7 考えるよりも先に
ざああっと風が二人の間を通り抜ける。
その風が去ってから、再び目を開けた硯月にはもう先程のような悲し気な雰囲気は消え去っていた。
「そういえば、お主時間は大丈夫なのか?」
「ん?って、やばい!」
硯月に指摘されて腕時計を確認すればいつもここを通過する時間より10分も遅れている。
もしかしたら走らないと間に合わないんじゃないか。
俺は慌てて走り出す。
「はっはっはっ!若者は元気が良い。怪我をせぬように気をつけていくんだぞー!」
「っああ!じゃあまたな!」
相手が硯月であるということも忘れて、反射的にそんな言葉を口走っていた。
すぐに「また」はないだろうと思ったが、わざわざ否定するのも面倒だ。
それになにより時間がやばい。
昨日靴擦れを起こした小指が痛んだが、我慢して走り続ける。
カアッ、カアッ。
「ん?」
あと少しで商店街へ入るという時に、怒ったように鳴く鴉の声が耳に届いた。
しかもかなりの数が同時に鳴いているような声だ。
(一体どこからだ?)
走りながら見渡せば、空地の上空――と言っても地上から2メートルもない――に10羽以上が円を描くようにグルグルと回りながら飛んでいた。
見たことのない異常な行動に、嫌な予感を覚える。
あの円の中心に何があるのだろう。
ネズミでもいるのだろうか。
恐怖より好奇心が勝り、俺はそっと空地に近づいた。
瞬間、その円の中心に走り出していた。
「やめろっ!!」
届かないとわかっていながらも振り上げた手を振り回しながら、円の中心に入る。
その中心には酷く怯えた様子で、しかしそれでも牙をむき、うなり声をあげる白い犬がいた。
俺はその犬の前に立って鴉を追い払うために声を荒げ続ける。
「こら!どっかいけって!」
手では効果がない。
俺は咄嗟に通学鞄を振り回した。
カアッ!カアッ!
急に鞄を振り回したことに驚いたのか、鴉の円が崩れた。
連携を乱した鴉たちはそのままバラバラに飛び去って行く。
それを見届けて、俺はようやく鞄を下した。
「はぁ……おい、お前大丈夫か?」
振り返り犬の状態を確認する。
「グルルルル……ッ!」
鴉はいなくなったというのにまだ姿勢を低くして唸っている。
見たところ怪我はないようだ。
首輪もない。
(野良か、どこかから逃げ出してきたか……どっちだ)
注意深く観察してみるが、見覚えはない。
それに。
(目の色が、赤い)
たまにアルビノで目の色が白い犬はいるが、赤い目というのは見たことがない。
病気だろうか。
いや、それにしては澄んだ色をしている。
まさか。
「お前、妖じゃないだろうな?」
恐る恐る尋ねる。
答えは返ってくるはずはない。
相手が犬ならば。
だが犬はこちらの言葉を理解しているかのように唸るのをやめる。
ドクリと心臓が大きく音を立てた。
そこから全身に緊張が広がっていく。
どうか違ってくれ。
まっすぐこちらを見つめる犬から視線を逸らすこともできずに固まっていると、不意に犬がこちらに背を向けて逃げ出した。
「あ、おい!」
手を伸ばして呼びかけるも、犬はそのまま走り去り、あっという間にその姿は見えなくなってしまった。
だが俺はほっと息をつく。
ああやって何も言わず逃げ出したということはただの犬だったのだろう。
思えば鴉に囲まれているときに見せた抵抗といえば牙をむいて威嚇していたことくらいだ。
「思い過ごしか」
だけどただの犬だったとしたら誰かがあいつを探しているかもしれない。
時間があれば近所の人に声をかけるくらいはしたのだが――。
「って、こんなことしてる場合じゃねぇじゃん!」
腕時計は閉門時間の13分前を示している。
余裕はないが走ればまだ間に合う。
(今日の風呂、傷に染みそうだな……)
血がにじんでいるかもしれない足の指を思って、内心泣きながら、それでも教師に雷を落とされるよりはましだと必死で足を動かした。
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