第四話 思っていたよりも、いつもの光景。


 前回に引き続き、始業のベルより一時間も遅れて来た川合かわい未来みらいの場合。




 ……そもそも、下車して駅を出るのが遅かった。


 学校に着くと、どんな顔をして、何て言ったらいいのかと、あれやこれやと考えているうちに、いつの間にか、とんでもない牛歩になっていた。


 結局は、頭の整理もできないまま、学校の門を潜った。


 ……なるべく目立たないようにと、そっと裏門から入る。そこから近いのは、芸術棟という三階まである建物。もう少しけば、校舎に入ることができる。


 そして忍び足だ。


 視界に入るものは『三年二組』と表示のある白いプレート。「見てくれ」とアピールしているのか、壁から少し出っ張っている。その教室の窓から見えないようにと、機関銃を抱え匍匐ほふく前進とまでいかないが、なるべく低い姿勢を保ち前進し続ける。……そう。今は授業中だ。たとえ派手な私服でも、だれ一人として俺に気付く者はいないだろう。



 俺の学校には、制服が存在しない。

 ……と、言いたいところだけど、実は存在している。


 私服OK!

 と、俺が勝手に決めた。


 何か文句あるか?


 そう言えたらかっこいいけど、もうすぐ二か月になる不登校から、やっと解放され、学校に来たわけだから……まあ、大目に見てやって欲しい。


 忍び足に似合わないような『なんでやねん』の赤いTシャツ。迷彩のズボンが今の俺のスタイルだ。で、それに合わせたリュックを担いでいる。



 中等部三年の教室の場所は、思った通り。……でもな。

 俺が、三年……何組かまで教えてくれなかった。


 あの日、PS4で格ゲーやって、俺との対戦に夢中になって、しかも「慣れてないからお手柔らかにね」とまで言っていたのに、軍服キャラを操り、俺の仮面キャラのスピーディな動きを利用して、巧みに攻撃を仕掛けてくる。「おいおい、どこが慣れてないねん」と言える程に、彼女は必殺技でことごとく勝ちまくって、優越感に浸りきっていた。



 ……てなわけで、すっかり忘れちまっていたみたいだな。

 肝心な連絡事項。


 と、いうわけで、俺は『先生』なんて呼ぶ気はない。

 あいつなんか『ミズッチ』で沢山たくさんだ。



 すると、聞こえてくる。

 女性の声。……紛れもなくやつの声だ。


「……あらず。これで三十四回。それはね、丸でもなければ四角でもないの」


 ちょっと待て。

 こんなに可愛かわいい声だったか?



 あの日、正座して、俺の前で、


「……ごめんね」

 と言って、瞳を潤ませながら上目遣うわめづかいをした。


 丸い顔から下を見ると、デブという表現が似合わなくて、やっぱり『ぽっちゃり』というフォルムに見えてしまう。さらに小柄だから、余計に子供っぽく見えて、とても二十五歳には見えない。それでも黄色のシャツ越しだけど、はっきりわかる胸の膨らみ。もし膝枕をしてくれたなら、きっと柔らかくて気持ちよさそうなふともも。そしてほんのりと……その容姿には似合わない甘い香りがした。


 俺は一瞬、この人の何もまとわない姿を想像してしまった。


 たまらなくムズムズするものを感じて、この右手が、それに左手が、今この人が纏っているすべてのものを脱がして、その白い肌が想像したものと同じかどうか、試してみたくて、触れようとしていた。



 ……でも、必死で抑えた。寸止めだった。


 きっと、その潤んだ瞳からボロボロ涙がこぼれ、その丸い顔がれるのも想像できた。



 では、あの日と同じように、さっそく何かやらかしたのか?


 ちょっと、泣き声みたいに聞こえたから。


 そう思った俺は、少しばかりの勇気を出した。不登校の壁からまだその向こう側にあるステージを見るために、ガラッ! と、音もたてず、まるで幽霊のごとく……いや、ここはかっこよく影のように、後方のスライドドアを開けた。



 教室は、三年二組より一つ前だから、ここは『三年一組』だ。


 まずドアを通過。そして匍匐前進には五種類あるそうだ。あいつに見つからないようにと、俺はさらに低い姿勢をとる。何の躊躇ためらいもなく床に転がり前進だ。……って、


「お前、何やってるの?」



 早速だが、五秒もたないうちに見つかった。


 それも、入ったドアから最も近い席……。戦場なら即死だ。それでいて同じ室内で黒板の前。ここはな、あいつのいる場所から一番に遠い席だった。


 あいつ……ミズッチは、俺の存在に気付いてないようだが、


「それより何の授業だ? これは」


「いつもやるんだ。授業終了の十分前くらいに、瑞希先生が教科書にないことに挑戦するんだ。今回は哲学かな? 『生命哲学』っていうらしいんだ」


「へえ~」


 それ以上に、驚きでいっぱいだ。


 ……あっ、それから、匍匐前進の俺を見付けたこいつとは、一年の時からずっと同じクラスだ。まあ、俺とは正反対の真面目キャラ。今日も七三刈上しちさんかりあげに黒縁眼鏡をかけビシッと決めている。イメージ通りの学級委員だ。その名は出門でもん恭平きょうへいという。


 すると、何という早業か。


「未来君、せっかく来てくれたのにごめんね。今のお話だけど、うまくできなくて……また今度の授業までの宿題ということでいいかな?」

 と、ニッコリ。いつの間にか、俺のそばにはミズッチがいた。



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