煉獄へ向かう者達

 寝室は元々が備品庫として使われていた為、部屋の作りが殺風景で申し訳ない――ラウードは深々と頭を下げて部屋を後にした。ライキとファリナはどちらからともなく大きく溜息を吐いて、寝床に腰を下ろした。


 寝室は一部屋のみであったが、自身の嘘が招いた結果であろうとライキは思った。


「疲れましたね、今日」


 コクリと頷くファリナ。蝋燭の灯りのせいか、それとも疲れからか、何処となく彼女の顔が赤いのをライキは認めた。


「……聞かないのですか、私に」


 ライキはファリナの方を見やる。彼女は正座をしていた。


「聞くとは?」


「私の……をです」


「聞いて欲しいのですか」ライキは笑いながら横たわると、怯えるように見つめてくるファリナに「貴女も寝た方が良い」と促した。しばらく彼女は正座を崩さなかったが、果たしてススと衣擦れの音を立てながら、ライキと同じように横たわった。


「詳しく聞いたところで貴女の罪が、更に言えば俺の行いが軽くなる訳じゃない。過ぎた事と諦めるのも手ですよ」


「本来なら……」


 上半身だけを起こし、ファリナは囁くように言った。


「あの森で殺されても文句は言えません、この場で滅茶苦茶に……辱められても何も言えません。それ程の事を私はして来た、自覚はあるつもりです」


「ならばそれで良いじゃありませんか、それとも――どうにかして欲しいのですか」


 ハッとした表情で顔を背けたファリナはしかし、モジモジと身体を動かしながらも再び横たわる。


「母親に憧れている……でしたよね」


 ファリナは沈黙した。その反応をライキは肯定と判断した。


「どうして母親になりたいんですか」


 酷な質問だとライキは自身を責めたが、これだけはファリナの口から聞いて置きたいとも思っていた。レガルディアやオガルゥに問い詰められて激昂した真意を、突き止めたかったのである。ファリナは低い声で言った。


「……笑ってください。私、魔女でありながら……普通の暮らしをしてみたかったんです」


「普通の暮らし?」


「はい……。昔、各地を旅していた時に、一件の家に泊まった事があったんです。若い父親と母親、そして子供が暮らす、ごく普通のありふれた光景。本当にそれだけだったのですが、私は彼らを見て『幸せそうだな』って思ったんです」


 ファリナは続けた。


「最初はそれなりの『母』になりたいという理由があったんです、魔女の手から離れて人間が独立するのを促すのが正しいって……でも、そんな理由は後から強がりだって分かったんです。私は高尚な理由など、最初から持っていなかった、ただ……」


 蝋燭の火が揺れ、そして彼女の顔も橙色と黒色にチラチラと揺れた。


「愛する人に愛して欲しかった。やがて生まれ来る子に二人で愛を注ぎたかった……根底はこれだけなんです。愛が欲しいが為に無実の人から命を奪う、あぁ、自分で言っていて情けなくなります」


 ファリナは笑っていた。笑顔を見てライキは悟る、「追い詰められている時に見せる顔だ」と判断出来る程に、彼はファリナを見つめてきた。ごく短い時間ではあるものの、しかし自身に満ちていた。


じゃ駄目、ですか」


 途端にライキの心臓が高鳴る。何故このような発言をしてしまったのか、どうしてここで想いを伝えてしまったのか――自分の事ながら予想も検討も出来ていない。


「……そ、それはどういう……」


 ファリナの瞬きが多くなった。ライキは緊張を気付かれないよう目を逸らし、天井を見つめた。明らかに胸が苦しく、また呼吸が速くなっているのが彼は気恥ずかしかった。


「俺、ファリナと――」


 刹那、二人は窓の外を見やった。市民達が寝静まった時刻である事は承知していた二人だが、明らかに場違いな音が遠くから聞こえたのである。その音は何かを「爆発」させたらしかった。


「今の音――ファリナ、あれを!」


 ライキの額に汗が流れる。中心街の方から赤黒い煙が上がっているのを認めたからだった。すぐにライキは上着を着込もうとした時、扉が勢いよく開いてアレアが中に飛び込んで来た。


「二人共、今の音を聞いた?」


 同時に頷くライキとファリナ。アレアは「不味い」と狼狽した表情で廊下に出ると、ラウードの名前を三度、四度と呼んだ。




 眠りに就いたグラネラの街が、ルーゴ兵に夜襲を受けている――。




 なるほど、これは効果的だとライキはルーゴを賞賛した。サフォニアで一番堅固な護りを誇るであろうグラネラを攻略するには、闇に乗じて火を放ち、市民諸共粉砕するのが手っ取り早い――よく考えれば誰でも思い付くだろうとライキは舌打ちした。


 ラウードはドタドタと走って来ると、「院長!」と叫ぶような声を上げた。


「子供達を、子供達を何処へ!」


 そうだ、ここは孤児院なのだ――ライキは一気に肩の荷が重くなるのを感じた。この建物には大人だけでなく、多数の幼い子供達を擁している為、素早く適切な避難は格段に難しくなる。ましてや籠城など以ての外だ……ライキは再び外を見やる。


 ボン、ボンとくぐもるような音が二度響き渡り、火煙が立ち上っている。先程よりも孤児院へ近付いているようだった。


「落ち着いてラウード! 子供達は――そう、森の洞穴へ連れて行きましょう、しばらくはそこで立て籠もるしか無い!」


「でも、でも……もし敵が洞穴に気付いたら? 取り囲まれてしまったら! この老いぼれを殺すだけで赦してくれるのであれば、喜んで首なり心臓なりを差し出しますが、きっとルーゴの兵は……!」


「その心配はありません」


 ラウードとアレアは窓の方を見た。そこには魔女ファリナの手を取り、燃え上がる市街を睨む男の姿があった。


「この孤児院は――俺とファリナが護る。約束します」


「……でも、きっと相手は大勢の――」


「ラウード、止めても無駄でしょう。ライキさん、ファリナ……行くんでしょう、闘いに」


 アレアは狼狽するラウードの手を取り、それから窓際のライキ達に微笑んだ。


「行きましょう、ファリナ。皆が待っている」


 ファリナの白髪は薄らと街の炎に照らされ、幻想的な橙色に染まっていた。「ええ」ライキの手を強く握ったファリナの目は落ち着き――しかし強い何らかの意思が認められた。




 グラネラの都市を制圧されるという事は、同時にサフォニアの終わりを意味している。今や軍を指揮する王族もいない、アレアは子供達を誘導するのに精一杯だ。やがて陥落するのは目に見えている――ならば、ルーゴの兵を迎え撃つのは、俺とファリナしかあるまい!




 ライキはファリナを「刀」へと変身させるべく念じた。この念がファリナの身体に生温かい敵の血を塗りたくる事を充分に承知をしていたが、それでも彼は願わずにはいられない。


 やろう、ファリナ。罪を背負った者同士、どうせなら地獄の果てまで走ってやろう――。


「ふ、ファリナさんの身体が……!」


 ラウードの驚嘆する声が響く。ライキの隣に佇む魔女の身体が粉雪のような光の粒子となり、空中に拡散してからライキの手に収束し――果たしてへと驚異の変貌を遂げたからである。


「では――行って参ります」


 ライキは窓を開け放つ。


 風によって運ばれて来た、何かの焦げるような臭いが彼らの鼻を突いた。ライキは窓枠に足を掛けると、そのまま鳥が飛び立つように踏み締め、一気に街の方へと駆けて行った。

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