崇められる女

「こちらです、早く走って!」

 助けて、助けてと泣き叫ぶ市民がアレアの元へ走り寄って来る。着の身着のままで逃げ出したらしい女性の足は、泥と血で痛々しく、それでいて赤黒く汚れていた。


「貴女が孤児院の……ここに来れば、助かると聞いて! どうかお助けを!」


 錯乱する女性はアレアの足元でひれ伏し、何度も頭を地面に擦り付けた。アレアはすぐに彼女の額に手を触れ、孤児院の奥に走るよう指示を出す。続いて他の市民達も次々に現れ、アレアは興奮する彼らの対応に当たった。


「終わりだ、街が終わった! どうせ俺達は死ぬんだ、孤児院の奥もやられるんだ!」


 煤で汚れた男が頭を抱えて叫んだ。


 アレアは男の元へ歩み寄ってから落ち着くようなだめるが、男はアレアの手を振り払ってしまう。


 放って置くと危険だ――アレアは眉をひそめた。


 一人でも「終わりだ、終わりだ」と嘆き続ける者がいれば、如何に平静を保っていられた者も感化され、連鎖的に取り乱し始めてしまう……アレアは一三〇年程前に出くわした村同士の争いでその現象を目の当たりにしていた。


 仕方ない、荒療治だけれど――。


 アレアは男の頭に手をかざすと、フゥと大きく息を吐いた。恐怖で叫び続けていた男はピタリと静かになり、「何をやっていたんだ俺は」と辺りを見渡した。


「貴女……一体何をしたのですか?」


 近くの老婆が恐る恐るアレアに問い掛ける。他の市民も彼女の独特な姿を訝しんでいるようだった。


「その方は魔女だ、俺達を助けに来てくれたんだ!」


 アレアを含む一同が声のする方を見やった。先刻にアレアを魔女と見抜いた男が洞穴から抜け出て来たのである。


「この先に洞穴がある、そこにいる連中は皆がそこの魔女に助けてもらったんだ!」


「な、何を――」


「魔女さんよ、もう隠す事は無い、いや、隠す事を止めて欲しいんだ。俺達は不安で不安で仕方ねぇ、いつ死ぬかも分からねぇ。……だから、こんな状況なら何かに頼るしか平静を保てないのさ」


 困惑するアレアであったが、逃げて来た市民は「本当にいたのか」「ありがたい、ありがたい……」と拝むように彼女を見つめた。侵略をされるという非日常に放り込まれた市民は、最早眼前の少女が魔女である事など「当たり前」のように錯覚してしまった。


「さぁ、皆で洞穴に行け! 俺が誘導するからはぐれずに来いよ、安心しな――この国は魔女の加護があるんだ、死んじゃならねぇ、必ず生きて何度でも立ち上がるしかねぇのさ!」


 男の言葉に市民達は「おお!」と希望に満ちた声で呼応し、女性は小さな子供と手を繋ぎ、足の悪い老人は男達が背負った。彼らは洞穴を目指し、力強い足取りで向かって行った。




 あぁ、王族も逃げ出してしまったこの国は、それでも生きようとする人間で溢れている――。




 アレアは思わず涙を流した。紅蓮に染まる夜空は破壊に満ち、しかし決して絶望ではない。理由はどうであれ、遙か昔この地に国を造った事を、アレアは心から「良かった」と感じたのである。


 最早陥落も近いであろうグラネラの街の何処かで、まだ諦めきれずに闘う男と魔女が、どうか無事でいてくれるように――アレアは短い祈りを捧げ、遠くから走って来る市民達を迎えようとした矢先、その後ろに不穏なる空気を纏った影を認めた。


 逃げて来た市民を追って来た、ルーゴの兵士達だった。


「来ないで! 誰か助けてぇ!」


 市民がアレアの姿を見付けたらしく、「何処に行けば!」と泣きながら叫んだ。


「後ろへ! 奥まで逃げてください!」


 敵の数はは三〇を越えている。アレアは大きく息を吸い、そして細く、長く吐き出した。


 やるしかない――。


「見付けた、見付けたぞ! 数で押せ、全員構え!」


 槍が、剣がアレアに向けられる。兵士達は胸に奇妙な飾りを付けているのを認めたアレアは、すぐにそれが「魔除け」のものと察した。長きに渡る生の中で、アレアはルーゴの国に伝わる魔除けの飾りを何度か見た事があった。




 迷信など踏み散らすはずのルーゴ人が、今では魔除けを身に付けている――。




 相応に彼らが魔女の存在を認め、恐れ、そして打ち負かそうと躍起になっているのと同義であった。


「敵は魔女! 魔術に勝る我等の覇気を、ここで今証明せよ!」


 辺りに男達の野太い雄叫びが轟く。百戦錬磨の兵隊と、慈悲を捨てた護国の魔女が激突した――。




 宿場町アトネから程近い山林に建つ小さな家の前で、身体の大きな男と老婆が舌戦を繰り広げていた。


「だから乗れって言っているだろうが! このままだとここもその内見付かるんだぞ、死んでもいいってのかよ!」


「はっ! 今更殺されたって私は構わないんだ、もう飽き飽きする程に生きたからね! 大体、ここは絶対に捨てないってさっきも言っただろう? この土地は私が若い頃から爺さんと二人で開墾して、それからやっとこさ――」


「もう分かったよその話は、爺さんと苦労を共にして生きて来て、つい二年前に爺さんが死んだ、そして爺さんの墓を護る為にここから動きたくないんだろう!」


「分かっているんだったらとっとと何処かへ行っておくれ、私はルーゴの兵隊さんに頼むよ、爺さんの墓の前で殺しておくれ――ってね」


 シッシッと動物を追い払うような手付きの老婆に、男は「分からねぇ婆だ」と苛立った。


 アトネの町を出てから数時間が経ち、男はアトネの方から「侵略」の音が一切聞こえなくなったのを不気味に思った。近隣に暮らす人々をアトネまで連れて行ったのはいいが、もし町が再びルーゴに攻め入られでもしたら……今度こそ俺は死神と同列だ、と男は内心嘆いていた。


「なぁ、他の地域の人間はアトネに逃げたんだ、後はあんた一人だけさ。大人しく荷台に乗ってくれないか、なぁに、町まではすぐに――」


「しつこい男だねお前さんも! 一体何が目的でこんな見ず知らずの年寄りを、それもお役人さんでもないのに助けに来たんだい!」


 男はしばらく押し黙る。老婆が眉をひそめる頃に男は「頼まれたんだ」と答えた。


「頼まれたって? 誰にだい、それこそお役人さんかい」


「いや、だよ。出来る限りの人を助けて回れ――って、疲れない魔法だって掛けてくれたんだ」


 老婆は信じられないと言いたげに、顔を背けて鼻を鳴らした。


「私だって伝説くらいは知っているさ、でもね、ホイホイと信じられる程に私は純粋じゃあなくなったんだよ。信用して欲しければここに連れて来な、魔女とやらを――」


 あっ、と老婆は息を呑んだ。眼前の男は巨体を地面に投げ、土下座をし始めたからだった。


「俺だってまだ全部を信じちゃいねぇ! でも……あの連中は確かに魔女だ、確かに俺は色々と見たんだ。人力車を引く事しか知らない俺には、何と説明すればいいか全く分からん、でもこれだけは言える、、そして今も何処かで闘っている! 自分達を眉唾だと思い込んでいる人間を、どうにかして護ろうと頑張っているんだ! 頼む、これは俺の願いじゃなく、魔女の願いだと思って聞け――荷台に乗って、アトネの町まで逃げてくれ!」


 自分よりも若く、身体は一回りも二回りも大きい男が額を地に着け、懇願している。一切の信用が出来ない男の話はしかし、あまりにも「真剣さ」に満ちていた。老婆は男と――小さな墓を見やり、目を瞑り歯を食い縛った。


「……じゃ、じゃあルーゴの奴らがいなくなって、もしこの家が壊れていたら、俺も直すのを手伝うよ、それで――」


「ちょっと、待っていておくれ」


 老婆は男の出した条件を皆まで聞かず、家の中へ入って行った。それから彼女は一冊の本と小袋を持って出て来ると、袋に墓の前の土を少量掬って入れた。


「どうせ戻って来るんだ、これだけでいいよ。あくまで私はお前さんじゃない、魔女の言う通りにするんだ――ほら、さっさと行っておくれ!」


 果たして老婆は荷台に腰を掛け、胸に本と袋を大事そうに抱いた。男は呆気にとられたように彼女を見つめていたが、やがて「よし!」と頬を叩いて荷台を引き始めた。


「ちゃんと掴まっていろよ、あっという間に着くからな!」


「うるさい男だね、本当に……。そういえば、お前さんは疲れないんだろ? 途中で休んでみな、すぐに降りてやるから」


「嘗めんなよ、降りたくたって降りられないぞ、覚悟しろ!」


 二人がアトネの町へ出発してから数時間後、五〇〇人近いルーゴの兵士が老婆の家の前を進軍した。甲冑をぶつけて歩く兵士達は、小さな家とその横の墓に目をやり、気まずそうに視線を外して歩き続けた。


 目標は都市グラネラ、そこを落とせばサフォニア侵略は容易い。


 将校達は彼らに口を揃えて発破を掛け、兵士の士気は非常に高いものだったが――今、彼らの士気は進軍当初と比べてかなり低くなっていた。国境近くに配置されていたサフォニアの軍隊、これは実に脆弱で手応えの無い連中であった、問題は――。


「……なぁ、この本隊が半分になったのって、アトネの魔女が関係しているのか?」


 髭を蓄えているものの、まだ若い兵士が隣を歩く友人に問い掛けた。


「らしいぞ、アトネは俺達の国と一番近いだろう? 補給地にしようと上は躍起になって、本隊を削ってそっちに送った――との事だ」


 ふぅん、と最初の兵士は髭を撫でつつ、月を隠す雲を眺めた。黄色く滲む夜の雲は、ルーゴで見られるものと同じであった。


「まぁ頑張るしかないじゃないか、俺達は負け無しのルーゴ軍、魔女だって何だって勝てっこ無いさ」


 二人はそれから会話を止め、黙々と行進を続けた。目指すはグラネラの制圧、きっとそれはあっという間に達成出来る、そしてルーゴの国はまた少し、国土を広げるのだろう。若き兵士は「ホゥ」と溜息を吐く。




 無事に帰れればいいのだが――。




 同時刻、本隊よりも一足早くグラネラに向かった先発隊は、怒りに燃える魔女アレアと対峙していた……。

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