第六話 瑞希の正体は? ……何と、取説が存在するのだ。


 目的地は同じでも、景色が変わっている。

 ふとよぎる思い出が、電車通学の頃を懐かしく思わせた。


 ……でも今は、風を感じる。

 あの日のように、天使になれるような気がする。


 もう一度だけでも、あの日に感じた風を求めて、今日もまた走っている。


 バイクで通い始めてから、ちょうど二か月……。

 ここで、北川きたがわ瑞希みずきのことについて、触れておかなければならなくなった。



 見た目は中学生。贔屓目ひいきめに見たとしても、やっと高校生……まあ、これまで三回ほど補導されそうになった。しかしながら、私立大和    やまと中学・高等学園の卒業生。今はもう笑い話の『お酒で失敗した成人式』をも含む七年の歳月をて、この春、彼女は戻って来た。



「この学校の生徒だった女の子が、今は先生として通っている」


 と、言えたらかっこいいのだけど、実は……まだ卵。つまり教育実習生。一年間は教育係の先生の助手として授業を進めるものだと思っていたけど、まさかの……狼狽ろうばいしながらの「ちょっと待ってください」も通用しないまま、クラスを受け持つことになった。


 それも高等部希望のはずなのに、いきなり思春期真っ只中ただなかの中等部。それだけではなくて、高等部への進学、または各志望校の受験を控える三年生の担任だ。



 学校に着くと……静寂の中、針の音がリアルに時を刻む。


 ここは、校長室。わずかばかりの沈黙が続いていた……。

 呼び出されたのは抗議満載の初日以来だったけど、在学中は多分……多かった。トラブルメーカーとさえ言われたくらいだ。「またか」と、当時の先生たちは慣れっこ。激おこしていたのは教頭先生だけで、決まってぱたかれていた。


 実は……当時の教頭先生は、わたしのママ。つまり、わたしは教頭先生の『お嬢様』ということになる。だから周りの先生たちは、わたしに甘かった。


 でも、ママだけは違っていた。


 それがPTA会長のお嬢様でも、他の生徒と同じように怒る時は怒る。わたしも例外ではなくて、ここに来ると、思いっ切り引っ叩かれた。



 ……でも今は、目の前に校長先生。

 この室内で二人きり。しかも密室。


 このタイミングで聞こえていた針の音が消え、もしくは時が止まったような錯覚。どちらとも判断できない中で、校長先生のポーカーフェイスが変貌を遂げ、渋くなった。


「……先日、川合かわい君のお父さんから電話があった」


 さらに食い入るような目で、


「何かしたのか?」

 と、それは八割くらいの確率でクレームだと、そう思わせた。


 で、心当たりは、といえば、


「いいえ、何も」

 その一言しか見つからない。


「そうか」

 校長先生は、ふう……と、深い息をき、


「是非とも、そのエピソードを、不登校対策に取り上げたかったのだが……」

 と、「残念」と言わんばかりの顔を見せて、再びポーカーフェイスに戻るのかと思っていたら、今度は優しそうなおじさんの顔。……ぷっと、思わず笑いそうになった。



「まあ、いずれにしても、お父さんは瑞希君に感謝していたようだし、川合君も登校するようになったので、めでたしめでたしかな。……しかし、ここからが本題だ」


「と、言いますと?」


「この月の二十四日から、留学生が二名、入ることになった。それに伴って、数学の先生も一名、追加になるのだが……。つまり、留学生の二名のうち一名を、君のクラスで見てあげて欲しいんだ。二人とも中等部。三年生女子、二年生男子だ。もう一名は二年二組の出門でもん先生が担当になっている。何かあったら、彼に相談しなさい。……と、まあ、あまり悩まずに。君は国語の先生だし、きっと適任だと思うぞ」


 ……あっ、わたしはまだ先生じゃないよ。


 教育実習生。教習所では仮免許中。会社では、試用期間中とでもいうのかな? それなのに校長先生は、わたしに無理難題を与える。まったく、物事を簡単に考えすぎだよ。



 ……でも、それだけではなかったの。


「ところで瑞希君、演劇部はどんな感じだね?」


「……あっ、部員一名です。他に四名いたのですが、みんな卒業してしまったと、その子が言っていました。それで、今年はまだ、入部希望者が現れていません」


 校長先生は、またも、溜息ためいきを吐いた。


「このままでは、廃部決定だな。……それを阻止するのが君の仕事だろ」



 ……ぐすん。


 という心境の中で、わたしは校長室を出て、すでに廊下を歩いていた。

 物申すことは沢山たくさんあっても……もう多くは語らない。それでも、


『わたしはまだ教育実習生。それなのに扱いがブラックすぎる』と、その思いだけは、ぶちまけたつもりだ。


 確かに、劇団の座長を兄に持つけど、それ以前に、わたしは演劇の経験がない。部員に教えられるほど知識もない。それなのに校長先生は、わたしを演劇部の顧問にした。



 ……どうしよう。


 と、泣きそうになっていると、ポン。というよりも、少しきつめなバン! という感じで背中をたたかれた。季節外れの紅葉誕生! を思いながら振り向くと、


「よお、ミズッチ」


「み、未来みらい君……」


「って、おいおい泣くなよ。まるで俺がいじめてるみたいじゃないか」


「泣いてないっ」


「まだ気にしてるのか? 俺の家で、あの……可愛かわいいと思うぞ。雷が大の苦手な女の子って。まあ、これに懲りずに、また遊びに来いよ」


「う、うん……」


「何だ、その返事は? らしくないなあ。まだ他に悩みがあるのか?」


「あのね、未来君……」




 

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