手の平で踊る子

 オガルゥの家に戻ると、ファリナは未だ眠りから覚めず寝床で横たわっていた。微かに上下する胸は見る者に安らぎを与えるようであったが――ライキの心は困惑と疑惑に塗れ、最早彼女を数時間前と同じように見る事が出来なかった。


「段々と陽も沈んできた……ボク、今日は泊まっていきなさい。ファリナは明日の朝まで覚めないから。ゆっくりお話でもして、今後の行く末を決めると良いわ」


 オガルゥは窓から外を眺めながら(ガラスはひどく汚れ、陽光の殆どがそれによって阻害されていた)、ライキを促して自身も食卓を挟んで座った。古びてはいるもののよく磨かれた食卓の上には、数個のダルがやはりフワフワと何処からか飛んで来て着地した。


「ボク、ここに来た時よりも随分と……疲れた顔をしているわね」


 ライキを案じるように魔女は彼の顔を覗き込むと、杖を軽く振るって食卓の上に一つの瓶を呼び寄せた。


「疲れを和らげる薬よ、貴方にとっては気休めにしかならないけど……」


 以前の彼なら見も知らぬ薬など飲まなかったであろう、しかし彼は瓶を手に取ると、一気に中身を飲み干した。酸味の強い、歯が痺れるような感覚があった。


「もしそれが毒だとしたら、ボクは今頃どうなっているかしらね」


 クスクスとオガルゥは空の瓶を突いた。


「……俺の意思で飲んだから、例え死んでしまっても文句はありません」


「では、ボクが毒を飲むしか選択肢が無いよう、『誰かがお膳立てをしていた』としたら? その時もボクは自分の意思だからと諦められる?」


「その質問も、ファリナが何かをしたと言いたいのですか」


 オガルゥはやや間を置いて、話すのが辛そうな表情で返答した。


「ボク……私はやっぱり貴方に殺されるべき魔女よ。こんなにも性格が悪くて、回りくどい女もそうそういないから」


「何を言いたいのですか――」


 ファリナはね、と沈痛な面持ちでオガルゥは呟いてから、寝床の方を一瞥し、再びライキを見つめた。呼吸すら憚られるような雰囲気が辺りに充満していくようだった。


「きっと……誰かの『母』になりたかったのよ」


「……母に?」


 彼女は頷いた。スースーとファリナの小さな寝息すらが聞こえる程の静寂があった。


「抽象的な概念よ。誰かを護る、誰かに教授する、誰かを愛する……。見返りなど微塵も求めない、ただひたすらに誰かを庇護したい……ファリナはそう思ったのね」


 ライキは身を乗り出して彼女に詰め寄った。オガルゥの言葉には矛盾がある――彼は思った。


「魔女が如何に人間を愛して止まないのは分かりました。でも……見返りを求めないっていうのは嘘ではありませんか? 現にザラドは収穫の夜を楽しみにしていた、これは一体どう説明するのでしょうか」


 あぁ、とオガルゥは悩ましげな顔でダルを一つ取り、細い指で弄んだ。


「ザラドは『母と子』という準縄が正しいと考えていて、それは不変的かつ絶対のものと信じていた。彼女は要するに原理主義だったのよ、だから彼女は『無差別に人を襲う』事も厭わなかった」


 月夜に現れた魔女、ザラドの顔が脳裏に浮かぶ。


 ザラドは何度も「恨みは無い」と言っていた……納得は出来ないが理解は出来る。ライキは胸が悪くなる思いだった。


「では、俺を欺いたという根拠は? そして……何故、俺を欺かないといけないのですか」


 言い終えた瞬間に、ライキは何故か息が止まる感覚に襲われた。




 毒を飲んだ訳でも急な運動をした訳でもない。では一体――。




「……あくまで予想よ。でも限りなく真実には近いと思うの……」


 ライキは続きを待った。永遠とも思える程に長いその時間は、彼の心臓を鷲掴みにするようだった。


「ボクが魔女狩りを買って出るよう仕向けたのは――きっとよ」

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