第八話 この気持ちは何? とても変だけど。


 あれは、同日の出来事だった。

 ……川合かわい未来みらいは見てはいけないものを見てしまった。



 休日でも、関係なく迷彩色。ズボンだけではなくTシャツも同様。


 サタデーナイトのプランは、仮組のプラモデルの分解。それぞれの部位に分類。予定通りに事が運ぶ。これより塗装を施す。「フフフ……」と、ほおが緩むのを感じながら、この時を楽しみにしていた。使うものは、エアーブラシとマスキングテープ。この間まで恭平きょうへいに貸していたものだ。使い方は俺より丁寧。発泡スチロールの箱まで用意してくれて、どこかへ売り出すのかさえ思えるような仕上がりだ。……恭平と出会う前、俺にはまだお袋がいた。低学年らしく「お母さん」と呼んでいた。さらに、その中でも定番の『一緒に夕ご飯のお買い物』をしていたら、ショーケースの向こう側に「どうしたらできるの?」と、店員さんに尋ねたくなるほど、リアルな仕上がりのプラモデルがそびえていた。


 まさに今、組んでいるものの旧キットの完成品だった。


 その旧キットこそが、お袋の最後のプレゼントになってしまった。

 人生で初のプラモデル。六月十九日の俺の誕生日を待たずに……。俺は泣いていたそうだ。親父と一緒に作ったのを今でも覚えている。エアーブラシを買ってきて、童心に戻った親父が使い方を教えてくれた……。



 馬鹿ばか野郎! 泣けてきたじゃないか。


 梅雨の季節、小雨がチラついているのがお似合いだ。

 それでも生憎あいにくの晴天。おまけに地球温暖化の影響か、まるで真夏日。いっそのこと、オゾン層と同じ成分のものを人工的に製造し、ロケットで打ち上げて、パテのように埋められないものだろうか。換気のため、ガラス戸を開けているのもいい加減億劫    おっくうだ。



 ……なのにチラつく。


 丸くて色白なミズッチの顔。土日に来たことは一度もないけど、……気がつけば、心のどこかで期待しているかのように、PS4のスタンバイを完了していた。



 しかし、それだけではない。


 決定的なのは今朝のことだ。腕時計の針は十一時十一分を示していた。

 スマホで連絡を受けて忘れものを届けに、家から徒歩二十分の町工場まで行き、親父を訪ねる。届けたものは、なぜかサッカーボール。それも通常より重い。サンドバッグのように硬くて……と、まあ、小さな工場の社長だけに日曜日も関係なく稼働している。少しでも、親父の体を心配しながらの帰り道。近道を選び、路地裏に入った。



 そこで見たものは、メルヘンチックな世界へいざなうホテルと、その風景。


 初めて見たわけではないけれど、通り過ぎようとすれば、赤い糸が絡むようにと……そんな表現ではなくて、もっと気まずい思いと鉢合わせした。看板にも負けないお伽話とぎばなしから飛び出したような門から、それと合わしたようなミュージカル風のスタイルで、典型的な草食男子と余所行よそいきの、白ワンピースを着飾った女子が出てきて、無上にも焦った。



 その女子は、ミズッチによく似ている。


 ……と、そう思いたかっただけ。

 その隣にいる男は、そういう関係の人? ま、決めつけは良くない。

 だとすれば『無上』は『無情』で……って、やべ、こっち向きやがった!



 てか、何で隠れなきゃいけないんだ? それも電信柱の陰に。


 確かに『ラブ』の付くホテルから出てきた所を、たとえそれが誤解……違う関係であっても、自分の生徒とバッタリ顔を合わしたとしたら、いくらミズッチでも、明日どのような顔をして教室に入ったらいいのかと、出席簿と教科書を抱えながら困ることだろう。



 それが証拠に、潤んだ瞳に赤くなっている頬……出会ってまだ一か月とはいえ、知らなかった表情と、そういう意味だと思わないが、きっと知られたくないプライベートを見ることになって……それを覆い隠すようにと、深く被り直したワンピースと同色のストローハット。ハイヒールに憧れたようなかかとが高めの赤い靴。さらに同じ赤でも、靴よりも精一杯に背伸びしたのがハッキリわかる艶々なショルダーバッグ。


 ……恐らく、本人も、

「どう見ても子供……」


 と、ぽつり。ひとり鏡台の前でつぶやいたことだろう。



 明日になったら学校で……会えるのだけど、プラモデルの塗装を施す傍ら、頭部の目に当たる部分、『モノアイ』と呼ばれる箇所に、赤のLEDを仕込んだ。親父にはかなわないが、恭平よりは電気について詳しいつもりだ。ほら、点灯検査も難なくクリアー。……ではなくて、その間さえも、ミズッチが俺の頭の中を征服してくる。



 明日までこたえられるだろうか?


 もし潜水艦なら、日没までに沈没するだろう。

 皮肉にもサンデーモーニング。メルヘンチックな路地裏。『ラブ』の付くホテルから出てきたのは、人違いでも、他人の空似でもなくて……紛れもなくミズッチだった。


 一緒にいたのは、兵庫県在中の某ミュージカルグループにいそうな男役……と、思えるような草食男子だった。ミズッチを基準にすれば、どんな相手も年上に見えるけど、二十五歳を基準にすれば、年相応か、少し若いくらい。「君」付け「ちゃん」付けで呼び合っているところを見れば、『兄妹』もしくは『姉弟』でないことは確か……。



 そこで改めて思う。ミズッチは二十五歳。


 俺よりも十以上大人。同伴する彼氏がいてもおかしくない。俺の知らない『パンドラの箱』を、もうすでに開けていたのだ。やっぱり俺は……。


 ミズッチから見たら、まだ坊やに過ぎないのだろうか?



 ……実は、あの時、メルヘンチックな路地裏で、間違いなくミズッチは、電柱の陰に隠れている俺に気付いていた。ミズッチの潤んだ瞳に、俺が映っていた。



 だから内緒ごと。言い訳。

 二人だけの秘密でもいい。


 今日この日、ミズッチが訪ねて来るのを、心のどこかで待っていた。



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