不要な夜
願いとは? 眠れる魔女を家主の寝床に横たわらせ、ライキは興味深げに問うた。
「まず言っておくと、『何かを取って来い』とか『誰かを殺して来い』なんて野蛮な事は言わないから安心してちょうだい。簡単なお手伝いのようなものね」
オガルゥはふらつく足で立ち上がると、杖を使ってヨロヨロと外へ向かった。ライキは彼女の後を追った。
いつでも介助が出来るように――と思う程、彼は不思議とオガルゥに対して敵愾心を覚えなかった。
願いを叶えれば殺して構わない、そう宣言した彼女の生殺与奪は既にライキの手中にあるだろう。しかしながら彼は「殺意」が湧いてこないのだった。
眼前を歩く魔女は厳かで、知的かつ神秘的だった。
かつてあらゆる魔術を扱えたと評されるその実力が、長い時を経て自身の性格を良い意味で加齢したものへと変貌させたのだろう――ライキはオガルゥの背中を見つめて思った。
「最初のお願いよ、ここは通ったでしょう?」
再び広がる、森林の中の非現実を体現するような墓場。
先程と比べて浮遊する魔力は何処にも見当たらない、持ち主が現れた事で元の本流へと戻って行ったらしかった。少しだけオガルゥの動きも軽やかさを増している。
「ここは墓場……生きる事を嘆き、死という救済を求めて私に縋った、可愛い子供達の『揺り籠』。ここを定期的に掃除しているんだけれど……今日の掃除が最後になるから、一層丁寧に掃除をしたいの。だからボク、手伝ってくれるかしら」
ライキの了承を得る前にオガルゥは古布を使い、すぐ傍の墓石を磨き始めた。その場に立ち尽くす訳にもいかず、結局墓石掃除に参加する羽目となったライキだが、何も持ち合わせいない為に雑草を抜いて回る事となった。
抜けども抜けども、その都度生えてくるのではと錯覚するぐらいに生い茂る雑草を見て、トラデオ村で農家の草むしりを手伝った事を彼は思い出した。
「意外と慣れた手付きね、ボク」
黙々と草を抜いては後ろに緑の山を築いていくライキ。その内に彼はある質問を投げ掛けた。
「何故、このような事を? 死にたくとも死ねない人間を、どうして殺してあげるのですか?」
次の墓石に取り掛かったオガルゥは「あぁ、その事ね」と目を細めた。
「例えば……ボクがどうしようも無い失敗を何度も何度もしたとする、到底解決出来ないような――勿論、個々人の理由があるわ――泣く事すら忘れるような失敗ね。生きていれば何とかなる、ってよく人生論で述べる人がいるけれど、それはどうにかなった運の良い人のありがた迷惑な意見。中には魔術でもどうにもならない問題があるの」
オガルゥが墓石を撫でるようにして古布で擦ると、薄らと繁茂する苔が綺麗に取り除かれ、傷だらけの石肌が露出した。
「ボクは生きる事に疲れ切った、何処か静かな場所で死んでしまいたい……そう考える内に、この森へと辿り着く。補足すると、何も私は魔術によってそういった終わりを求める人を寄せ付ける細工はしていないわ。噂、雰囲気、直感……全てが手招きをするらしいの。やがて森を歩いている内に、ボクは小さな家を見付ける。家の中には魔女と名乗る女の人がいて、安らかな死を与えてくれる――って知ったら、ボクならどうする?」
少しだけ間を置いてライキは言った。即答しない事により、彼女の意見には「あくまで反対である」との意思表示であった。
「……死を望む事もあるかもしれない」
「でしょう? 勿論、私は最初から死ぬ事を勧めはしない、立ち直る方法を一緒に探してあげるのだけれど……それでもダメな時はダメ、だから私は魔術で苦痛の無い死を与える。そして魔力を貰って細々と生き延びているのよ」
強かな魔女だ。ライキは思う。
自殺志願者の魔力を得て食いつなぐ魔女オガルゥ……なるほど、確かに両者の利害は一致しているらしい、しかし――。
「えぇ、分かっているわ。『自分は絶対に死なない』って思っているのね」
警戒した目でライキは見つめたが、対するオガルゥは微笑みながら墓石を磨き続けている。
またしても心を見透かされたという事実が、彼の魔女への「畏怖」が着実に募っていく。レガルディア、オガルゥの二人と対峙した時、何故か内心で思う事、声に出さぬ言葉を全て攫われていくようであった。
相手の心を読む。
これこそが魔術の一種の到達点なのでは――ライキは考えを読まれると分かりながらも思わずにいられなかった。
「その通りです、俺は……元々トラデオという小さな村に暮らしていました。そこに魔女が襲って来て……村人は皆、死んでしまいました。だから俺はファリナの力を借りて――貴女達魔女を殺している」
ライキはオガルゥが如何なる反応をするか、その様子を刮目している。だがオガルゥは顔色を変えずに墓石を黙々と磨いていた。ライキの話をただの世間話とでも思っているかのようであった。
「何も思わないんですか。怖いとか、憎いとか……」
オガルゥは顔を上げ、ライキをジッと見つめた。
「……切ないわね、ボク」
切ない。アトネの町でレガルディアが確かそう言った気がする――ライキはケタケタと笑う彼女を思った。
「ボク、魔女を殺すのは誰だと思う?」
「人間である俺です」
「誰に頼まれて?」
「自らの意思です、村人達を弔う為の、身勝手な復讐です」
オガルゥは磨くのを止め、ライキを睨むような目で見やった。胸を剣で突き刺されるような、冷たく恐ろしい感覚が彼を襲ったのだった。
「本当に、自分の意思で魔女を殺そうと思ったの? いいえ、質問を変えます。ボクは今でも、『自分の為に』魔女殺しを行うの?」
「……それは勿論、自分の為です。誰に頼まれた訳でも――」
四人の魔女を殺してください。
途端に彼の脳裏に浮かぶ言葉、それは湖畔で出会った旅の魔女、ファリナが言ったものであった。
「そうです、そうだ……俺は……俺の為に魔女を……いや、うん……そうだ、俺の為……」
ライキは完全に理解も覚悟もしているはずだった。
危険を冒してまで殺すのに値する、魔女の性質や罪。
それに対する、自分の中で渦巻く怒りと怨嗟。
魔女狩りの旅は自らの意思で決定し、歩き出した――はずだった。
何かが心の片隅で存在を主張している。ライキはその何かが発している言葉に耳を傾けた。
疑念――その正体であった。
「ザラドは確かに、人間を収穫するのに一番賛成していた、でもね……対価として人間達に知恵を与えようと提案したのも、他ならぬ彼女だった。人間が何かを発明する度に、誰よりも喜んでいた」
オガルゥはゆっくりとライキの方へ歩み寄った。幽霊が移動するように、足音も気配も一切が無かった。
「ニールマンゼは誰かを護るという喜びを見付けたわ。子供を産み、育てるという原始的な喜びを、彼女は骨の髄まで味わった」
点々とした草地が風になびき、軽やかな音を立てた。
「これからボクが殺しに行くであろう魔女、アレアも……孤児院を開いて多くの子供を養っている。彼女は昔に溜め込んだ魔力を節約して、収穫の夜をやり過ごすみたい」
唐突な目眩がライキを襲った。しかしオガルゥは彼の様子など意に介さず続けた。
「そして私……オガルゥは、悩みに悩んで……暗い活路を見出した人間達を冥界に誘う事で、やはり収穫の夜を――」
「もう――聴きたくない、止めてくれ」
猛烈な速度で心を蝕んでいく疑念が、彼を「現実逃避」という逃げ道へ誘導する。
「ダメよ、ボク。これだけは伝えておきたいの。確かにザラドは収穫の夜を必要としていた、けれど彼女が死んだ時から、魔女はもう――」
オガルゥの笑顔には戸惑いが見られた。ライキに対して伝えて良いのか否かを、自身に問うているようだったが、やがて彼女は口を開いたのだった。
「少なくとも今回の収穫の夜を、私達は……必要としていないの」
それからオガルゥは墓石を全て磨き終え、立ち尽くすライキの手を引いて家に戻った。手から伝わるはずの温もりを――ライキは感じる事が無かった。もしくは……出来なかったのだ。
四人の魔女を討たなければ、また大勢の人が死んでしまう。私はもう、人々の叫び声を聞きたくない、伏せる彼らの姿を見たくない。どうか私と夜を払い、私に希望という光を見せてください――。
彼の心をすっかりと根城にした疑念がファリナの言葉を再生し、そして彼の耳元で神妙そうに囁いた。
あの女、お前に嘘を吐いているんじゃないか――。
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