ご贔屓に
「……これがあのアトネか? 酔っ払いだらけの町がこれか?」
男は高台から町を眺めて呟いた。町中を走り回るのは隠れていた町民と、それを追っている甲冑の男達だった。
「あの紋様はルーゴの鎖状紋と呼ばれるもの……これで分かったね。やっぱり噂は本当だったんだ、間違いだったらどんなに良かったか……」
アレアは自身の右手にフゥと息を吹き掛けると、眩い光と共に長い杖が顕在した。ライキとファリナは驚かずにそれを見ていたが――。
「な、何だよそれは! 何処からどうやって……どうして!」
男は腰が砕けそうな程に驚いたが、何かに気付いたのか「もしかして……」と目を見開いた。
「あんたら……人間じゃねえな」
彼の問い掛けにアレアは目を細めると、「正解」と言い残して町の方へ駆け出した。ライキも彼女に遅れないよう武装の準備を始める。
「ファリナ、手を」
名を呼ばれた魔女は愛しい者に触れるような手付きでライキの手を取り、目を閉じて「時」を待った。
俺達はようやく――国を護る救国者となれるんだ。闘おう、力の限り人々を護ろう。
だからファリナ、立ち込める闇を払う、刀になれ――。
ファリナの身体が輝き始め、それはやがて光の粒子へと変貌、果たしてライキの手に握られている一振りの白刀へと変身した。
「後は俺達に任せてください、どうかお達者で――」
呆然とする男に手を振り、彼は高台を下って行く。眼下に広がるのは修羅、踊り入るのは一人の男と二人の魔女だった。
ルーゴの兵士は勇猛果敢で冷徹なる猛者揃いである――隣国であるサフォニアにまで伝わる彼らの謳い文句であった。
統率の取れた移動、攻撃、守備、略奪……睨まれた国は三ヶ月で更地になると言われた所以である。小さな宿場町アトネでもその統率力は存分に発揮され、最早赤子を殺し回るが如く兵士達は暴れた。
一組の夫婦が路地を追われて走っている。
夫婦は町の地理を完全に把握していたつもりであったが――壁のように待ち構える重装備の敵兵は範疇の外であった。難なく二人は捕まり、今にも夫はその場で首を刎ねられそうになり、妻は泣き叫びながら夫を呼ぶだけであった。
斬首役を買って出たのは、部隊の中でも特に残忍極まりない性格を持った若者だった。ルーゴの兵士となってから、今日まで四九人もの首を刎ねて来た。今日は記念すべき五〇人目である事を、彼は周りの兵士におどけるように言った。
いよいよ執行の時は迫る。夫は既に諦めた顔で地面を見つめ、妻は目を見開いて涙を流している。若き兵士は剣を天高く上げ、一気に首筋目掛けて振り下ろした。皮膚を裂き、肉を斬り、骨を断つ感触は何にも耐え難い感触だった。
しかし――。
兵士は求めた感触に有り付く事が出来なかった。更に気付くと辺りは目が眩むような白で満たされ、アトネの町並みとは全く違っていたのだ。兵士は剣を落としてひどく狼狽した。
「ようこそ、白闇の世界へ」
彼の後ろから声がした。すぐに振り返ると、そこには薄ら笑いを浮かべる少女が立っている。
この女が俺を連れて来たのだ――すぐに若き兵士は戸惑う事を止め、剣を拾ってから少女に斬り掛かった。即座に思考を切り替え、行動に移す。兵士が戦場で得た鉄則だった。
しかしその教訓が活きるのはあくまで「人間」に対する戦闘時のみだという事に、彼が気付く事は無かった。
兵士を小馬鹿にするように笑う少女の正体こそ、ライキとファリナの願いを感じ取り、切ない――と評した魔女、レガルディアであった。
「痛いよ、それ」
魔女はニヤリと口角を上げる。兵士は彼女を撫で斬りにした瞬間、自身の身体から噴き出る鮮血に呆気に取られ、手に着く血を見つめた。
「貴方が斬ったのは私じゃない、貴方自身の波動の塊。自分の波動を傷付けるんだから――」
髪を掻き上げ、レガルディアは笑いながら兵士に言った。
「死ぬのも、そりゃあ当たり前だよね」
若き兵士は果たして血塗れとなって絶命した。何が起きたか一つも理解する事無く、理不尽な魔女の術によって命を絶やしたのである。そしてその光景を間近で見ていた仲間達は――言葉を失っていた。
次の瞬間に兵士達は一人、また一人と魔女の待つ別世界へと連れ去られて行く。ある者は剣で刺され、ある者は崖から落とされ、またある者は猛獣と化したレガルディアに食い殺された。
如何なる条理も捻り潰され、新たな非条理だけが我が物顔で支配する、息が出来ぬ程の白き世界。波動を意のままに操る事が出来る魔女、レガルディアはその世界の唯一の法律であった。
「……何が起こったの……?」
妻は腰砕けになりながらも夫の方に向かい、やがて二人は涙ながらに互いの無事を祝福した。周りの兵士は皆一様に変死を遂げ、その区画だけが不気味な静寂で満たされているようだった。
「あ、貴女は……!」
夫が妻の後ろに立つ少女に気付いた。
夫婦は少女が頻繁に利用する雑貨屋の娘だとすぐに気付き、「早く逃げるんだ」と諭した。しかし少女は「次があるんだよね」と服に着いた埃を払い、夫婦に短い言葉だけを残して歩き去った。
「今後ともご贔屓に――」
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