抗戦は未だ続き

 サフォニアの国には、


 市街からやや離れた位置に駐留するルーゴの兵達は、気付け薬の代わりに酒を飲みながら口々に噂をしていた。


 馬鹿らしい、と若い兵は噂を一笑に付したが、中年の、更には年老いた将校は「まさか」と首を捻った。恐れも迷信も知らない若き勇者達に冷や水を掛けたのは、サフォニアへ侵略を開始してから最初の夜を迎えた頃だった。


「衛生隊を呼べ、衛生隊を呼んでくれ!」


 血相を変えた男達が負傷兵を即席の担架に乗せて戻って来た。


 彼らはという小さな宿場町に侵攻した精鋭だったが、まるで女のように悲痛な叫び声を上げていた。


 騒ぎを聞き付けた何人かは担架の方まで走り寄り、それから「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。負傷兵は全身を黒い、虫のようなものに纏わり付かれており、身体の至る箇所には小さな穴が空いている。


「これはさすがに無理だ、明らかに死んでいる……一体どうしてこんな事になっているんだ!」


 衛生隊は搬送して来た兵達に事情を聞くも、皆が「魔女にやられた」と口を揃えて証言する為に、衛生隊は「嘘を吐くな」と怒鳴るだけである。


「見せてみろ」


 担架に群がっていた兵達は一斉に広がり、ゆっくりと歩み寄って来る老爺の道を開けた。サフォニアへの侵略を唯一反対していた彼の胸には、夥しい量の勲章が付けられている。名をガルディといい、慎重で迷信深い性格であった。


「……アトネの町で『魔女』にやられた、と?」


「い、いえ……その……」


 若き兵は目を泳がせたが、ガルディから放たれる威圧感に負けて「自分はそう思います」と呟いた。


「だからそんな事は信じられないと――」


 衛生隊はなおも食い下がろうとして口を閉じた。ガルディが手振りで若き兵に「続けろ」と促したからだった。


 彼の説明は長きに渡り、また夢物語のそれと錯覚するような内容であったが、ガルディは決して遮らず、ただ時折何かを納得するように頷くだけだった。アトネで起きた驚異の出来事を聞き終えると、ガルディは溜息を吐いて独り言のように言った。


んだな、やはりこの国には」


「いる……とは?」


 傍の兵が問い掛ける。ガルディは担架を指差す。彼は沈痛な面持ちであった。


「魔女だよ。知っているだろう、サフォニアには魔女がいると」


「し、しかし! あれはただのお伽話でしか――」


「それだよ。魔女がお伽話にしか生きていないのであれば、もしくはサフォニア制圧は二日と経たずに終わるであろうよ。我がルーゴの軍は無比無敵、それは分かっている。だが――」


 兵士達はすっかりと酒が抜けているようだった。ガルディの話し方はあまりに「現実味」を帯びていたからである。


「もし、魔女がお伽話ではなく、この世界に生きているのであれば? 人智を超え、千万の術を操る存在を敵に回したとしたら? この老いぼれには、ただそれだけが恐ろしい。何故に深くサフォニアを調べなかったのか……上の考える事はいつも勇猛で、蒙昧だ」


 ガルディは周りの兵を見渡し、それから老体とは思えぬ程の声量で「気を付け」と怒鳴った。途端に兵士達はザザッと地面を踏み付け、背筋を定規で引いたように伸ばした。


「覚悟せよ、勇者達。貴様らは幾千の戦士よりも遙かに恐ろしい者を敵に回した、最早この戦は国土拡大の侵略などと生温いものではない。貴様らは闘わねばならぬ、伝説と、魔女と――そして我が子を傷付けられ、と! このガルディは臆面も無く言おう、出来る事なら逃げ出したいと。しかしそれは出来ぬ! ルーゴの軍は我が魂、未だ魂を捨てる程、厭世家にはなれないのだ。覚悟せよ、勇者達。我々は『母』を敵にした――」


 屈強なるルーゴの兵が片腕を天に向け、雄叫びを上げる。だが……声色には微量の怯えが見え隠れした。


 これより自分達は、他人の家を踏みにじろうとしている、慣れたはず、慣れたはずの事なのに――。


 皆がグラネラの方角を見やり、先発隊の安否を不安がった。


 同胞にすら慈悲を持たぬと名高いルーゴの兵が、初めて仲間の「無事の帰投」を祈った瞬間であった。


 勿論、彼らは知る由も無い。


 サフォニアには魔女だけではなく、その魔女すらも殺める力を持つ男がいるという事を――。




「ありがとうございます、ありがとうございます!」


 子を抱いた男が何度も頭を下げ、人目を憚る事無く涙を流している。彼の前には身体を断ち切られて絶命している兵士の死体、そして死体を鋭い目で見つめるライキの姿があった。


「礼はいりません、それよりも貴方は孤児院の方へ走ってください。そこでは俺の仲間が待っている、その者の指示に従えば安全です」


 ライキは孤児院の方角を指差し、男は途中振り返りながらも通りを走って行った。


 一体何人を孤児院に送っただろうか?


 ライキはあえて数える事をしなかった。


 もし救出した市民を数えていれば、「まだこれだけか」と落胆してしまうからだった。再びライキは生き残った市民を捜し始めるが、微かな疲労を身体に覚えていた。


 ファリナの魔術によって身体能力は飛躍的に向上しているものの、体力までは無尽蔵では無い。トラデオ村で肉体労働を日々こなしていた彼ではあったが、それでも身に付く体力は限界がある。


 ライキは一度立ち止まり、息を整えてから駆け出した。


「見付けた、アイツだ――」


 右方から男達の声が聞こえ、ライキは即座に視線を向ける。彼を捜していたルーゴの兵士達だった。


「気を付けろ、並の男じゃない! を使え――」


 アレとは一体――ライキが刀を構えながらその正体を探り始めた瞬間である。三人の兵士が黒い球体をライキの方へ投げ付ける、そして球体は地面に落ちると同時に爆発した。


 息も出来なくなる程の黒煙が上がると、一気にライキの視界を奪い去ってしまった。ライキは咳き込みながらも煙の少ない方へ逃げようとするが、身体に纏い付いて離れない煙がライキの視界をなおも遮断する。


 これは不味い――。


「投げろ、投げろ!」


 兵士達の声にビクリと肩を震わせたライキは、刀を前に構えて襲い来るであろう投擲物に備えた。


 下手に逃げ回るとかえって危険だ――ライキは咄嗟に判断した。視覚以外の感覚を冴え渡らせ、投擲物は如何なるものかを予想していた彼だったが、ボンという軽い音を耳にしてから、すぐに足元が異常に熱い事を察した。


「クソッ、火を使いやがった」


 グラネラの街を燃やす為に使用されていた携行可能な発火球は、ルーゴ国の偉大な発明であった。この球は多くの国にルーゴの国旗をはためかせる事に貢献しており、ルーゴの兵は「小さな働き者」と重宝していた。


 本来は建造物を破壊、炎上させる為に使用される発火球は、今やたった一人の男を殺さんが為に用いられている。ライキは自身が敵にとって一個人を超えた戦力である事を、足元で燃える炎によって知らされた。


「持っている分は全部投げちまえ、必ず仕留めろ!」


 先の見通せぬ煙幕の中を、ライキは必死に逃げ惑っていた。兵士達は黒煙を街の一角丸ごと覆う程に発生させており、最早過剰とも言える攻撃であった。一人の敵に対しての投擲量は、長い彼らの歴史で最多だった。


 ライキは染みる目を瞑りながら思った。


 せめて、ファリナだけでも逃がさなくては!


 確か後ろには大きな建物があったはず、その屋根まで刀を投げる事が出来れば――ライキは刀を強く握り締め、恐らくは建物があるであろう場所を向いた。その間にも引っ切り無しに発火球が煙の中に投げ込まれ、熱さによって立っている事すらが苦しい程だった。


「貴女だけでも……逃げてくれ――」


 全力で刀を投げようとした矢先、途端に刀が白い光に包まれた。立ち込める黒煙の中でもハッキリと視認出来る光量は、ルーゴの兵士達にも認知出来た。


「何だあの光は? 何が起こっている!」


 光は大きくなり、ライキの手から自然と離れ――やがて人の姿を形作っていく。


 逃がすはずの「ファリナ」の形を……。

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