死の結界
「何をやっている! 俺は……そんな事は念じていないぞ、ファリナ!」
魔女になれ。
貴方が念じた際に刀は再び、元の姿へと変化する。
ファリナがライキに説明した「目明刀」という魔術の概要である。しかしファリナは「変化させられるのは貴方だけ」とは、一言も言っていなかった事を、ライキはこの瞬間まで気付かなかったのだ。
「貴女だけでも逃げろ、早く!」
「嫌、嫌……! 私の命はライキのものです、貴方からは離れない、離れるなんて出来ない!」
縋り付いてくるファリナを愛おしく感じながら――ライキは泣きたくなる思いだった。
せめて想い人だけでも護りたい。
それすらも叶わずに、ただ黙って炎に灼かれて息絶えるとは……。
ライキはファリナを炎から庇う何かが無いか、辺りを探っている瞬間――彼の頭に一つの策が過ぎった。
炎から身を護る何かを探すのではない、「創れば」良いのだ――!
「ファリナ、結界です!」
「……け、結界?」
かつてファリナが言っていた「私がまともに使える魔術は自身を刀に変える事、そして『結界』を創り出す事」。
ライキは何故今まで失念していたのだと自らを殴ってやりたくなる思いだった。
ニールマンゼの家を襲撃する際に使用した結界を、再びこの場で創る事が出来るなら――ライキはファリナの肩を掴んだ。
「そうです、結界です。ニールマンゼの家に張った規模で大丈夫、それがあれば次の策を考える時間も生まれます、出来ますか?」
ファリナはすぐに頷き、それからライキの手に一度頬摺りをした。彼女なりの「調心」なのだろうかとライキは考えた。
「やってみます。ライキ、私の後ろに」
煤で汚れた原装はジンワリと輝き始め、紋様は鼓動するように明滅を繰り返している。
続いてファリナの足元から小さな光の円が現れると、ライキを囲み、やがては面積を広げて一〇人は優に入れる程になると、ジジッと焼けるような音を立て――果たして魔女の結界は張られた。
「やっぱりだ、全く熱くも無い。炎も煙も、全て押し出してしまうんですね」
へへっ、とファリナは笑った。
血生臭い市街には不似合いなぐらいに、眩しく愛らしい笑顔だった。純粋にライキの褒め言葉を噛み締めているらしい。
しかし――ライキは喜んでばかりはいられなかった。結界を張ったは良いが次の策がまだ思い付かない、何か良案はないかと頭を捻っている最中に、ライキはパッと視界が明るくなるような感覚を覚えた。
そうだ、無理に逃げなくともいいんだ――。
「さすがに死んだかっ、煙が晴れていくぞ!」
兵士達は「遂にやった」と口々に勝ち鬨を上げているのを耳にしつつ、ライキはファリナに生まれ出た良案を耳打ちした。
「……なるほど、ではもう少し結界を強く張りますね」
ライキ達を苦しめていた黒煙が段々と薄くなり、果たして兵士達は敵が「一人増えている」事に気付き、またそれが美しき少女だった為に目を見張った。
「何だあの女は? 何故あの男と共にいる?」
最初は戸惑っていた兵士達だったが、黒煙によって迷い込んだのだろうと互いに納得させ、ライキは殺害し、ファリナは捕虜にしようと決定した。
槍を構え、ジワジワと間合いを詰めて行くルーゴの兵は、皆表情が下品ににやついていた。対するライキとファリナは実に「弱々しげな」相貌で、槍の穂先が近付くにつれ引きつったような笑みすら浮かべた。
「見ろ、アイツらおかしくなって笑ってやがるぜ」
無抵抗のライキ達に気を許したのか、兵士は一人、また一人と槍をゆっくりと下ろし、最終的には殆ど敵対の意思が認められない程だった。
この「愚行」にはライキも思わず面を喰らったが、念を入れてファリナに「後一押しです」と囁いた。ファリナは不敵な笑みを浮かべてから、「私だけでもお助けを!」と敵の方へと走り寄った。
手を伸ばせば触れられる距離にまで接近したファリナだったが、跪く彼女のすぐ前には、恐ろしき結界が今か今かと歯を剥き、愚かな兵士達の命を狙っている。
「お嬢さん、俺達ァ何者か分かるかい」
「ええ、貴方達は恐ろしく強いルーゴの方……この身体でよろしければいつ何時何度でも捧げます、どうか命だけはお許しを……!」
屈強なるルーゴの男はしかし、誉れ高き兵士である前に一匹の「雄」であった。眼前にしな垂れる美しき捕虜の口から「身体を捧げる」と聞かされれば、ただでさえ禁欲的な生活を強いられている彼らの我慢は限界を越え――槍を捨ててファリナに飛び掛かった。
「どうぞ、おいでなさい――」
ファリナが微笑む。そして同時に街角で響く兵士達の悲鳴。
バチ、バチと爆ぜるような音が立てば、彼らの「処理」が完了した事を示唆する。勢いよく飛び掛かった四人の兵士は腕が吹き飛ばされ、顔が灼かれ、足が消失していた。
恐怖すべきは魔女の蠱惑、嘆くべきは男の欲情――ライキは息絶えていくルーゴの兵に、憐憫の情すら起きた。
「この女! もしかして――」
すぐに腰に提げた剣を抜いた残りの兵士は、黙って微笑むファリナを目掛けて剣を振り下ろしたが――結果は同じく、見えない防壁に弾かれた刀身が飛散し、それ自体が強力な兵器となって兵士達に襲い掛かる。
「がぁあっ……あぁぁ!」
間近で大量の飛散物を受けた為に殆どの兵は失明し、痛みによって顔を押さえると更に刺さった破片が皮膚に押し込まれ、阿鼻叫喚の図がファリナの眼前に現れた。
「……お前は魔女だ、流血を喜ぶ悪しき魔女だ――」
ファリナはゆっくりと立ち上がると、悶え苦しむ彼らに問い掛けた。寝床で男に甘えるような、実に妖艶な声色だった。
「その通り、私は魔女、サフォニアに暮らす大罪を背負った魔女……ただそれだけです。では――さようなら」
何も無い空間を撫でるような所作をしたファリナだったが、辺りでよろめく兵士達は再びバチッと音を立てて吹き飛ばされた。そして二度と彼らが立ち上がる事は無かった。
「ライキ……お願いがあります」
礼を言おうとしたライキよりも早く、ファリナは身体を震わせながら言った。
「何ですか――」
「震えが止まりません……まるで私の身体ではないような……お願いです、抱き締めてもらえますか」
言われるがままにライキはファリナの身体を抱いた。ガタガタと震え続ける彼女の肩が、腕が、腰が、足が――全てが脆弱に思え、今にもポキリと折れてしまいそうだった。
「教えて……私のやった事は正しい事なのですか……?」
自身の行いに迷いが生じている――ライキはファリナの頭を撫で、かつて同じように悩んでいた自分を思い出す。
「レガルディアの言葉を借りれば、貴女はどんな手を使ってでも俺を、他の人達を護ろうとしている。だから……今こそがきっと――」
濡れた瞳で見つめてくるファリナの顔は、ライキがトラデオ村の湖畔で出会った頃よりもやつれ、しかしながら生気に溢れた美しいものだった。
「貴女は『母』に相応しい存在なのでしょう」
長い沈黙が訪れる。近くで建物が焼け落ちる音が聞こえた。燃え盛る街の中で、ライキとファリナは確かにまだ生きていた。
「行きましょう、ファリナ。まだまだ俺達は贖罪が足りない、さぁ……皆が待っている」
グラネラの街は赤々と燃えている。地平線の果てでは、紺色の空が現れた――世界に夜明けが迫っている事を、そして――ファリナの目には暗い疲労が滲み出ている事を、ライキはまだ知らなかった。
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