第47話 おんじき
二週間前に四歳年下の高校生だった妹の真奈美が死んでしまった。彼氏のバイクに二人乗りして交通事故に遭ったのだ。彼氏は幸い生きていたが、重症を追って意識が未だに戻らない状態である。
両親と俺だけになった家はお通夜みたいな状態が続いて、みんな笑わなくなってしまった。だから最初は悲しみから頭がおかしくなったのかと思ったんだ、母が真奈美が家にいると言い出した時は。
「母さん……気持ちはわかるけど、そんな筈ないよ。いくら四十九日を過ぎてないからってさ……」
「いえ、絶対そうなの。あの子の祭壇に置いてあるお水が少なくなってるし、ご飯が……腐ってるのよ」
「そら腐るだろ、放って置いたら」
父さんが溜息をつきながら食事を終えて立ち上がった。
「パパと
ムキになった母さんを父さんは相手にせず、溜息をつきながらリビングに座りテレビでニュースを見始めた。母さんを無碍にするのも気が引けて、「母さんのご飯好きだったもんな、きっと食べ納めしに来てんだよ」と話を合わした。
すると母さんは涙ぐんで「じゃあ、あの子の好きな物作ってやらないとね」と呟いた。そして閉店間際のスーパーに真奈美が好きだったハンバーグの材料を買いに行った。
翌朝、母さんの様子が気になった俺は早めに起きて、一緒に仏間にある真奈美の祭壇へ出来立てのハンバーグ定食を運んだ。祭壇は床の間に設置してあり、遺影には俺が見た事もないような弾ける笑顔の真奈美が映っていた。
内心、ハンバーグなんて物お供えしていいのかとか思ったけれど、もう母さんの気が済めばなんでも良かった。
朝食や着替えなど朝の準備を終えると珍しく時間が余ったので、「真奈美の膳を下げて来るよ」と言って寒い廊下を再び渡って仏間へと向かった。
障子を開けて部屋に入った途端、背筋に悪寒が走った。それに嫌な臭いがする。腐臭だ。先程母さんと一緒に来た時はこんな状態じゃなかった。違和感のある物がないか探す。匂いの元を辿るとハンバーグ定食があった。
母さんの言う通りだった。この冬の寒い時期にこんな短時間で腐るのはおかしい。しかもヘドロのような汚れが付いている。
思わず祭壇の中央にある真奈美の遺影に目を向けた。相変わらず眩しい笑顔でこちらを見ている。
本当に真奈美なのだろうか。食べ物をこんな醜悪な物に変化させたのが?気味が悪かったが、盆を持ち上げて台所まで持って行った。
「母さん、ほんとに腐ってるんだけど」
「あら、真奈美喜んでくれたのね!」
母さんは俺の手から盆を受け取ると、その腐った食べ物を見て目を細めた。理解仕切れない。母さんの事は放って置いて学校へ向かった。
その日は昼食も夕食も今朝見た食事が頭に
翌朝も早く起きて母さんと一緒に祭壇へお供えした。既に俺は制服に着替えている。母さんには特に事情を説明せず、「暫くここにいるよ」と祭壇の前に正座した。母さんは訳知り顔で俺を見つめながら部屋を出て行った。
十分経っても何も起きない。既に正座は苦しくて足を崩している。そろそろ見ているだけにも飽きてきたので、部屋を出ようと障子に手をかけたところ、突然背後に気配がして悪寒が走る。微かに、ほんの僅かだが音がする。歯を噛み合わせる音――。
そして、腐臭が漂い始めた。このまま振り向けば真奈美がいるんだろうか。脳裏に笑顔の真奈美が浮かぶ。特別に仲が良かったわけではないが、それでも大切な妹だった。
会いたい。
そして、振り返ってしまった。そこには割れた頭から血を流す真奈美が、泣きながら白米の椀に頭を突っ込んで食べていた。右手は変な方向に折れ曲がっていて畳に垂れている。顔も服にもヘドロのような物が付いていた。
「真奈美っ」
恐ろしさは感じなかった。痛ましい姿にどうしようもない怒りと悲しみが押し寄せる。手を伸ばして真奈美を抱き締めた。抱き締めた筈だった。
俺は障子に手を突っ込んで穴を空けてしまった。訳が分からずに混乱して周囲を見回す。部屋を出ようと障子に手をかけたまま白昼夢でも見ていたのか。
しかし、腐臭は漂っている。食事も腐っている。祭壇の中央にいる真奈美の写真に目をやった。彼氏や友達といても、最期は実家が恋しかったのだろうか。母さんの料理を思い出したんだろうか。
「……美味かったか?毎日持って来てやるな……」
学校に行く時間ギリギリまでそこで泣いた。
それからも毎日真奈美のために好物をお供えしたが、日に日に腐敗度合は減少し、四十九日を迎える頃には特段の変化はなくなった。
そういえば、真奈美の彼氏も死んだと聞こえてきた。意識は戻らなかったが、最期は穏やかな顔をしていたらしい。真奈美と成仏出来た事を願う。
(了)
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