第九話 二人揃ったら、タイガー&ドラゴン。


 一人の部屋で、川合かわい未来みらいは待ち続ける。



 ……そして来た。午後の四時頃。


 いつもと異なるエンジン音だが、乾いた地面を響かせながら停止。階段を駆け上がる音から炸裂さくれつする玄関のチャイムの音。しかも連発……連チャン。もう慣れたが、アイボリー色の玄関のドアを開けるまで鳴りっぱなしだ。……とすれば、と思いつつも。


「は~い」

 と、あの水曜日と同じように、玄関のドアを開けた。



 チャイムはんだ。もちろんだ。


 それでもってこの頃は、目線は下だったのに、また上へ。それもショートボブで丸顔には似合わない緑のタイガーではなくて、ショートカットでジャイアント。今の時期には似合わない赤いマフラーと、背中に描かれてある紫のドラゴン……だった。


 ミズッチとは違う大人の女性……。二十五歳という年齢に当てはまる女子に、久しぶりに会えたような気がする。……そう。くどいようだけど、ミズッチとは違うのだ。



山田やまださん、今日はどうしたの?」


 ということで、態度も一変した。

 すると、いつもと違う感じで、重厚感は変わらず、


「坊ちゃんに少し、連絡事項があってな……」

 と、日曜日の夕刻を告げるような、低い声だった。



 山田さんは、俺のことを「坊ちゃん」って言う。「未来ちゃん」って呼ばれるよりかはマシだけど……零細企業ながらも、社長の息子。我ながら、きっと向かない。


 そう思いながらも、

「まあ、とにかく上がって。お茶でも入れるから」


「ああ、悪いな」


 背中の紫ドラゴンがいかつい面構えで語っている。山田さんの持つ貫録なら日本の教育事情を一昔前の、親父世代に活躍した先生の威厳を維持していたことだろう。


 しかしながら、ガラス戸からこぼれる黄昏たそがれ。それは意外な展開にへと……。



「粗茶だけど、どうぞ」


 客観的に見ると、想像できないような光景だろうと思うけど、

 俺は台所からお盆を持ちつつ、たぶん玄米茶が入っているだろう湯呑ゆのみを差し出す。それを、正座した山田さんが両手で受け取る。そのまま口をつける。飲む……飲み干す。しかもホットだ。……熱々で、顔色を変えず苦情もなく……黙々と飲み干した。


「うむ、今回も見事だ。この調子で日々精進するがよい」


「はっ、有難ありがたきお言葉。感謝申し上げまする」


 ……と、この様に、ある種の儀式みたいな感じで、山田さんの授業は、お茶に始まってお茶に終わる。茶道を習っているのか、習っていたのかと思えるほどで、それについてはミステリーのまま、何も訊けていない。



 ……多分、ずっと、謎のまま終わるだろう。と、そんなことを思いながら……うそ。頭の片隅にさえも思っていなかった。ただ、山田さんの表情を伺いながら、


「あの、僕に連絡事項っていうのは?」


 と、訊いてみる。自分でも、らしくない一人称。声まで上擦った。すると、微かに笑い声が漏れるほどに、山田さんの顔が綻び、


「ああ、そうだったな……」

 との一言。


 以前ミズッチが、俺の家で格ゲーに熱中しているうちに、自分が家庭訪問しに来ているのを忘れていたことがあったけれど、山田さんは違うよね。……つまり、山田さんは別に本題を忘れていたわけではないよね。……と、そう思いたかった。



「……今までありがとな。短い間だったが、お世話になりました」

 と、山田さんは頭を下げた。


 あまりにも唐突だったので、


「どうしたの急に? 会社で何かあったの?」

 と、問い詰める。まさかとは思うけど……。


「あっ、別に会社は辞めないよ。……家庭教師の話。坊ちゃんが学校へ行くようになったから『もういいだろう』って印籠が目に入って……じゃなくて、社長から話があって、それで社長が、まだ坊ちゃんにお話されてないということだから挨拶に、と思って……」


 兄貴的存在な山田さんが。

 茶道を極めた令嬢的存在な山田さんが……俺の知らない一面を見せた。ミズッチと同じような、まだ少女の一面が。――そうであっても、社長のボンボンとは我儘わがままなもので。



「なんで辞めるのさ。山田さんの家庭教師は、学校の先生なんかよりも群を抜いて面白いのに……」と、言いかけたところで、


「はいはい、黙って黙って。坊ちゃん、嘘は駄目だぞ」


「えっ?」


 ――嘘なんて言ったか?

 理解に苦しむ。そんな最中の出来事だ。


「坊ちゃんの学校に『瑞希みずき』って名前の先生がいるだろ?」


「ああ、俺のクラスの担任。……まあ、何かとドジなやつで、授業で『生命哲学』ってのをやって、自分でもわからなくなって泣いちゃうし。家庭訪問しに来たのに、格ゲーに熱中して肝心な連絡事項を忘れるし。そんなんで、ミスの連発だから『ミズッチ』って呼んでるんだけど、本人はそんなのお構いなしで、『えへっ』って喜んでるし……」


 本当にそうだった。


 どちらも同じ意味だと思うが、ニックネームというよりかは、あだ名というべきだけれど……あれ? 山田さんは、ミズッチのこと知っているのだろうか?


 そのような口ぶりだけど……と、思ったのも束の間。考える隙を与えず、


「それだけ文句を言えたら充分。坊ちゃんにとっては、よっぽど気になる先生なんだ。だから最近、あたしの授業は上の空……なんだ」


「そんなこと……」


「あるよ。ほ~ら、図星ね」


 と、いう具合に、山田さんお得意の誘導尋問に、ことごとくハマってしまった。



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