第14話 落とし物
図書委員の仕事を終え、西日が差す廊下を渡って一人で教室に戻ると、やはり誰も残っていなかった。
日直が消し忘れた黒板をチョークの痕が残らぬように綺麗に消し、窓の戸締まりを確認して教室を出る。廊下から窓の外に目をやれば、校舎の玄関口から校門へ、男の子達が嬌声を上げながら帰るのが見えた。
校舎の中には自分の足音以外、物音一つ聞こえない。この校舎に人がいないわけではない。一階の職員室にはまだ多くの職員が残っている筈だ。それでもどこか一人ぼっちな気がして不安になり、足早に廊下を歩いた。
ふと、階段の踊り場まで来たときに、遠く背後で上履きの底のゴムがキュッと鳴る音が聞こえた気がした。
反射的に振り返ると、もう一カ所ある階段へスカートの裾が消えていくのが一瞬目に入った。そして、その階段の近くに先程はなかった何かが落ちているのが見えた。
いま階段を上がっていった子が落としたのかもしれないと思い、呼び止めるために走った。
そこには、フェルトで作られた女の子の人形が結び付けられた鍵が落ちていた。薄汚れて年季の入ったそれを拾い上げて、私は階段を見た。
上と下、どちらに行ったのだろう。
「鍵、落ちましたよ-!」
叫んでみると、上の方からまた足音が聞こえる。暫く待っても降りてこない。
仕方なく鍵を持って上へ向かった。三階まで上がり、薄暗くなった長い廊下を見渡すも誰もいない。再び声を上げようとした所で、階段の上の方から扉を開ける音が聞こえた。
屋上だ。
本来、屋上は立ち入ってはいけない。そもそも、鍵がかかっている筈だ。
もしかして、このフェルトの人形が付いた鍵は屋上の鍵なのでは。でもそうすると、何故鍵がないのに屋上が開いたのだろう。
迷っているうちにどんどん暗くなるので、私は思い切って階段を上がることにした。
上まで行くと、屋上への扉は少し開いている。ドアノブを引いて屋上に出るも、顔に風が強く当たって思わず目を瞑ってしまった。
再び目を開けた時、暗がりの中、私の正面に女の子が立っていた。髪はボサボサで、頬がこけて眼窩がひどく窪み、血走った目はギョロリとしている。
私は悲鳴を上げて腰を抜かしそうになった。しかし、声が私の咽から上がることはなく、体も硬直して動かなかった。
うまく息が出来ず耳鳴りがする。
女の子はボロボロの歯を見せてにんまり微笑むと、私の手首を引いた。
自分の意志とは裏腹に、私の体は前へと進む。気が狂いそうな程に怖かったけれど、女の子から目を放すことが出来ない。どんどん歩みは進み、とうとう柵まで来てしまった。
嫌な予感がした。
女の子は私の手を離し、耳元に口を近付けて何か囁いた。すると、私の体は上履きを脱いできちんと揃え、柵をよじ登り始めたのだ。
助けて。誰か、誰か。
「何をしてる!」
その声が聞こえた瞬間、力が抜けて屋上へと落ちた。
「大丈夫か?!」
駆け寄って来た二人の男性のうち一人は担任で、もう一人は用務員さんだった。
私は安堵感から声を上げて泣いた。
「痛いのか?立てるか?保健室へ行こう」
二人に肩を貸してもらい、何とか一階にある保健室まで辿り着いた。
「きみで四人目だよ」
保健室で担任に手当てをしてもらっているとき、誰もいないグラウンドを見ていた用務員さんが呟くように言った。
「僕がこの学校で働き始めてから、あそこから飛び降りようとした人は」
「違うんです、私、体が勝手に動いて、そう、女の子を見たんです、女の子に手を引かれてーー」
思い出しただけで寒気がする。そういえば、手にしていた鍵がいつの間にかなくなっている。
「屋上へは鍵を届けに行ったんじゃないのかな?みんなそう言ってた。最初の子以外は」
「大橋さん、やめましょう、そういう話は」
ずっと押し黙っていた教師は、重い口を開いた。
「若杉、今日のことは忘れなさい。友達にも絶対言わないこと。そうすれば、お前の行きたかった大学への推薦状を出せるように、時期が来たら掛合ってやる」
私は目を見開いた。私には将来の夢のためにどうしても行きたい大学がある。しかし、二年生の現在だって、今の成績ではこの先頑張っても推薦状なんて貰える筈がなかった。
「約束出来るか」
私は用務員さんをちらっと見た。彼は尚も外に目をやっている。私は頷き、教師の車に乗せられて家に帰った。
その後、残りの約一年は屋上へ一切近付く事はせず、親にさえ言わなかった。
無事に推薦状で大学へと入学した私は、風の噂で母校で自殺者が出たと聞いた。
屋上から飛び降りたらしい。
(完)
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