第46話 花の雨

 生温かい風の吹く春の日だった。

 夕方から降り始めた雨は一向にむ気配はない。松田は窓にしたたる雨の向こうに電灯で照らされる桜を見た。桜は週末まで花を維持する事は難しそうだ。松田は最近知り合った女性を花見を口実にしてデートに誘っていたのだが、予定を変更せざるを得ないのは明白だった。

 違う場所に誘っても来てくれるのだろうかと松田の気持ちが重くなったところで、係長が「キリのいいところで終わるか」と声を掛けた。

 そう言う時は必ず係長は既に仕事を終えている。係長を待たすことのないように松田は保存ボタンを押して素早く後片付けを始めた。 

 

 職場を出た頃には九時を回っていた。松田は溜息を付きながら、徒歩圏内である自宅へと雨から逃げるように足早に帰る。時々、車が水飛沫みずしぶきを上げて通り過ぎて行った。

 ふと、松田は電灯に照らされた自分の影の横にもう一つ人影があるのに気付いた。

 それ程広い道ではないから、松田は隅に寄って道を譲った。しかし、影は彼に寄り添うように移動してくる。


 変な奴だろうか、この辺は治安は良いとはいえ最近物騒な事が多いし――。


 緊張が走る。影は傘も持ってはいなかった。思い切って勢いよく振り向くが、そこには誰もいない。周囲を見渡しても人型に映るような物は見当たらなかった。何も知らない車がまた一台、松田の脇を通り過ぎていく。

 再び歩き出すと、また影が雨に濡れる道に映っている。先程よりも頭の位置が近い。小走りに家に急ぐ。角を曲がってすぐのアパートだ。

 そう、ほんのあと十メートル程のところで、松田は電灯に取り付けられたカーブミラーに自身の姿を見てしまった。

 鏡の自分には、両手を首に巻き付けるようにして子供が負ぶさっている。近所にある小学校指定の黄色い帽子を被り、黒いランドセルを背負った男児だ。

 

「ひぃっ、なんだこれ、離れろっ」


 松田は傘を放り出して肩を振り回した。相変わらず影が消える事はない。錯乱した松田はもつれる足で道路に飛び出し、車に轢かれて死んでしまった。


 以降、事故現場近くでは夜もけると、スーツ姿の男が小学生の男児の手を引いて歩く姿が目撃されている。


(完)

 

 

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