっておるのだ!」

「はあ?」


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