第8話 ひとりあそび

 私には一人息子がいます。

 名前は涼介と言い、あとひと月で八歳になります。 


 私は主人と自営業を営んでおりまして、小さな頃から私の実家に預けたり、小学校に上がってからも、学校から帰った後や休日も、殆ど構ってやる事が出来ませんでした。


 必然と涼介は一人遊びを覚えていきました。

 

 私達の家は一階に店舗があり、二階と三階が住居スペースとなっており、仕事の合間に涼介の様子を確認するために二階への階段を上がっていくと、よく声が漏れ聞こえてきました。


「次はともくんの番だよ」


「ともくん、今度はスイッチしようよ」


「ともくん」


「ともくん」


 涼介はよく、架空の友達の『ともくん』と遊んでいました。

 涼介は人見知りで友達も少ないので、寂しくて作り上げてしまったのだろうかと私は心配しました。


 学校の先生に相談したところ、学校ではそのようなこともなく、みんなともうまくやっていますよ、との事でしたので、これも個性だとそっとしておくことにしました。


 その日も私は涼介の様子を見るために、仕事がひと段落したところで二階へ上がっていきました。すると、いつも通り楽しそうな声が聞こえてきます。


「いいよ」


 涼介が間を置いてそう言う声が聞こえてきました。

 

「涼介、宿題はちゃんと出来た?」


 扉を開けてそう尋ねた私に、涼介は笑って頷きました。

 その時、私はその笑顔に違和感を覚えたのです。

 いえ、息子に対してこんな事を言うのは母親失格かもしれませんが、その笑顔は粘着質で、気味が悪く思えたのです。

 

 私は嫌悪感を抑え込み、涼介から目を逸らすと、学習机の上に開かれた問題集に目をやりました。

 毎日一ページずつ解いていく数学の宿題ですが、今日はページの三分の一ほどまだ解かれていませんでした。


「涼介、今日の問題むずかしかったの?」 


 私が振り向くと、涼介は私の真後ろに立っていたので、驚いて机に腰をぶつけてしまいました。


「なに、びっくりするじゃない」


 腰をさすりながら言うと、涼介は瞬きもせずに私を見上げています。その瞳には私の姿が映っています。


「貸して」


「え?」


「これ」


 涼介はわたしの腰回りに手を回して抱き付き、頬をすり寄せました。

 途端に全身が粟立ち、私は反射的に涼介を突き飛ばしてしまったのです。


「ごめんなさい、涼介、大丈夫?」


 私は慌てて涼介を起こそうとしました。しかし、涼介の顔はみるみると歪み、憤怒の表情を見せると喚き出したのです。


「あーーー!」


 涼介は耳をつんざくほど叫び出し、私は見たこともない異常な息子の姿を見て、動揺して一瞬固まってしまいました。


「どうしたの、涼介」


 わたしが恐る恐る抱き締めようとすると、腕を噛み付かれました。

 悲鳴を上げたところで、階下から主人がやって来ました。  


「どうした?!」


「助けて、涼介が変なの!」


 主人は涼介を私から引き離そうとしました。

 しかし、歯は私の腕に食い込んで離れません。

 私は痛いのと、驚きと恐怖で混乱していましたが、冷静に頭の片隅で「この子は涼介じゃないな」と思い始めていました。


 現実逃避だったのでしょうか。

 いえ、そうは思いたくありません。

 きっと何かが涼介を連れて行ったのです。


 主人は涼介を引き離し、放り投げました。

 涼介は押入の襖にぶつかりましたが、すぐに立ち上がると、そのまま窓の方へ走りました。


 そして、窓枠に足を掛けながら粘つくような笑みを見せ、窓の外へ飛び降りたのです。


 私達夫婦は悲鳴を上げて、すぐに窓の外を見ました。

 涼介は頭から血を流して、地面に横たわっていました。

 すぐに救急車を呼び、奇跡的に一命は取り留めたものの、一週間目を覚ましません。


 心の底から涼介の無事に感謝して涙しましたが、同時に目覚めた時の事が不安でならないのです。


 どうか、元の涼介を帰して下さい。


 神様。


(完)

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