第2章 石の意思
6 変化した日常
カササッと軽い音を立てて、田んぼの脇に生えている草の間を茶色く丸い毛玉の様なものが駆けて行く。
それは昨日までは見る事のなかった存在――妖だ。
小さなものはこちらに気付かれている事も知らずに足早に去っていった。
手のひらに収まりそうなほど小さな妖にどうこうされるとも思えないのだが、相手は妖だ。
小さくともどんな攻撃をしてくるかわかったものではない。
触らぬ神に祟りなし、だ。
見なかったことにして、俺は一見すればいつもと変わらない通学路を歩き出した。
田んぼ道を抜けて住宅街へ。
このポスト前でいつもは寛と待ち合わせをして行くのだが、今日は日直だからと先に登校している。
そんなわけで俺はいつもより少しだけダラダラ歩いていた。
一人だとどうも足取りが重くなる。
学校への距離も心なしか長く感じた。
住宅街を抜けるとその先に大杉神社が見えてくる。
昨日までは何も思うことのなかった神社だが、昨日の一件もあってできれば避けて通りたいと思ってしまうが、生憎通学路はここしかない。
それに……。
(硯月に力を封印する方法を聞かないと)
できれば妖になど話しかけたくはないが、自分のためだ。
面倒だが、放課後神社に寄って行こう。
そう決意して鳥居の前を通り過ぎようとした、その時。
「挨拶もなしとは寂しいぞ、直哉」
「げっ!」
ふわりと白い影が鳥居の前に舞い降りた。
距離が近い。
一歩後ろに下がって距離を取ると、改めて硯月を観察する。
硯月は相変わらず、何が楽しいのかわからないが、にこにことほほ笑んでいた。
(くそっ……)
日の光の下でも絵になるやつだ。
同じ男として――妖に性別があるかはわからないが――少し羨ましい。
硯月がもし人間であったのならさぞかしモテただろう。
人間やはり見た目の重要度は高い。
「おはよう、直哉。今日も良い天気だな」
「……ああ、そうだな。いい天気だな」
無視してもよかったが、こうして害のなさそうな顔で微笑まれていては、無視することはできなかった。
万が一誰かに見られても不審がられないよう、できるだけ小声で声を発した。
そんな俺の思いが伝わらなかったのか、硯月は不思議そうに首を傾げている。
「なぜそんな小さな声なんだ?もしや体調でも悪いのか?」
「ちげーよ!見えない奴からしたら俺はひとりごと言ってるやばいやつだろ!だからなるべくお前たちとは話したくないんだ!」
「おや、そんな理由だったか。直哉よ、そんな寂しい事を言ってくれるな」
「お前の気持ちなんて知るか。俺は面倒な事になりたくないんだ。平穏無事に人生を送りたいんだ……」
「だがその平穏を壊したのは己自身であろう。責任転嫁はいかんぞ」
「…………」
硯月の言っていることは正しい。
正しいからこそ、口がヘの字に歪む。
(俺だってめちゃくちゃ後悔してるし反省したっての。大体――)
「……触ったらこんなことになるなんて、誰も教えてくれなかった」
「はっはっはっ、確かにそうだな。だが、もうこうなってしまったのだから現実を受け入れるしかあるまい。時を戻すことはできぬ。……どんなに戻りたいと思っても、な」
ふと硯月の目が遠くの空を見つめた。
しかし俺がそこに込められた意味を問う前に硯月の視線が再び俺を映す。
そしてその白い手が俺の鞄を指さした。
「それより直哉。札は無事に見つけられたようだな」
「え、ああ、うん。硯月の言ってた通り蔵の2階にあったよ。ありがとな」
「ふふっ、そうか。それはよかった。それがあればむやみやたらに襲われることはあるまい」
「だと良いけど。あ、そうだ硯月。この力をもう一度封印する方法を知らないか?」
「おや、直哉はせっかく取り戻した力をまた封じたいのか?もったいない」
「もったいないって……俺にこんな力あっても就職にいかせるわけじゃないし、むしろ生きてく上で邪魔なんだよ」
「また寂しい事を。その力のおかげでこうして私と言葉が交わせるのだぞ?」
「いや、俺男だし。いくらお前がこの世のものとは思えない美形でもそんなに嬉しくねぇし」
「そんなに褒めてくれるのならもっと眺めていたいと思ってくれてもいいだろうに……」
シュンと効果音がつきそうなほどあからさまに硯月が肩を落とす。
その眉はハの字に下がっていて、仕事に出かける飼い主を見送る犬のように意気消沈している。
その姿に罪悪感の様なものがじんわりと湧き上がってくる。
だが、ここで負けるわけにはいかなかった。
妖と人間は住む世界が違うのだ。
「俺は、俺の生きてきた世界で生きていきたいんだ。お前たちと関われば俺の世界が変わる。それがすごく怖いんだよ……わかってほしい」
「……そうだな。人とは時に私たちよりも難しい。その力を活かせる立場になければ、煩わしいだけだろうな」
そうだなと言いつつ、硯月は肩を落としたままだ。
別にいじめているわけでもないのに、というか今困っているのは俺の方なのに、なぜこんなにもいけないことをしている気持ちになるのだろうか。
気がつけば「別に煩わしいとは言ってない」と口から言葉が零れ落ちていた。
「ただ、今お前とこうして話しているところを見られたら俺が変人扱いされるから。それは、困るってだけで……」
「なに?」
瞬間、目をきらっとさせて硯月が背筋を伸ばした。
その顔はすでにあのにこにこ顔に戻っている。
誰もが惹きつけられるその微笑のまま、ぐっと詰め寄られて思わずのけ反ってしまう。
「では人前でなければ話しかけても良いのだな?その力が人間にバレなければ問題ないのだな?」
「ま、まあ、そうだな」
「ではお主の望む通りにしよう。だからどうか力を封じたいなどと言わないで欲しい。それはとても寂しいのだ」
「う……。わ、わかったからとりあえず離れろ!」
「本当にわかってくれたのか?」
「わかった、わかったって!だから離れてくれ!」
ぐぐっと胸板を押して無理やり距離を離す。
2歩分ほど距離が空いて、俺は思わず大きく息を吐き出していた。
無意識の内に息を詰めていたらしい。
「では封印の話は無しということで良いな。いやー、肝が冷えた。久方ぶりにできた人の友を一晩で失うのはさすがにつらいからなぁ」
「久方ぶりって……じゃあ他にも人間の友達がいたのかよ?」
俺としてはただ気になったから聞いただけ。
硯月が言うところの、友達との会話のように、なんとなく聞いただけに過ぎなかった。
深い意味なんてなかったのに。
硯月は微笑を刻んだまま、悲し気に目を伏せた。
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