3 忘れていた過去
目の前に黄色い着物が見える。大きな菊の柄が特徴的で、そこから覗く手は白く、陶器のように綺麗だった。
そのヒトが楽しそうに笑っている。
これは、幼いころの記憶。
今までどうしてか忘れていた、とても不思議な体験をした時の。
昔、お祖父ちゃんと一緒に山の上の神社を参拝したことがあった。
木で補修されただけの不安定な土の階段をゆっくりと上るお祖父ちゃんの後ろに必死でついていった。
もうすぐ山頂の神社につくぞとお祖父ちゃんが笑う声。
その声に安心したその時、急に霧が濃くなって目の前を歩いていたお祖父ちゃんの姿が見えなくなってしまった。
「お祖父ちゃん?お祖父ちゃん、見えないよ……そ、そこにいるよね?ねぇ!」
呼びかけてもなぜか返事はなく、世界に一人きりになってしまったのではないかと大げさなくらい不安になった。
その場から動くこともできずに泣いていると。
不意にその美しい着物を身にまとったヒトは現れたのだ。
「これは面白い男子だ。フフッ、私と共に人ならざる世界へ行かぬか?」
「ひとならざるせかいってなぁに?」
「ここではない、そうだな、とにかく楽しい世界だ。そこには人が恐れる死も訪れることはない。どうだ?魅力的だろう、フフッ」
「なおや、よくわかんない……」
「そうか。ならば少し覗いてみるといい。ほら――」
男とも女とも見える整った顔立ちのヒトが手を叩く。
すると霧が薄れ、そこには草原が広がっていた。
そしてそこを走り回る大きな犬に、馬のように見えるが顔が牛という不思議な動物。
その向こうを赤い鼻が大きく伸びた天狗が飛んでいた。
「な、なにこれっ!?」
「これが私の住む世界だ。人の住む世界よりよほど面白いぞ。どうだ、共に行かぬか」
「でも、僕お祖父ちゃんを探さないと……」
「どうしてもか?」
「うん。ごめんなさい。またこんどね」
「フフッ、また今度、か。そうだな。私は気が長い。時が来たら、お前を迎えに行こう」
またな。
そんな声と共にまた霧が濃くなり、目の前にいたはずのそのヒトの姿さえ見えなくなってしまった。
そして変わりに血相を変えたお祖父ちゃんが俺を抱きしめてきたのだ。
「ああ、よかった。戻ってきた!」
「もどって?どこかに行ってたのはお祖父ちゃんでしょ?」
そう返すと、お祖父ちゃんは困ったように眉を下げて「違うよ」と優しく俺の頭を撫でる。
「お前が別の世界へ行っていたのだ。それは妖が住まう世界。人間が足を踏み入れるべきではない場所だ。本当に帰ってきてよかった。お前は妖に誑かされたんだ」
「?」
「妖の世界はわしらの住む世界と隣り合わせにある。だからたまに妖たちは人間の世界にやってくるんだ。あいつらは見た目は怖いものもいるが、基本的に言葉を交わしたり、その姿を見たりしなければ危害を加えることはない。だから直哉。もし不思議なものや人間ではないものに会ったら見ていないふりをするんだ。もちろん言葉を交わしてはいけない」
「そうなの?でもお祖父ちゃんは人間じゃない不思議な人たちをいつも連れてるよね?それはいいの?」
「――!直哉、こいつらが見えていたのか?」
「うん。壁とか通り抜けてるの見たことあるよ。ゆうれい?」
「……いや、こいつらはわしの使い魔だ。妖なのだが、契約をしてわしの仕事を手伝ってもらってる、パートナーというやつだな。しかし驚いた。力があるとは思っていたが、まさかそこまでとは……。しかし、わしの代でこの家業は終わらせると決めたんだ。直哉の力は、封印してしまったほうがいいな」
どこか悲しそうにお祖父ちゃんは俺の頭を撫でた。
その日から、俺はお祖父ちゃんの後ろに使い魔を見ることはなくなった。
(そうだ。俺は、昔、こんな世界で暮らしていたんだ)
こんな風に他人には見えないものが見えていた。
これが普通だったんだ。
「大丈夫ですか?」
足元でおかっぱ頭の男の子が首をかしげている。
思わず「大丈夫だ」と返事をしそうになって、なんとか飲み込む。
悪いものでないにしろ、返事をするべきではない。
それを誰かに見られていないとも限らないのだから。
(ありえないだろうけど、妖の世界に誘拐でもされたら怖いからな……)
純粋そうな瞳に見つめられ、罪悪感で胸が痛んだが、自身の身の安全には変えられない。
今はあの頃のように不思議な力で守ってくれるお祖父ちゃんのもいないのだ。
「直哉?大丈夫か?」
寛の声にハッと我に返る。
男の子から無理やり視線を外して、寛と視線を合わせる。
感覚的な問題だろうが、やはり人間の目は温かみがあるような気がする。
いつの間にか浅くなっていた呼吸を一度深呼吸して整えると、一歩先に立っていた寛と並んだ。
「なんでもない。あっちに何か見えた気がしたけど、ただの鳩だったわ。さ、帰ろうぜ」
「おう。早く勉強終わらせてゲームやりたいしな!」
「絶対ゲームはやるんだな」
「息抜きは大事だろ?」
「まあな」
そんな会話をしながら並んで参道へと戻る。
鳥居を目指して踵を返そうとした俺の視界に、白いものが写り込んだ。
ほぼ反射的に視線を向けると、神社の境内へつながる木の階段に座り込む青年の姿があった。
白を基調とした軍服とも制服ともとれる形の服をまとい、片膝を立てて座っている。
その手には打刀くらいの刀が握られていた。
刀の柄まで真っ白だ。
髪もグレーというより白っぽい。
(白好きすぎるだろ……)
それが人間ではないことは明らかだったので、なるべく自然に視線を外し、悟られないようにする。
距離があったので目が合っていたかどうかはわからない。
どうか目が合っていませんように。
心の底からそう願った。
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